第十二話 街へ
西の森の奥地は早朝だというのに薄暗く、木漏れ日だけが辺りを照らしだしていた。ゴブリンの駆除が定期的に行われているとはいえ、やはりその数が多いことに変わりはない。
そこには数体のゴブリン、ホブゴブリン、そしてその中心には一際大きなゴブリンリーダー。多少は高い知能を持つそれによって、一つの集団が形成されていた。
緑色の小鬼たちは醜い悪鬼の様な顔をくしゃくしゃに歪めて、そして各々の武器を持つ腕に力を込めている。
チトセはそれらを一瞥すると、一振りの剣をインベントリから取り出した。それはアオイに貰った、愛用の剣。
そして片方の手には何も持たぬまま、その集団へと突っ込んでいく。
ゴブリンリーダーが戦慄いた。彼我の差を感じ取ったのかもしれない。
動揺は集団内に伝播していき、そして隙が生じる。
チトセは一瞬にして距離を詰め、防御すらままならぬ二メートル近いゴブリンの胴体を切り裂く。
まずは一体。近くにいた敵を仕留める。そしてゴブリンリーダーとの直線上を塞ぐ敵はいなくなった。
インベントリから短剣を取り出し、空いている方の手に構えた。
スキルは何もついてはいない安物だ。しかしそれでも用途を果たすのには十分。
短剣を投擲すると、それは狙いを過たずゴブリンリーダーの腹部に突き刺さった。その途端スキル【毒】が発動し、敵は苦しみで咆哮を上げた。
じわりじわり、と体力が失われていく盗賊のスキルだ。一部の敵には効かないものの、長期戦においてはそれなりの効果を発揮する。
チトセは一旦ゴブリンの集団から距離を取る。
既に周りにいたゴブリンたちがわらわらと集まってきていた。
インベントリに剣を収納、それと同時に敵に向けてスキル【サンダー】を放つ。
空いている手から放たれた雷撃は、集団内を次々と伝わって、衝撃をもたらしていく。ゴブリンたちは硬直し、それまで動いていた集団は固められたかのように動かなくなる。
チトセは敵に向かって飛び込み、インベントリから取り出したゴブリンキングの大剣を構えた。
そして、敵との距離が近づき、ゴブリンたちの集団の中に入る。
この距離ならば、巻き込める数は5,6体ほどだろう。
大剣を水平に、そしてスキル【回転斬り】を発動。
巨大な剣は急速に勢いを増し、血肉が撒き散らされる。数体のゴブリンは上半身と下半身が二つに分かれていた。
そして赤い雨が降る中、すぐさま武器を片手剣に交換する。
途端、斧が降ってくる。眼前には飛び掛かってきたホブゴブリン。
チトセは敵の懐に入ることでその刃を回避。そしてホブゴブリンを薙ぎ払う様に、剣を振るう。
それは慣れた動作。緊張も気負いもなく、ただ最適化された行動。
あまりに無慈悲かもしれない。敵を狩ることへの敬意や動揺、憐憫の情はそこには何一つ存在しない。
ただ、最も効率的に敵を仕留める。それだけに特化していた。
そして三度刃が振るわれると、そこに残っているのはたった一体のゴブリンリーダーだけになっていた。
敵は真っ直ぐにこちらを見てくるが、毒のダメージで弱っているのか、息が上がっている。警戒するまでもない相手だった。
叫び声と共に大剣が振るわれる。
大振りで、緩慢な一撃。それを躱すのは造作もないことだった。
体を揺らすようにして射線上から遠ざけ、軽く剣を添えてやることで受け流す。
そして懐に入るなり、その両腕を切り上げた。
大剣は腕ごと地に落ちる。そして無防備な胴体が晒されていた。
チトセは剣を振るう。さほど重量のない剣は軽々と宙をひるがえり、朝日に輝いた。
そして、巨体が地に倒れる。
全てのモンスターは、一分足らずの間で仕留められていた。
チトセは剣の血を振り払い、インベントリに収納。それからモンスターの死骸を回収していく。
西の森のモンスターにそれほど強いものはいない。唯一その例外を上げるとすれば、ボスモンスターだろう。それだけは周囲のモンスターとは一線を画する力を持っている。もっとも、日ごろから現れるものでもなく、出現するなりすぐに依頼に出されて狩られるのが一般的だ。
