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第五話 貴族

 それから暫くチトセは部屋の設備の確認をしていた。寮なのに一人部屋だというのは、やはり厚遇で都合がいい。そして防音も良く出来ているようで、隣の音は全く聞こえてこない。隣に人がいないだけなのかもしれないが。


 そして何故かベッドはキングサイズで人が二、三人は寝られるようなものだ。元々二人部屋だったとしても、普通は二つのシングルベッドを用意するのだから何故これを用意したのかは理解に戸惑う。そしてずっと一人部屋だとも聞いている。


 それから部屋についているものはユニットバスではなく、風呂トイレが個別になっているものだ。寮には大浴場があるというのにも関わらず、風呂はやけに気合が入っており、二人は入れそうな広々とした浴槽に、シャワーが二つ。


 どうにも誰かと共同生活を送ることを前提としているとしか思えないが、そういった話も聞いてはいない。とはいえとりあえず広々として快適なのだから、気にする必要もない。


 しかも頼んでおけば毎朝部屋の掃除もしてくれるという。まさに至れり尽くせりなのだ。


 それから部屋にいても特にすることもなかったので、チトセは部屋を出た。廊下には知り合いと駄弁っている生徒たちが何人もいる。しかしチトセはこれといった知り合いがいないため、話し相手などいない。


 それからラウンジをちらりと覗いてみるが、何やら栗色の髪の少年を取り囲むようにして輪が出来上がっていた。その様子を見るに、どうやら貴族の少年とそれに取り入ろうとする生徒たち、というのが一番しっくりくるだろう。


 いくら学園が地位などを気にしないとはいえ、生徒たちは将来のことを考えると全く気にしない、ということはできないのだろう。中心にいる少年は特に気取った様子もなく、自然体でそれを受け入れていた。


(貴族様、ねえ……)


 そこでチトセはカナミも公爵家だったな、と思い出した。そして自分も貴族に取り入ろうとするあの金魚の糞みたいな連中と変わりないことだな、と笑った。


 外に出ると日が真上に来ていることから、どうやら正午らしい。基本的にこの世界は元の世界と大した変わらずに作られている。運営が設定を考えるのが面倒だったという説や、戦闘をせずにただのんびりと生活したい人も対象にしたとも言われていた。


 それが変わってしまったこの世界でもそうであるかは不明だが、今のところ街の発展やモンスターの狂暴化以外にそれらしい変化は見られない。


 学生寮を出てから北の厚生棟に向かう。そこは学園の教育棟の東に位置しており、授業の合間に訪れることが出来るようになっている。一階は各種サービスおよび医務室、二階は食堂、三階は購買となっている。


 先ほどの戦闘で上衣は斬られて血が付いたままなので新しい衣服を購入するためと、昼食を取るために来た。とはいえ残金は10万ゴールド。ゲームのときには武器防具以外購入する必要が無かったため貨幣価値はよく分からないし、何より街が発展していることからも価値はこれまでのものとは異なるだろう。


 とりあえず昼食代くらいはあるだろう、と先に腹を満たすことにした。二階に上がって、ガラス張りのケースの中に展示されているメニューの模造品を見ながら、値段を確認する。値段は数百ゴールドから一万を超えるものまで様々である。庶民から貴族までの要望を満たすためだろう。貨幣価値はどうやら1ゴールドが1円程度の認識で問題ないようだ。


 チトセはこれからのことを考えて、とにかく安いものを選ぶことにした。とにかくこの建物は広いため、昼時でもそれほど並ぶことは無いらしく、混雑することなく快適な時間を過ごすことが出来るようだ。


 280ゴールドで購入したかけうどんの食券をカウンターで渡して、暫くしてからうどんを受け取る。こうしていると、別の世界に来てしまったことなど忘れてしまうほどに平和だった。


 早速席について食べようかと思っていると、呼ぶ声が聞こえた。


「あー! チトセくん! こっちこっち!」


 声のした方を見ると、カナミが手を振っている。着替えて来たのか鎧は着けておらず、動きやすそうなTシャツにズボンというラフな格好をしていた。あまりに大声を出すものだから、チトセだけではなく、周囲の生徒たちは何事かと彼女の方を見ていた。チトセがその方に向かっていくと、やがて生徒たちは興味をなくしていく。


 彼女といると必要以上に目立ってしまう。そんなことを考えながらも、楽しげな彼女を見ていると何も言えなくなってしまった。


 カナミの隣には白髪の小柄な少女がいた。彼女は既に食事を終えていたのか、机に突っ伏していたのだが、眠そうに目を擦りながら体を起こした。ぼんやりとした表情の彼女は一度チトセを見てから、再び机に凭れ掛かった。


