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第二話 旅館

 アスガルドを西にずっと行ったところにある宿場町は、小さいながらも温泉があり、賑わいを見せている。


 チトセは街が近づいてくると、その境界を超える前にバスを止めた。


「皆、傘持ってるかしら?」

「私は大丈夫だよ!」


 アオイがインベントリから傘を取り出しながら尋ねる。少女たちはそれぞれの傘を手に、バスから次々と降りていく。チトセは一番最後に降りると、バスをインベントリに収納した。


 この世界では街の中に車両で乗り入れるのは認められていないところが多い。そのため、不便ではあるが徒歩でいかねばならない。


 温泉街には石畳が敷き詰められており、雨を受けると軽快な音を立てて飛沫を飛ばす。


 雨天ということであまり人通りは多くはないが、軒下には買い物客の姿が見える。その他にも恐らくは長期で滞在しているのだろう、湯治客もちらほらと見られる。


「今日の晩御飯は何かな!?」

「昨日の料理はおいしかったから、期待しちゃうよね」


 カナミとメイベルは夕飯について語り合う。色気より食い気といった彼女たちは、とても楽しそうである。


 お金には余裕があることもあって、日頃のお礼も兼ねて少し高い宿を取っているのだから、それが楽しみなのももっともだろう。それに六人で一つの部屋に泊まるのなら、ある程度の広さが必要になるというのもある。


 暫くのんびりと歩いていくと、宿に着くころには完全に日が沈んでいた。しかし中に入るよりも早く、女将や客室従業員たちに出迎えられる。高級旅館ゆえにできることだろう。


 華美ではないものの落ち着いた雰囲気の長い廊下を歩いて行き、昨日も宿泊した部屋に入る。値が張る宿であれば大抵二人用といったものが多いのだろうが、この世界では重婚が認められており夫婦で来ても相当な人数になるため、一室辺りの広さはかなり広くなっている。


 中には高級感漂うソファや机などの調度品。広さは二十畳ほどだろうか。仕切りによって二部屋に分割されており、その向こうには特大のベッドがある。これもまた、この世界特有の文化だろう。


 新婚であれば数人が一緒のベッドで寝ることが多いため、キングサイズよりも更に大きなベッドが必要になる。そのため、寝室は広く作ることが多いようだ。


 連絡を入れておいたため食事はすぐに来ることになっており、カナミはソファに座りながらも足をぱたぱたと動かして、待ちきれなさそうである。


 ナタリは疲れたのか、ベッドに寝転がる。彼女も日頃から高級ベッドを使っているのだから、はしゃいでいるということはないだろう。


 チトセは椅子に腰かけて、武器の手入れを始める。


 取り出したのは銀色に輝く細身の剣。この世界に来たばかりのとき、アオイに買って貰ったものだ。


 今ならば金があるから、買い替えることもできるだろう。しかし愛着もあって、中々他の物に変えることはできなかった。新しいものを買ったとしても、これは大事にしまっておくことになるだろう。


「それ、まだ使ってくれるのね」


 アオイが肩越しに、後ろから覗き込む。


「当たり前だろ? 俺の唯一の宝物なんだからさ」

「そこまでの物じゃないのよ。でも、そう言ってもらえると嬉しいわ」


 銀色の剣に、少女の笑みが映る。


 彼女がいなければ、ここまでやってくることは出来なかったかもしれない。彼女が隣にいてくれたからこそ、今の自分があるような気がする。


 チトセは手入れを終えると、いまだ買ったときと変わらない光を放つ剣をインベントリに収納した。


 それから暫くして、女性が料理を持ってくる。どこの宿泊客も大人数で泊まるのだから、大変だろう。


 女性がお辞儀をして去っていくと、早速カナミは箸を手に取った。


「美味しそうだね! いただきます!」


 カナミは刺身を器用に箸でつまんで、醤油を付ける。そして口に含むと、実に美味しそうな表情を浮かべた。


 そんな彼女の様子を見ながら、各々も食事に手を付けていく。


 今日の料理は刺身やカニ、エビなど、海の幸が中心だ。貝類と菜っ葉のおひたしなどの前菜は色取り取りで食欲を掻き立て、フカヒレ土瓶蒸しやいくらの炊き込み御飯といったメインの料理はボリュームもある。


 モンスターが生息していないようなところでは、魚介類が取れるのだろう。インベントリを使えば鮮度はさほど落ちないが、やはり取れたてが新鮮なことに変わりはない。


 エビの殻をむいて口にすると、ぷりぷりとした食感と共に弾ける弾力、ほんのりとした甘味が感じられる。


 文句なく美味しいと言えるだろう。最近は高いものばかり食べているから舌が肥えてきたかなあなどと思いながら、蒸し物を土瓶から注いで、汁を吸う。湯気がほかほかと上がっているそれは、一口含んだだけで上品な味わいが広がっていく。


 体の芯まで温まる様な心地好さを覚えながら、料理に舌鼓を打つ。


 そうしていると、ナタリが蟹を相手に格闘しているのが見えた。


「剥けないのか?」

「そんなことない。剥ける」


 むすっとして言うのだが、それは子供らしくて可愛い。無愛想な彼女にそんなことを思うのは、彼女の内面を理解しつつあるからだろう。


 チトセはハサミをつかって蟹の足を根元から切り離し、それから関節のところで切断する。そして間接のすぐ上のところの殻だけを切り取る。そして引っ張ると、ずるりと身が飛び出した。