それでもいまだにこの場所に来ているのは、他に狩場がないからである。つい先日行った坑道はゴーレムという比較的強力なモンスターもいるが、どちらかと言えば技術より単純な腕力が要求されるため、膂力に劣る彼にとっては望ましい狩場ではない。
加えて、坑道は逃げ道が少ないということや、モンスターの数もそう多くはないというのもある。狩場としてはあまり人気のある場所ではない。
そろそろ別の場所も開拓しようとは思うものの、そうなると街から離れた場所になってくる。早朝の狩りには向かないだろう。あまり時間をかけて遅刻するのもよくないのだから。
チトセはモンスターの回収を終えると、インベントリから時計を取り出して時間を確認する。時刻は7時。4時ごろから続けてきたため、これで3時間ほどになる。
今日は9時から予定があるから、これで切り上げて帰ることにした。
歩きながらステータスウィンドウを開き、レベルを確認する。
水明郷千歳 Lv18
固有ジョブ
【転生者Lv14】
メインジョブ
【剣士Lv50】
【戦士Lv32】
【侍Lv10】
【弓使いLv38】
【槍使いLv12】
【盗賊Lv34】
【魔法使いLv26】
【僧侶Lv49】
【獣使いLv38】
これまで何度も確認しているのだが、とうとう剣士のジョブレベルが50になった。全体の半分である。だからどうということもないのだが、ようやく半分まで来たというのは、感慨深いものだ。
主に使用するジョブはよく上がっているが、手つかずのジョブも多い。それに関しては、ジョブレベルが高くなるにつれて上がりにくくなってくるため、それから手を付ければいいだろう。
それと比較すると本体のレベルはあまり上がってはいない。
この世界に来たばかりのときから比べれば、かなり上がっている方であり、フィードバックのスキルを得てからの上がり方は目を見張るものがある。それでも、まだ18でしかない。
ゲームであったときは、2,3日もあれば到達できるようなレベルだ。決して高いとは言えないだろう。
とはいえ、ジョブレベルに関しては、この世界の最高レベル保持者を超えているものもいくつかある。随分と上がったものだ。
チトセはウィンドウを閉じて帰る足を速めた。
血を洗うため風呂に入ったり、装備の手入れをしたり、朝食を取ったりしているうちに、時刻は8時30分を過ぎていた。
少々早いが行くことにしよう、と自室を出ようとして、最後に鏡を見ておかしなところはないか確認する。
ジーパンにシャツで、清潔感のあるようなものだ。あまりファッションに興味がないため、お洒落な格好なども分からず、これ以上どうこうする気にもなれない。
自室を出て、待ち合わせ場所の学園の門のところに向かう。
今日はデートである。人生初のデートだ。そう思うと、心が弾んでくる。
少々浮かれながら歩いていくと、そこにアリシアの姿を見つけた。
「おはようアリシア。待った?」
「ううん。さっき来たところ」
アリシアは花咲く様な笑みを浮かべて、歩み寄ってくる。
フリルの付いたスカートで、深い青色の髪は少し伸びているため肩よりも長く、ハーフアップにしている。大人しくも着飾った彼女はどこかのお姫様のよう。
チトセは自分とは不釣り合いなほどに愛らしい少女を前にして、急に現実味がなくなってくるように思われた。
アリシアはそんな様子を、どこか不安げに覗き込んでくる。
「それじゃ、行こうか」
彼女の手を取ると、彼の方からそうするのが意外だったのか、目を見開いた。それから手だけでなく腕をも絡めるように寄り添ってくる。
そろそろ春も終わりに近づいてきている。そのためアリシアも半袖で、素肌が触れ合う。
一つ、唾を飲む。緊張は中々解れない。
街に出ると、今日は祝日ということもあって、結構な人通りがあった。それでも男性とともに出歩いている者はあまり見られない。それもそうだろう、そもそも男性の数が少ないのだから。
それから暫くウィンドウショッピングをする。
チトセは色々新しい知識が入って来るから見ているだけでもそれなりに面白いのだが、彼女の方はどうなのだろうか。
「アリシア、デートって、こんな感じでいいのかな。今までしたことなくて」
