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第十六話 御挨拶

 アオイからメッセージが届いたのは、その日の放課後だった。授業が終わって一旦寮に戻ったときに、通信端末がメッセージ受信のメロディを奏でたのだ。



 差出人

 アオイ・キサラギ


 題名

 お暇はありますか


 本文

 チトセくん、今日は時間あるかしら?

 今、こちらにお母様が来ているのだけれど、チトセくんに会いたいって言われて。

 急な申し出でごめんなさい。

 無理なら構わないから、あまり気にしないでね。




 チトセは携帯端末に表示されているその文面を眺めながら、早くも緊張しつつあった。なにより、礼節を欠いてしまう可能性は非常に高い。そしてその相手が貴族であれば、色々と問題もあるだろう。


 アオイたちも貴族だとはいえ、普通の気が置けない付き合いをしてきた。それゆえに、テーブルマナーなどもそれほど気にされることはなかったのだ。しかし、その親御さんと会うとなれば話は別である。


 そんなことを考えつつも、拒否するのもどうかと思われる。覚悟を決めて、メッセージを記入、送信する。



 題名

 時間について


 本文

 今日は何も用事はないから、大丈夫だよ

 そもそも忙しい日もあまりないし


 会うとなれば礼装で行った方がいいよね?

 俺そういうの全く持ってないから、今から準備するよ



 チトセは金に余裕ができてからも、ほとんど貯蓄して結局装備につぎ込んだため、衣服は普段着しか持っていない。

 それ故に慌てて出掛ける準備を始めたのだが、すぐにメッセージは返ってきた。



 差出人

 アオイ・キサラギ


 題名

 実は


 本文

 もう寮まで来ているの。

 チトセくんが準備出来たら、会いに行くから、そのときに教えてね。


 公式なものではないから、服装は気にしなくていいわ。

 用事があるついでに寄っただけだから、深く考えないでね。



 チトセはメッセージを受け取るなり、大慌てで支度を始めた。女性は待たせるものではない。アオイは気にしなくていいというが、それは自身の親相手に思うことだからである可能性も捨てきれない。彼女は基本的に事実を伝えてくれるが、何かあってからでは遅いのだ。


 第一印象が大事である。よれよれのシャツで行くのはさすがに失礼にあたるだろうし、そんな人物と付き合っていると思われたら、アオイにも悪いだろう。


 インベントリには良さそうな衣服はない。大急ぎで購買部に走ることになった。



 それから数分で買い物を済ませ、自室に戻って来るなり着替える。買ってきたのは少しフォーマルっぽいブレザーとスラックス。正装でないものの、多少は品があるように見えるものだ。

 ファッションには疎いので店員さんに尋ねて適当なものを選んでもらったのだが、普段着ないものであり、中々違和感は拭えない。


 鏡を見てみると、案外それも悪くない。

 元の世界にいた頃であれば、似合わなかったのだろうが、どうにも何らかの補正が掛かったのか、この世界に来てからは見た目はあまり悪くはないのだ。イケメンを自称するわけではないが、それなりにまともな顔つきなのだから、笑われるほどではないはず。


 時間を確認すると30分と経っていない。早速アオイにメッセージを送る。



 題名

 準備出来たよ


 本文

 どこで待ち合わせすればいいかな?

 それともそっちに向かった方がいい?



 これから会うことを思うと、心臓は早鐘を打つ。

 通信端末からメッセージ受信の音が鳴ると、ますます緊張が高まっていく。



 差出人

 アオイ・キサラギ


 題名

 それなら


 本文

 寮の前でいいかしら?

 母が夕餉を一緒にって言うんだけど、よかったら付き合ってね

 

 チトセくん、慌てて準備したでしょう?笑



 どうやらアオイにはお見通しらしい。もっとも、誰でも分かることかもしれないが。

 チトセは最後にもう一度だけ身だしなみを確認して、自室を出た。


 寮を出ると、丁度向こうから歩いてくる二人の女性が見えた。

 アオイとよく似た女性。その女性の方がやや垂れ目で可愛らしい容貌をしており、背も少しばかり大きい。しかし艶やかな黒髪はそっくりで、和服によく似合っていた。


「チトセくん。ごめんね急に」

「いや構わないよ」


 それからアオイはこちらを上から下まで眺める。


「その服、買ってきたの?」

「ああ。……変かな?」

「そういう格好もいいと思う。うん、似合ってる」


 そう言われるとつい嬉しくなる。アオイはあまり着飾る方ではないが、センスはいい。


「ところでそちらは、お姉さん?」


 女性はくすくすと上品な笑みを浮かべた。

 一方でアオイは少しばかり呆れたような表情をしている。


「何言ってるのチトセくん。お母様よ」


 チトセは暫く考えた挙句、そういえばこの世界の女性は老化が遅いことを思い出す。テロメラーゼ活性を持つため、いつまでも若々しいのだ。


 しかしどう見ても十代であり、高くても二十歳そこそこにしか見えない。この世界に来てから、40代以上と思しき女性は見たことがない。これまで尋ねたことはなかったので全く知らなかったことだが、もしかすると、実年齢と彼の考える見た目相応の年齢が大きく乖離しているのかもしれない。


