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第二十五話 舞


 チトセは一人で、教育棟の一室を目指していた。僧侶の出し物である無料治療会のお役目を全うするためである。


 途中、治療会場と書かれた看板を一度だけ目にしたが、それ以外は特に案内などなかった。もしかすると、僧侶のジョブ持ちである彼女たちは、あまり人が来てほしくないのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、ようやく辿り着いた一室には長蛇の列ができていた。交代の二十分前に到着して、まだ少しだけ時間はあるのだから、治療の様子を眺めようとしたのだが、そこはカーテンでいくつかに仕切られており、中で行われていることは見えない。


 その前には何人もの人が並んでおり、割り込んで入って行けるような雰囲気ではない。


 どうしたものだろうか、と思っていると、カーテンの向こうから先輩が顔を覗かせた。そしてひょいひょいと此方に来るように合図を出す。


 チトセはそちらに向かって歩いていく。

 先輩はぐったりとしており、ひどく疲れた様子だ。


「君がチトセくん?」

「はい。そうです」

「よし。まずは待っている人を呼んで話を聞く。そしてヒールを掛ける。いいね?」

「はい」

「それだけだから! じゃあ後は任せた!」


 先輩は逃げるようにして去って行った。

 チトセはどうしたらいいのか分からなかったが、とりあえず無人にしておくのも行けないだろうとカーテンの中に入る。


 そこにあるのは、椅子と机だけ。

 本当に言われたことしかしないのだろう。実際、医学についてチトセが深い知識を持っているわけではない。


「次の方、どうぞー」


 言われた通り、中に入ってもらう。やってきたのは二十代ほどの女性。朗らかな印象を受ける。

 それから椅子に座ってもらい、問診を始める。


「どんな症状ですか?」

「梱包作業で腰を痛めちゃってね。ここが痛むんだよ」


 女性は背を向けて、服を捲り上げる。肌が露わになってチトセはどきりとする。しかも女性はそのまま下衣を下げて、ショーツが見える。


「ではヒールをかけますねー」


 内心の動揺を誤魔化すべく宣言し、スキルを使用。

 見た感じでは分からないが、どうやら何とかなったようだ。女性は調子を確認すると、驚いたようだった。


「わわ! すごいね君!」

「そうですか?」

「そうだよ! 去年来たときなんてさー。何時間も待ったのにあんまりよくならなくて。君のお名前は?」

「千歳水明郷です」

「また何かあったときはよろしくね! アンケート、書いておくよ!」


 そう言えば、学校祭はどうでしたか、というアンケートがある。生徒たちに向けたものではないので意識はしなかったが、そこに書かれるというのは少し気恥ずかしい。


 そして一人目は満足して帰ってもらうことができた。


「お次の方、どうぞー」


 この調子ならスキルレベルも比較的早く上がるかもしれない。単純な労働は嫌がるものが多いとはいえ、使わねば上がらないのも事実である。


 それから二人目の女性がやってくる。

 彼女は薄手のタンクトップという格好である。


 夏だから仕方ない。そう思っても、ついそちらに目が行ってしまう。二つの膨らみはとても大きかった。そして、何もつけていないのか、二つの突起が目立つ。


「ええと、どうなされましたか?」

「病院に行ったら乳がんだって言われちゃって。でもやっぱり切りたくないでしょ?」


 確かに切るとなれば、温存手術をしたところで、大きさが変わってしまうだろう。この立派なものが小さくなってしまうのはもったいない。


 そんなことを考えていると、女性はすっとタンクトップを捲り上げた。すると柔らかな膨らみが露わになる。薄茶色の突起までばっちり見える。


 チトセはもはや何も考えることなどできなかった。

 これは非日常であり、彼の常識など何も通用しない。


「ほら、ここなんだけど……硬くなってるでしょ?」


 女性はチトセの手を取って、胸に当てる。


 チトセが初めて女性のそれを触った瞬間であった。そしてその大きさと柔らかさに感動する。


 硬くなっているといわれても、これまで一度も触ったことがないのだから比較のしようがない。


「分かんない? こっちは何ともないでしょ?」


 もう片方の手で、もう片方に触れる。


 柔らかい。 

 しかし触り比べてみれば、しこりがあることが分かる。


 チトセはそこではっと我に返った。この状況を誰かに見られたら、逮捕されかねないのではないかと。もはや言い逃れ不要の状態である。


 しかしそこで先輩の言葉を思い出した。男ならばセクハラされるのだと。

 これは向こうでいうところの男がアレを露出するのに相当するのではないか。そして女性たちは彼氏のアレには可愛いとか言うのにも関わらず、それ以外のアレには嫌悪感を丸出しにするはずである。


 そう考えると、チトセはすんなりと納得が出来た。

 それと同時に、カナミたちが他人のアレを握っていたら嫌だなあという独占欲がふつふつと湧き上がってくる。


 だから、自分もそうするべきではない。


「ではクリアを掛けますね」


 チトセは煩悩を振り払って、スキルを使用する。ヒールは局所的な時間巻き戻しによる回復であるが、クリアはあらゆる状態異常を治すスキルである。よって、時間が経ってしまったものにはそちらの方が有効である。


