第十一話 彼女の部屋で
チトセはあまり人気のない廊下を歩いていた。そしてそこは女子寮。
元の世界の感覚が抜けきらない彼にとって、それはどこか禁忌のようにも思われる。
これまでアオイたちの部屋を何度か訪れているが、その際に男子生徒にあったことはない。無論、ここは女子寮だからそれが当然なのだが。
そういえば、とチトセは授業中に聞いた話を思い出した。普段は真面目に聞いてはいないものの、ちょっとした余談のようなものはよく覚えているものだ、と我ながら感心する。
修学旅行中には異性の部屋に行くというイベントは付き物である。もっとも、男子校だったため経験したことはなかったが。
その際、毎年夜這いをかけようとする少女たちが先生によって捕まえられるらしい。それは性暴力的な内容を含む可能性があるからだそうだ。しかしその逆は割と見過ごされているらしい。
正直よく分からない、というのがこの世界の観念に対する考えであった。
そして彼女の部屋に到着すると、ドアチャイムを鳴らす。少し経つと、扉が開いてメイベルが顔を覗かせた。
「チトセ、入って入って」
メイベルに手招きされながら、チトセは部屋に入る。彼女はパジャマ姿であり、普段見ないその姿は妙に可愛らしい。
普段の様子からだと、散らかしてそうなイメージがあるのだが、メイベルの部屋は割と綺麗になっている。
「なになに、私の部屋が気になるの?」
「メイベルじゃあるまいし、人の部屋を漁ることなんてしないさ。案外片付いてるんだなって」
「そりゃ私だって、片付けくらいするよ」
確かに偏見を持つのはよくない。
チトセが考え直そうとしたとき、メイベルはあっけらかんと告げる。
「全部インベントリにぶち込めば終わるからね」
どうやら以前チトセの部屋に来たとき、インベントリに私物を隠してる疑惑を呈したのは、実体験に基づく考えだったらしい。
メイベルがベッドに腰かける隣に座り、チトセはインベントリから持ってきたものを取り出す。
「ほら、これでいいんだろ」
「いやー悪いね。助かったよ」
それは風邪薬。メイベルは坑道に出かけたあの日、水を浴びてから案の定風邪を引いた。そして今日は授業も休んで寝ていた。
そしてアリシアの通信端末にメイベルから連絡があったのだが、彼女やアオイは学祭の用事があるということで、チトセがくることになった。女性の方がいいとは思うのだが、唯一暇だったはずのナタリは気が付いたときにはいなくなっており、行かざるを得ない状況になったのである。
メイベルはティッシュを取って、ずびびっと勢いよく鼻をかんだ。どうにも女の子がするようなしぐさとは思えなかった。
「あんまり勢いよくかむと中耳炎になるぞ」
「それはやだなー。気を付ける」
メイベルはそう言いつつも、鼻をかみ続ける。その強さはあまり変わっていないような気はする。
「水取って来るよ」
チトセは立ち上がって、台所から水を汲んで持ってくる。
「なんていうかさ、台所の位置を知ってるのって、凄く親密な感じじゃない?」
「何言ってるんだよ。寮なんだからどこも一緒だろ」
「いやー、チトセがすごく自然な動作で私の部屋の物使うからさ。入り浸っててもおかしくないっていうか」
確かにメイベルの部屋には何度も来ているが、それと同じくらいアオイやカナミの部屋にも行っている。入り浸っているというわけでもない。
メイベルは風邪薬を取り出して口に含む。
コップを渡そうとすると、彼女は思い出したようにベッドに倒れ込んだ。
「メイベル?」
「うーん、風邪で起き上がれないの。チトセ、口移しで飲ませて?」
チトセは暫くメイベルを眺める。
倒れたときにめくれ上がったのか、腹のあたりでキャミソールが見える。
「口の中、苦くないか?」
「うん」
「じゃあ大人しく起きて飲むといい」
彼女は渋々起きて、コップを受け取る。
果たして彼女は何がしたかったのだろうか。いつでも全力でふざけている彼女にとって、日常の些末なことに過ぎないのかもしれない。
「チトセなら乗ってくれると思ったのになー」
「そういう方面のおふざけはな、ちょっと」
「でもバッサリ切って捨てるいけずなチトセも嫌いじゃないよ」
それは別にどっちでもいい、気にしてすらいないということではないのか。
メイベルはくしゅん、と一つ可愛らしいくしゃみをした。長居するのも悪いか、とチトセは立ち上がる。
「それじゃあそろそろ、おいとましようかな」
「あ、チトセ。ちょっと待って」
呼び止められて振り返ると、タオルが投げ渡される。
こんなものを渡されてどうしろというのか、と彼女の方を見ると、背を向けて衣服を脱ぎ始めた。
「メイベル、何してんの? っていうか俺帰った方がいいよね、これ」
彼女は顔だけをこちらに向けて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「前にさ、チトセが見たそうな顔してたから。それに風邪引いて背中を拭くイベントは定番だよね」
この世界の文化には、ネットゲーマーたちの願望が詰まっている。それを起源に発展したと言ってもいい。
それ故に彼女はそんなことを言うのだろう。
