第三話 彼女たちとの今後
それから部屋に戻って暫くすると、カナミとメイベルが返ってきた。随分と熱中していたのか、ほんのりと額に汗が浮かんでいる。
「カナミ、風呂入ってきたらどうだ?」
「うん、じゃあ先に入っちゃうね」
二人はナタリとアリシア、アオイに声を掛けていく。この旅館は庭園露天風呂付き客室なので、大浴場に行くわけではない。
チトセは広縁の方に歩いていく。そのままだとガラス越しに、露天風呂のある庭園が丸見えになっているのだ。見事な庭園が売りなのかもしれないし、そもそも夫婦などで来るようなところなのかもしれないが、いくらなんでもそれはまずかろう。
「カーテンとかないのかな」
衝立など、遮る様なものは他に見当たらない。
そうして探していると、アリシアが隣にやってくる。
「チトセくん、あのね」
「うん、なんだい?」
「えっと、見たいなら、見てもいいよ?」
ほんのりと顔を赤らめながら上目づかいでアリシアはそんなことを言う。
しかしいいよと言われて喜んで飛び付くのならば、性欲の権化でしかないだろう。そうはなりたくないものである。
「アリシアは良くてもさ、嫌がる人もいるかもしれないだろ?」
チトセは軽い気持ちでそんなことを言ったのだが、アリシアは嬉しげな表情を浮かべた。
「じゃあ、後でチトセくんと一緒に入る?」
「なんでそうなる。……俺は寝室の方にいるから、一緒に入っておいで」
アリシアは小さく頬を膨らませたが、カナミたちが先にバスルームの方に行ってしまったので、渋々そちらに向かった。
結婚の約束をしているのだから、別にそういったことをしても問題はないのかもしれない。しかしまだ現実味を帯びていない、というのが正直なところであった。
チトセはアリシアの後ろ姿を見てから、寝室に引っ込む。
ベッドに腰掛けると、スプリングの効いた特大ベッドはゆっくりとその体を受け入れる。やはり高いものは質がいい。もっとも、お高い家具を使用するようになったのは、ここ最近のことなのだが。
それから彼女たちとの今後について思いを巡らせる。
彼女たちと結婚の約束はした。しかしそれは曖昧で、いつするかも分からないようなものだった。
そんなものでも付いてきてくれる彼女たちには頭が上がらない思いだが、いつまでも引き延ばすわけにもいかないだろう。もっとも、学園に通う生徒の身分で結婚する者はあまりいないそうだから、それほど焦るような話でもないのかもしれないが。
彼女たちと結婚するにあたって気にしていたのは、二点。
本人たちは気にはしないだろうが、彼女たちは貴族の娘である。何の能もない平民で、出自も不明な者と結婚をすれば、周囲の目が変わるかもしれない。そして成り上がるという当初の目標を捨て去ることができないということだ。
そのどちらも名声、権力、そして実力、それらを手に入れることで解決できるものであり、しかしひどく曖昧なものでもある。
当初の願ったものとは異なるが、とりあえず名声は得た。そしてこの世界で他の者たちとさほど変わらない程度の実力も手に入れた。権力は後々付随するものだろうし、さほど必要なものではない。
そうならば、もはや結婚を先延ばしにする理由などないのではないか。それは単に自分が未知の生活に対して、一歩踏み出すことができずにいるだけなのではないか。
いずれ機を見て、関係も進めていかねばならないだろう。
そんなことを考えていると、風呂場の方からアオイたちの声が聞こえてくる。楽しそうだなあと思う反面、これからは彼女たちの関係を壊さないように生きるべく拘束されるのだとも思う。
好きだから結婚する。それは当然のことなのだろうが、この世界では少々意味合いが異なる。重婚が可能ゆえに、先に結婚しておくことで優先権に近いものを得て、旦那の後の交際を縛るようなものでもあるのだ。
「チトセくん、お風呂どうぞ」
アオイが寝室に入ってきて告げる。彼女は備え付けの浴衣姿で、ほんのりと上気した頬が艶めかしい。
チトセは考えていたのが馬鹿らしくなった。彼女たちを手に入れることができるのならば、他の何であろうと捨てられるほどの好意を抱いていたのだから。彼女は、美しい。
「アオイ、綺麗だな」
「急にどうしたの?」
彼女はどこか嬉しそうに笑う。その笑みが自分だけのものだと思うと、チトセは言い知れぬ独占欲が満たされていくのを感じていた。
それから寝室を出ると、カナミとメイベルは風呂上りにジュースを飲んでいるのが見えた。そしてナタリはソファに横になっている。
寝転がっているせいで浴衣は肌蹴て、白い胸元が露わになっていた。豊かな膨らみが僅かに見える。
一瞬、少女の肌に目を奪われるも、チトセは何事もなかったかのようにバスルームのように目を向ける。そしてそちらに歩いていくと、アリシアとすれ違った。
彼女はカナミたちよりも髪が長いから乾かすのに時間がかかったのだろうか。しかしそれならば、一番髪の長いアオイが先に来るのもおかしな話である。