そんな情けない言葉にも、アリシアはにこやかな笑顔を浮かべる。
「えっと、じゃあチトセくんの初デート、もらっちゃった。……私はチトセくんと一緒に居るだけで、とても楽しいから」
白い頬がうっすらと紅潮する。その対比的な色合いには、一切の混じりけはなく、思わず見とれてしまうほどであった。
暫く見つめ合う形になって、それからどこかぎこちなく視線を逸らした。ほんの少しばかりの気恥ずかしさを抱きながら、街を行く。
しっかりとつないだ手は、彼女と二人でいることを確かに伝えてくる。緊張からか手が汗ばみ、嫌に思われないだろうかとアリシアの方をちらりと見る。
彼女は楽しげで、変わらない笑みを浮かべていた。
それから暫く沈黙が続いて気まずくなったところで、大型の総合ショッピングモールが見えてきた。
「あまり街には来ないけど、大規模な店もあるんだな」
この世界では家族経営の商店が多い。それは人の身体能力が高いことや、家族の規模が大きいということもあるのだろう。確かに夫と妻だけで十数人もいれば、従業員を雇う必要性はどこにもない。
加えて共同生活を送るうえで、全員が近場で仕事を見つけるとなると多少は面倒であることや、転勤の可能性も考慮すると、家族経営の店を持つ方が都合がいいのだろう。
もっとも、この世界ではあまり転勤は多くはないらしい。それは町ごとに独立した都市圏を構成しているということや、移動するための公共機関がバスくらいしか存在せず、個人で車を持っている者がほとんどいないということもある。
それはモンスターがあまり存在しない地域に街が形成され、比較的安全な地域に街道が続いているのだが、街から離れるにつれて危険度がより高まるというのが主な理由だろう。
ともかく、この世界では他の分野に比べると、情報通信、輸送機関に関する分野は未発達であった。
「あのお店、最近出来て、人気らしいの。行ってみる?」
アリシアが言う様に、そこは多数の人が出入りしていた。珍しいということもあって人が入るのだろうが、その地域の人たちは反対しなかったのだろうか。大型店舗が進出すれば、個人経営の店に人の出入りは少なくなる。
それは地域経済の悪化にもつながりかねない。もっとも、そんなことは利用者からすればあまり関係はないことなのだが。
「じゃあ行ってみようか」
そうして中に入ると、その形態は元の世界のショッピングモールとさほど変わりはない。とはいえ、ここアスガルドは首都から少々離れているということもあって、あまりこうした建物は多くないのだろう。
アリシアはあまり慣れていないように、辺りを見回していた。
「人、すごい多いね。チトセくんは、見たいものある?」
「いや、特にはないかなあ。というか、何があるのかもあまり分かってないから」
「じゃあ適当に、見て回ろう?」
それから二人は歩き出す。いくつかの店舗を横切りながら、それを眺める。
学園内の購買部とは随分と変わって、あまり実用的でないような物も多い。チトセは近くにあった小物入れを手に取った。
木製で草花の模様が彫り込まれた小箱。女性はこういった類の小物を好む傾向があるという偏見を彼は持っている。
彼自身、箱なんて段ボール箱に突っ込めばいいという程度にしか考えたことはなく、自宅ならば袋もビニール袋で済ませていた。
「そういえば、寮であまりこういうの見たことないな」
「私たちにはインベントリがあるから。かえって、不便になっちゃうもの」
「それもそうか」
商品棚に戻して、それから再び歩き出す。
アリシアはどんなものが好きだろうか。そう考えて、何も彼女のことを知らないのだと、思い至る。
「アリシアは何か欲しいものある?」
尋ねると、彼女は少々俯きがちになって、ゆっくりと上目づかいで見上げてくる。
「えっと……指輪とか」
それは婚約指輪ということだろうか。
この世界では消極的な男性に対して、積極的な女性というのが一般的であるが、それは彼女にも当てはまるのだろう。
それが嫌なわけではないのだが、将来の見通しがまだ立たないというのが本音である。彼女の将来を縛る選択を、安易にしてもいいのか、と。