 彼女は上にローブのようなものを纏っているため体型ははっきりとは分からないのだが、小さな体に反してそれなりの大きさの胸が机の上に置かれる。机に下から押し上げられることで、それは存在感を増していたのだ。チトセはほんの一瞬だけそれに気を取られるが、さすがに失礼だと机に昼食を置いてカナミの方を見た。


「あなた、誰?」


 少女は小さく首を傾げた。カナミはその疑問に答えて、先ほどのことを話す。その際、しっかりとチトセのジョブレベルを告げていたのに悪気はないのだろうが、友人として付き合っていくには少々難があるようにも思われた。少女はふうん、と興味なさげに答えた。


「俺は千歳。水明郷千歳。これから仲良くしてくれると嬉しい」

「うん」


 少女はそれだけしか答えなかった。


(あれ、俺嫌われてる……?)


 そうしてチトセが戸惑っているとカナミが代わりに紹介してくれた。彼女の幼馴染で親友らしい。


「彼女はナタリ・アスター。ちょっと無口でのんびりしてるけど、とってもいい子なんだよ!」

「へえ。じゃあナタリって呼んでいいかな?」

「うん」


 どうにもナタリは反応が薄い。嫌われているわけではないのだと分かったが、興味を一切持たれていないというのもそれほど違いはないような気がした。


 それからチトセはずるずるとうどんを啜り、カナミは大盛りのラーメンを啜った。チトセは、貴族の作法は完璧で優雅に食事をするものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。カナミが特別なのかもしれないが。


 そうしてチトセとカナミが食事を終えた頃、先ほどラウンジで見た少年たちが姿を現した。カナミはそれを見ると、不機嫌そうな表情を浮かべた。貴族同士、チトセには知る由もない何らかの関係があるのだろう。


「ナタリ、チトセくん行こう」


 カナミが立ち上がると、ナタリは渋々席を立つ。横を通り過ぎるとき、少年はちらりと一瞥をくれるだけだった。


「チトセくんはこれからどうするの?」

「とりあえず替えの衣服を買いに行こうと思ってるんだけど、二人は?」

「帰る」


 ナタリはくるりと向きを変えて、寮の方に歩き出した。カナミは慌ててその後を追って、それから振り返ってチトセに手を振った。


「それじゃ、またあとでね! クラス、一緒になるといいね!」


 チトセは手を振りかえして、それから二人の暫し眺めた。全く性格が異なるのに、上手くやっていける。そんな関係は何だかうらやましく思われた。


 三階の購買には、武器防具まで販売されていた。出入り口の所にはショーケースの中に巨大な剣と盾が展示されており、値札には100万と書かれている。以前であれば軽く出せる額であったが、手持ちは9万9720ゴールドしかない。


 何とも心許ないが着替えが無いのは不便だろう、と商品を見ていく。回復薬や召喚用道具などの消耗品は少し稼げば何とか買える価格だが、武器防具はどれも手持ちの金では買えない価格だ。しかし普通の衣類は安いものもあり、下着などを含めて三着ほどを3万以内で購入することが出来た。


 これで手持ちは6万ゴールド。一か月もあれば使い切ってしまうような額だ。何とかして金策をしなければと思うものの、当面は新生活に慣れることを優先することにした。


 帰ったら注意事項などの冊子を読み直したり、ジョブスキルなどを確認しようと思いながら、寮への帰り道で、食事を終えたらしい先ほどの少年と出くわした。チトセは面識があるわけではないので挨拶などはしなかったが、向こうは気が付くと話しかけてきた。


「おや、君は先ほどセイリーンと一緒にいた……」

「どうも」

「知らないようなので言っておこう。セイリーン家は我がバークリー家と同じく四大公爵家の一つだが、不祥事があってね。あまり状況は芳しくない。それにあいつは人を統べる器じゃない。そうだな、仲良くするならあいつと一緒に居たアスター家の者の方がいい」


 このバークリー家の少年によれば、ナタリも公爵家の者らしい。改めて人は見た目によらないものだとチトセは思う。しかし自分に取り入ればいいとは言わない辺り、純粋な厚意なのだろう。


「御忠告痛み入ります。ですが私は貴族様の事情には疎く、それどころか公爵家の名前を今初めて聞いたばかりです。どうぞご心配なく」


 誰もが貴族に取り入ろうとしたいわけではない。それはチトセがこの世界の人間ではないから思うことなのかもしれない。しかしそんな皮肉を込めてそう言った。案の定、取り巻きたちは不快感を覚えたようだったが、バークリーの少年は柔らかい笑みを浮かべた。


「そうか。ならいい。邪魔したな」


 少年はそう言って去っていく。別にカナミを嫌っているわけではないのだろうか。何か家同士の確執があるのかもしれない。


 チトセは、遠くなっていく少年の後姿を眺めた。


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