それはともかく、チトセは一人でバスルームに入った。
中は備え付けの洗面台の傍にドライヤーや麺棒などが置かれており、その反対側には衣服を入れておくための籠が用意されている。その向こうには内風呂へと続く扉がある。
早速風呂に入るために、鏡の前で上衣を脱ぐ。
上半身には一切の無駄な贅肉はなく、これでもかというほどに鍛え上げられてた筋肉が付いている。それほど大柄な方ではないが、引き締まった肉体は力強さを感じさせる。
しかしそれは限界をも意味している。肉体そのものが人の限界を超えてなお成長することはありえないだろう。これ以上鍛えたところで、目立った変化があるとも思えない。
ならば残りはレベルを上げること。
レベルが100に達するまで、愚考を続けるのは意味がないだろう。
チトセは頭を振って、籠の方に向かった。
そして、衣服を入れようとそこを覗き込む。そこには女性用の下着。
誰かが忘れて行ったのだろうか。別の方を覗き込むと、そこにもまた、少女のものがある。
無防備に置かれたパンツは、未知へと誘惑する。可愛らしい下着はきっと柔らかく、ちらりと見えるクロッチは赤子のゆりかごのごとき慈愛に満ちたものだろう。
手を伸ばせば届くところにそれはある。
(……誰も見ていないところでこそ、信頼というものが試されているのだ。そう、誰も見ていないからと言って――)
チトセは扉の方を振り返ると、少しばかり隙間が空いていた。
「……君ら、何やってんの?」
がたがた、と音を立てて扉が揺れる。
それから何やら言い合うような声。
チトセはそちらに行き、扉を開けた。そこには少女たち五人が、小さくまとまって何かを相談していた。
「あ、あはは、チトセくん、お風呂どうだったかな?」
「いや、さっき着替えようとしたばかりなんだけど」
明らかに狼狽えているカナミ。
「ああ、置き忘れていたものなら、そのままになってるから、取って来ていいよ」
事も無げに答えると、少女たちは顔色を変えた。そして、互いに顔を見合わせる。
それから何やら責任の押し付け合いのようなものが始まった。暫くその様子を眺めていると、やがてメイベルが前に出る。
そして彼女はおほん、とわざとらしい咳払いを一つ。
「チトセ! アリシアのパンツを好きに使っていいよ!」
「えぇ!? メイベル! 何言ってるの!」
チトセは慌てるアリシアを見ながら、一体何のことやら、と首を傾げる。
「俺にどうしろと……?」
パンツを貰ってすることなど、思いつかない。思いついたとしても、それは一線を越えてはならないもののような気がする。
しかしアリシアは瞳一杯に涙を溜めこんで、縋るように見上げてくる。
「私のじゃ、嫌……?」
「アリシアは好きだよ。嫌じゃないよ」
「ほんと? 嫌じゃない? 嫌いにならない?」
「ああ。本当だ。君が好きだ。……でもさ、パンツ貰って何に使えばいいんだよ?」
「うぅ、やっぱり私のこと、嫌いなんだ……!」
アリシアはぐすぐすと泣き始める。
チトセは慌てて彼女を抱きしめ頭を撫でる。上半身裸で泣く少女を抱きしめるというのは、少々危ない様相を呈しているが、そんなことを言ってもいられない。
ぽたぽた、と肌へとじかに涙が落ちる。それはひんやりとしていて、くすぐったい。それから涙が溜まって、つう、と下へと流れていく。
「俺はアリシアが好きだよ。これから先、ずっと一緒に居たいと思ってる」
「……じゃあ私の下着、貰ってくれる?」
「ああ、分かったよ」
アリシアはにっこりと、花咲く様な笑みを浮かべた。泣き腫らした赤い顔で喜びを表す彼女は、それでも可愛らしい。
成り行きでパンツを手に入れることになったチトセだったが、それをどう使おうか。普通に洗って返せばいいような気もするが、それで何か言われても困る。
そうしてチトセが顔を上げたとき、笑顔のアオイたちがいた。そして、ずいと下着を押し付けるようにして渡してくる。
「チトセくん、私からも上げるね」
「……これは一体、何の儀式だ?」
「そういうことに興味がないのかなって、それでその、申し訳ないのだけれど、試してみることになって」
彼女の話によれば、チトセがあまりにも手を出す気配を見せなかったので、そういうことに興味がないのではないかと不安になったそうだ。それで、パンツという餌で一本釣りを試みたということらしい。
彼が結婚について思い悩んでいるのと同様に、彼女たちもまた、悩んでいたに違いない。セックスレスは立派な離婚の原因にもなる。この世界では、女性ではなく男性の方が嫌がる傾向が強いらしく、それを危惧したのも当然のことなのかもしれない。
元は自分が悪いのだからそれに関して何も言う気はなかったが、それでも元プレイヤーたちの偏った趣向に、文句の一つも言いたくなる。
いきなりパンツを貰って喜ぶなど、一部の人間に過ぎないのだと。
とはいえ、チトセは結局五人分の下着をインベントリに突っ込んだまま、風呂に向かうことになった。
後日、洗って返そうと思う。