 発動と同時にしこりがなくなっていき、やがて完全に通常の状態に戻った。


「恐らくは治ったと思いますが、もう一度病院で調べてみてくださいね。お大事にどうぞ」


 ぽかーんと呆気にとられている女性は、まだ胸を出したままである。やはり彼のジョブレベルの高さは異常らしい。最早僧侶のレベルは50を超えている。


 帰っていく女性の後姿を眺めながら、チトセは誘惑になど負けないことを誓うのだった。




 それから二時間も経った頃、交代の少女がやってきた。


 チトセはさくさくと仕事をこなしていったため、異例の速さで行列が減っていったそうだ。そのため並ぶ必要がないということで新たな人が集まってきて、ますますスキルを使用する回数が増えた。


 たった二時間でジョブレベルまで上がったのだから、相当スキルを使用したと言えるだろう。


 いくらジョブレベルが高いとはいえ、本体の能力が高いわけではない。魔力はやがて少なくなっていき、底を尽くまで振り絞った。その上、やってくる女性たちは奔放なのだから、ますます精神的な疲労が蓄積していった。


 帰るとき、チトセは数時間前に交代した先輩と同じような表情を浮かべていた。

 そしてもう二度とこんなのは引き受けないことを誓ったのだ。


 それから俯いたままとぼとぼと歩きながら、アリシアにメッセージを打ち込んでいく。彼女ならきっと慰めてくれるだろう。何とも情けないことばかり考えてしまうのは、魔力が枯渇しているせいに違いない。


「チトセくん」


 そんなことを考えていたから幻聴でも聞こえたのかと思ったが、顔を上げるとアリシアの姿があった。こちらを見るなり、飼い犬がご主人を見つけたかのような、嬉しそうな笑顔を浮かべるのだ。


「アリシア? なんでここに?」

「もうすぐ終わるって聞いてたから」


 わざわざ待っていてくれたということだろうか。彼女の気遣いが嬉しくて、チトセは思わず抱きしめた。もはや公衆の面前であることなど、頭の片隅にもなかった。


 彼女の体は柔らかく、そして甘くいい香りがした。

 戸惑う彼女はすぐに受け入れてくれて、背中に手が回される。


 少しして、チトセはようやく落ち着いてきたのでアリシアから手を離した。


「すまん、ちょっと取り乱した」

「ううん。チトセくんがね、そういうことしてくれたの、初めてだから。嬉しかった」

「他の皆は?」

「カナミの剣舞があるから、そこで待ってる」


 彼女の剣舞の時間とかぶっていないことを確認したうえでのシフトだったのだから、まず間に合うはずである。


 それでも何となく気分は急いていた。


 アリシアと並んで歩くこと数分。大講堂を使うらしく、途中には案内板が見える。

 それから到着すると、既に講堂のほとんどが埋まっていた。しかしアリシアが向かう先にはアオイたちがおり、二人分の席を確保してくれていた。


 チトセは席に着くと、猛烈に眠くなってきて、欠伸をする。


「始まるまで寝ていたらどうかしら?」

「そうする。始まる頃になったら起こしてくれ」


 瞳を閉じると、すぐさま体は深い眠りに落ちていった。




 体を揺さぶられるような感覚を覚えて目を開けると、辺りはすっかり暗くなっていた。否、照明が落とされているだけで、どうやらそこまで時間は経っていなかったらしい。


 舞台に上がっている一人の少女が、演目の開始を告げる。


 袴姿の少女たちが姿を現して、舞いを披露していく。

 元の世界で見たことがあるわけではないので、その巧拙や違いなどはよく分からなかった。だがしかし、日ごろから剣や刀を扱っていることもあって、その動きは一般の者とは一線を画する。


 それから暫くして、カナミが壇上に姿を現した。緋色の袴を纏った彼女は、いつもと雰囲気が異なる。


 凛とした空気を伴って彼女は、すっと刀を抜く。

 対比的なほど白い手が見事な軌跡を描き、遅れて銀の刃が煌めく。


 ゆったりとした舞い。そして緩急を付ける、素早い刀の一振り。

 それらの調和した様は、もはや芸術的と言うほかはない。


 カナミは一歩前に出て、刀を振り下ろす。それから片手で刀を持ち、先端を上に向けたまま、体の軸を中心とした弧を描くように、前から横へと動かしていく。


 刀の背を鞘に当てる様に近づけて、すっと横に滑らせる。そして納刀。


 チトセはカナミに見惚れていた。

 その所作の技巧だけではない。どこか達観したようにも見える彼女の表情は、尋常ならざるほどの美しさと、何かを成し遂げる者の圧倒的な存在感を持っている。


 いつしか震えあがるほどに、チトセはその魅力に取りつかれていた。




 演技が終わって帰って来たとき、カナミはすっかりこれまで通りのあっけらかんとした様子だった。


「どうだった!? 上手く出来たと思うんだけど!」

「ええ、とてもよかったわ」


 カナミは感想を求める。出来にはよっぽど自信があるらしい。


 チトセは彼女の姿を眺めていると、嬉しそうにこちらにずいと身を乗り出して、同じように尋ねてくる。褒めてほしいのだろう。


「カナミ、綺麗だったよ」


 一瞬でカナミはゆで上がったかのように、真っ赤になった。その早業たるや、どんな演技派女優であろうと、真似などできやしないだろう。


 チトセはそんな彼女の姿を眺めながら、先ほどの彼女の姿を思い返す。そのどちらも、大切な彼女の一面なのだろう。


 それを身近で見ることができる自分は何と恵まれていることか。ふと、そんなことを思った。


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