「ほらナタリ、あーん」


 彼女は釈然としないようだったが、それでも自分で剥く面倒さの方が上回ったのか、大人しく口を開けた。


「美味しいか?」

「うん」

「そりゃよかった」


 ナタリはあまり感情を表に出そうとはしないが、最近ではそんな彼女の機微が分かるようになってきた気がする。


 あるいは、一緒に居ることで似てくるということなのか。


 そうして食事を終えると、頭に血がいかなくなって眠くなってくる。しかし外出してきているのだから、風呂に入らずに寝るのは衛生的によくないだろう。


「ねえねえチトセくん! 卓球しようよ!」

「食後なのに随分元気だな。じゃあ行こうか」


 元気よく歩き出すカナミにチトセも続く。そこにアリシアがくっついて行き、メイベルが彼女を追っていく。アオイはうたた寝しているナタリと部屋に残った。面倒見がいいのが彼女の美点だろう。


 館内をうろついて、ようやく卓球台を見つける。やはりこの世界でも文化は継承されており、温泉と言えば卓球らしい。


 カナミはピンポン玉を手に取り、ラケットを構える。


「じゃあ行くよー!」

「おう。かかってくるがいい」


 チトセはそれに応戦するべく彼女の手元を見る。


 まずはサーブ。オレンジ色の球体がカンカン、と軽い音を立てて、卓上をはねる。


 チトセはそれを掬う様にして打ち返す。あまりやったことがなく上手ではないから、ネットよりかなり高い位置に飛ばしてしまう。


 それを見たカナミは、すかさずスマッシュを打ち込む。それは思い切り台に叩きつけられ、チトセの隣を目にもとまらぬ速さで過ぎていく。


 それから暫く彼女の相手を続けたが、反応するのが精いっぱいだった。

 カナミは容赦がなかった。


 チトセは長椅子に腰かけながら、メイベルとカナミが激しい打ち合いをしているのを眺める。彼女たちを元の世界に連れて行けば、世界チャンピオンだって目じゃないだろう。


 そもそもの身体能力が違うのだから、それは当然かもしれない。


 それにしても、惨敗するのは情けない。しょぼくれていると、アリシアがラケットを持ってやってくる。


「チトセくん、一緒にしよう?」

「俺はご覧のとおり、上手くないぞ?」

「私もだから。ね?」


 アリシアはにこにこと笑顔である。


 チトセは立ち上がって、台につく。アリシアはその向かい。


 彼女はピンポン球を軽く投げると、ラケットで打つ。球は大した勢いもなく台の上をはねてこちらに向かってくる。チトセもそれを打ち返す。


 カナミ相手では出来なかったラリー。しかし、よくよく考えてみれば、温泉でやるお遊びなのに全力で相手を叩きのめしにくる方がどうかしている。

 異世界基準ではそれが普通なのかとも思ったが、やはりそうではないらしい。あの二人が考えるより体を動かすような性格だからなのだろう。


 アリシアが腕を振ると、艶やかな青の髪がふわりと揺れる。


 ピンポン玉が軽快な音を立てながら、二人の間を行き来する。それに合わせて、二人は言葉を交わす。


 カップルで遊びに行けば、こんな感じなのだろうか。彼女との関係はきっとそれに近い。何とも恵まれているなあ、チトセはそんなことを思った。


 それからカナミたちはすっかり熱中しているようだったので、アリシアと手を繋ぎながら館内をうろついて、やがてお土産コーナーに到着する。新鮮な海の幸だけでなく、この地の名物や温泉まんじゅうなどが売られている。


 彼女たちとは十分料理を満喫したので、あえてお土産を買うこともないだろう。しかしチトセは別の女性の顔を思い浮かべた。


「先生になんか買っていこうかな」

「リディア先生?」

「ああ。お世話になりっぱなしだからさ」


 最近ではチトセくんが変なことに巻き込まれないように、と僧侶としての依頼も彼女を通して行っている。この世界での事情に疎い彼にとって、それはありがたいことだった。


 しかしリディアがチトセにそこまでする義理があるかと言えば、ないだろう。それは彼女の厚意でしかない。

 召喚獣の話でよく出入りするようにはなったが、それだけではなくて、何か別の形で彼女にお返しがしたかった。


 しかし彼女の好みなんかは全く分からない。どうしたものだろうか。


 チトセは近くにあるかんざしを手に取ってみる。どうやらこの地方の名産らしい。


「これかわいいな」


 アリシアは眉を顰めた。

 二人きりのデートで、他の女のことを考えているのならば、不快に思われても仕方がないだろう。けれど、それはリディアを思っての言葉ではない。


 チトセはそれをアリシアの髪に差してみる。とはいえ、かんざしなんて使ったこともなければ、使い方も分からない。


「んー、どうかな。アリシアならこういうの、似合うと思うんだけど」

「え、私? ……チトセくん、先生に買うのかと思ってた」

「先生に何かお土産は買っていこうと思うけど、アリシアに何か買ってあげたいと思うのは、また別だよ」

「……うん。ありがとう、チトセくん」


 アリシアは微笑む。

 この世界では、まずは身近にいる女性たちを第一に考えなければならない。そしてチトセも身近な彼女たちを何よりも大切に思っている。


 全てのことは、それから始まる。

 彼女たちもリディアと親しくしてほしいと願う一方で、自分たちの立場を危うくする外からの女性の来訪を好ましく思わない気持ちも理解できる。


 だからこそ、チトセはその気持ちを表には出さないことにする。一番大切なのは今いる彼女たちなのだから。


 チトセはアリシアにお土産を買うことにした。


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