しかし尋ねてしまった以上、見るくらいはするべきだろう。
「じゃあ行ってみようか」
アリシアは小さく頷いて、握る手にほんの少し力が籠った。
それから近くのエレベーターまで行って、到着するのを待つ。世界一安全な乗り物であるそれはこの世界でも広く普及している。
ドラゴンの領域として空が禁忌であるこの世界で、超高層ビルなどは見られない。それ故にエレベーターはあまり普及率が高くなくても不思議はないのだが、非常に進んだ技術を持っているようだ。
やがて到着すると、乗っていた人が一斉に降りてくる。それが終わるとチトセもまた、中に乗り込んだ。
そしてさほど大きくないエレベーターの中に、押し合いへし合い女性たちが入って来る。何人もの女性に囲まれた密閉空間ということもあって、少々居づらさを覚えずにはいられない。
やがてドアが閉じると、アリシアがこちらに押し出されてきた。そしてその体が密着する。
抱きしめられるより強く触れ合い、少女の柔らかさがはっきりと伝わってきて、そして二つの膨らみが押し付けられる。
それは彼女が女性であることをよく知らしめる。そしてほんの少しだけ、友人より進んだ関係であるということも。
鼓動が早くなりそれが彼女に気付かれていないか、夢見心地ではいられなかった。アリシアもまた、ほんのりと顔を赤くしていた。
やがてエレベーターは止まり、多くの人を吐き出していく。
二人は降りると、顔を合わせづらくて、しかししっかりと手は握っていた。
「えっとさ……指輪だったよな」
「うん……」
そこで会話は途切れる。
チトセは何か話題はないものだろうかと思いを巡らせるも、まだ完全に落ち着きを取り戻してはいない頭は、何も思い出してはくれない。
そして繋がっている手の温かさを改めて覚えると、どうにも冷静でいられなかった。
それからようやく指輪売り場に辿り着くと、チトセはほっと一息ついた。しかしすぐにその表情は硬いものになっていく。
指輪の価格はとにかく高かった。もちろん、数万ゴールドの安いようなものもあるのだが、貴族に売れていると書かれているコーナーにあるようなものは百万ゴールドを軽く超えている。
貴族はある意味アイドルの様な側面も持っており、庶民の憧れの的でもある。それは元の世界とあまり変わらないだろう。かけ離れた華々しい生活に理想を見出すのは何も珍しいことではない。
そしてアリシアもそんな憧れられる人々なのだから、安物を身に付けるわけにもいかないだろう。
アリシアは近くにある指輪を眺めており、その価格は決して高いものではない。チトセもまた、高いものから安いものまで目を通していくが、これまで一度も指輪など見たことはなかったので、全く良し悪しは分からなかった。
「アリシアは指輪とか結構詳しいのか?」
「ううん。貰いものをたまにつけたりするくらい」
貴族となれば贈り物とかも頻繁にあるのだろう。チトセには遠い世界に思われた。しかしそんな彼女の手が自分の手中にあるということは、確かだった。
それから少しして、アリシアは店を出るように促す。
「もういいのか?」
「うん。指輪自体が欲しかったわけじゃないの。チトセくん、あまり乗り気じゃないみたいだし」
チトセは以前、アリシアに求婚されたことを思い出す。半ば勢いで言ってしまったようなところはあるのだろうが、それでも彼女の本心には変わらないだろう。
「もし俺が君に相応しい指輪を買えるようになったら、君に贈り物をするよ」
それははっきりとはしない言葉。断定を避けた曖昧で仮定の話。
断言できるほどの自信も、それだけの知識もなかった。まだ、この世界のことを何も知りはしないのだから。
けれどアリシアは微笑んで、彼の手を包んだ。その笑みは、とても美しいものであった。
「ずっと、待っています」
チトセは小さなその手をなぜか頼もしく思った。
身寄りもなければ頼みにする者もいないこの世界で、自身の存在を認められるということは、嬉しくもあり幸せなことであった。
それからどれほどそうしていただろうか。
宝石よりもずっと美しい彼女の瞳に、心を奪われていた。