そうしている間にもメイベルのパジャマはおろかその裸体を覆う一枚の布さえなくなって、瑞々しい肌がそこに露出していた。
チトセはその肌色から目が離せずにいた。
心臓がばくばくと音を立てる。
「やっぱり見たかったんだ」
「見たくない男がいないわけなかろう」
「そうかな? 結構いると思うけど。でもチトセは結構好きそうだったから」
あまり女性に興味がない男性の方が多いのかもしれない。もっとも、それは彼には当てはまらない。
「あんまりじっと見られると恥ずかしいんだけど」
ちょっと顔を赤らめるメイベルは、いつもと異なって色っぽい。
チトセは気まずくなって、さっさと終わらせてしまおうと思って彼女の柔肌にタオルを添える。
「あー、そこそこ。いやー汗かいちゃってさー。もうべったべただよ。放っておいたらカビ生えそうなくらい」
「その発言は女性としてどうなんだ」
メイベルは笑って流す。
他愛もない会話をしているというのに、目の前には少女の肌がある。その異質さが、却ってこの状況を扇情的に感じさせる。
それが終わると、チトセは彼女にタオルを手渡す。
妙に気まずい雰囲気になってしまったが、それもこれで終わりである。
「前は自分でやってくれよ。それじゃあ俺は」
そこまで言いかけて立ち上がろうとするが、その手をメイベルが掴んで離さなかった。
チトセは浮かせた腰を再びベッドに下ろす。
「後ろ向いてるから、風邪が悪化しないうちに着替えろよ」
背後では衣擦れの音。
「ねえチトセ。アリシアとはうまくやってる?」
「ああ。彼女はちょっと妄信的なところもあるけど、いい子だよ」
「うん。……皆いい子だよね。このままずっと続いて行けばいいと思うんだ」
何となく、彼女が言いたいことが分かった気がした。
このまま続いていくということ。それは人生を彼女達と添い遂げるということ。
彼女が起こしたこの行動も、もしかしたらその感情に起因するものなのかもしれない。
「大丈夫だ、きっと。このまま俺たちの日常は続いていくさ」
「……ありがと」
彼女の声音には、いつものふざけるような調子はない。
優しくて、どこか子供っぽい、そんな声だった。
チトセはメイベルの部屋を出ると、何となく狩りに出かけるような気分ではなくなっていた。かといって、学園祭に仕事もあるわけではない。
そこでとりあえず教育棟にまで戻ってきたのだが、特にすることもなく。
(……そういえば、転生者のジョブについて、驚かれたことはなかったな)
やけにすんなりと受け入れられた情報。それはもしかすると、類似の何かがあるということかもしれない。
チトセは教育棟中央にある、図書室の扉を訪れた。
そこはそれだけで一つの棟を形成するほどに大きく、そして膨大な量の書物が蓄積されている。とはいえ、ほとんどの本は電子書籍化されているため、実際に本を手に取る者はあまり多くはない。
閲覧コーナーにある端末を起動。すぐに立ち上がる。
検索ワードは『転生』。
さすがにこれはないだろうという気はしていたのだが、それに反していくつかの古い書物の情報が出てきた。
その概要の多くは、転生者たちに関する記録である。それはもはや胡散臭い過去の伝説といったような形式で書かれている。彼らは次代にそぐわぬオーパーツを作成し、世界の理についてはるかに詳しい。
それはどう考えても、ゲームのプレイヤーたちであった。
だとすれば、何も転生者のジョブがチトセ固有のものであったというわけではないだろう。転生クエストを終えた者が手にするジョブなのかもしれない。
だがしかし、問題が一つ。彼らとは転移した時間が大きく異なるということだ。
転生クエストが異世界行きの切符だとすれば、何のためにそれをしたのかという疑問が浮かび上がってくる、そしてそんな技術など知りはしない。
逆にこれがまだゲームの延長にあるものだとすれば、全ての合点がいく。恐らくは転生クエストをこなした回数が最大であったため、バグか何かでフリーズ。そしてそのまま時間が経って再び起動した。
その際、何百年も経っていることから、本来の肉体は既に朽ち果てているだろう。そして今ここにいる自分はデータということになる。
しかしそうなると、データの保存されている器機が壊されれば一瞬で世界が崩壊する。それにまず人の手を離れて保存される理由がない。
いくら考えたところで、それは人の手の及ぶところではないのかもしれない。チトセはいくつかの文献を漁ったところで、これといった手掛かりも得られずに、放り投げた。
そもそも、元の世界に帰りたいわけでもなければ、事実を知る必要があるわけでもない。
とはいえ、収穫はあった。転生者ジョブにはまだ他のスキルがあるということや、新規のアップデートだったのかは不明だが、従来のジョブ以外にも、ジョブが存在するということ。そうならば、新大陸編といったところだろう。
眉唾ものではあるが、その大陸にでもいけば、それに関する情報も得られるかもしれない。
まだ始まったばかり。そう思うと、好奇心と共にやる気が湧き起こってくる。
よし、と独りごちて、席を立つ。
そろそろ誰か暇になる人がいるだろう。狩りにでも誘ってみるか。
チトセは自然とそう考えていた。