 となると、ずっと30代だと思っていた鍛冶屋の店主も、結構な歳なのかもしれない。確かに店主になるには若すぎる気はしたが。


「あ、それは失礼しました」

「いえいえ。お気になさらず。初めまして、アオイの母です」

「初めまして。千歳水明郷と申します。アオイさんには日頃よくお世話になっています」

「そんなに畏まらなくていいですよ。いつもアオイからよくお話は聞いていますから」


 ゆったりと話す彼女は、穏やかな人柄のようだ。

 落ち着いているのはアオイとよく似ているが、幾分かのんびりしているようにも思われる。親子だなあ、と思いながら、チトセは暫し挨拶をした。


 その間、母娘の対話する姿は羨ましいものであった。

 この世界でチトセの肉親は存在せず、元の世界でもそういった触れ合いはなかった。もはやそうしたものを欲するような歳ではないが、見ていると微笑ましい気分になってくる。


「これからどうなさいますか、お母様」

「まあ、お母様だなんて。ふふ、チトセさんは気が早いですね」


 名前を知らなかったからそう呼んだのだが、どうにもお義母様(かあさま)という意味に取られたらしい。もっとも、それは間違ってはいないのかもしれない。このまま関係が進んでいけば、そうなる可能性が高いのだから。


「あの、チトセくん? ちょっと恥ずかしいのだけれど」

「ああ、すまない。えっと、お母様のお名前をお伺いしたいのですが」

「ごめんなさいね。私はアヤメと申します」


 そういって、アヤメはにっこりとほほ笑む。その仕草はどことなくアオイと似ている。


「チトセさんは僧侶として非常に優秀だそうですね。その節はありがとうございました」


 すっかり過去の出来事として気にしてはいなかったのだが、元々アオイは病弱だった。今は全くそんなことはなく、健康なのだが。そんなこともあって、アオイは一つ年上だ。


「いえ。大したことはしてませんので」

「アオイからお友だちが出来たってメッセージが来たんですよ。それまでは学園も嫌がっていたのに、すっかり喜んじゃって。その上元気に通うようになったのですから、とても驚きました」

「お母様。あまりあのときのことを話されると恥ずかしいのですが」


 そんなことがあったのか、とチトセは以前のことを思い出す。思えば、アオイに会った頃は彼自身も随分とへこんでいた。強くなる目途は立たず、クラス内最下位の汚名を被ることになった。


 クラス内にも居場所がなく、そんな中で会ったのが彼女だ。おかげで随分と救われたものである。


 あの頃は単なる友人、あるいは親友としてしか見てはいなかったのだが、どうやらアオイはそのときから好意を持ってくれていたようだった。

 それは素直に嬉しく、喜んでもいいことだろう。


「アオイがとても気に入っている殿方ということで、お会いしたいと思って」

「実際会ってみて、どうですか?」


 面と向かってお前など糞くらえと言う者はいないだろうから、冗談半分に聞いただけである。

 彼女はそれに、笑顔を崩さずに答える。


「アオイから聞いた通りの人柄でしたよ」


 彼女は人を悪くいうようなことはないから、悪評だということはないだろう。しかし、誇張していうこともないから、普段の情けない姿をそのまま知らせているかもしれない。


 彼は元の世界では婚約者どころか彼女もいなかった。縁遠いように思われていた彼女の母親への挨拶をしているのだと思うと、つい緊張してしまう。いい印象を与えられずとも、悪い印象は抱かれないように、と。


 そんな内心を感じ取ったのか、アオイは話題を変える。


「お母様はアスガルドに来たことがなかったそうだから、これから案内したいのだけれど、チトセくんはどうかしら?」

「ぜひご一緒させていただきたく」


 どちらかと言えば、チトセ自身も案内される側になるだろう。ここ二か月で、行った店と言えば鍛冶屋と料亭、ショッピングモールくらいだ。


 それから三人は門の外に向かって歩き出す。


 チトセはこれから、彼女たちの両親と何度も顔を合わせることになるのだろうか、と想像をめぐらせた。そしてそのとき、認められるような人物になっていなければ、と決意を新たにした。



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