第十話 上級生
その日の放課後、チトセは一人で廊下を歩いていた。一年生向けの棟から、渡り廊下を過ぎて、高学年向けの棟へ。
この学園の教育棟は、学年ごとに棟が異なる。そして授業も大多数がその学年用の棟の内部で完結するため、他学年の生徒たちと顔を合わせることは滅多にない。
とはいえ、一学年でも500人いるため、顔を覚えているわけでもないのだが。
元々男子校出身だったということもあって、上級生たちのいるところに行くのは中々気が引けるものがあったのだが、来てみると案外そんなこともない。
その辺りにいる少女たちはカナミたちとあまり変わらなかった。テロメラーゼ活性を持つことによって老化が防止されてることも関連しているのか、外見的な変化はあまり見られない。しかしアオイたちは年齢相応の見た目なのだから、成長が遅いということもないのだろう。
初めからこの世界の住人であるものは、年の見分けがつくのだろうか。そうならば、どこでそれが分かるのだろう。元の世界でも女性の年齢なんて全く見当も付かなかったのだから、この世界ではそれに拍車がかかる。
チトセはそんな疑問を抱きながら、廊下を進んでいく。
すれ違う少女たちはあまり上級生という感じもなく、そして幼い可愛らしさもあり、チトセはすっかり緊張など解れていた。
上級生が殴り込みにくるということもなく、けんかになることもなさそうで、以前の高校生活と比べると遥かに華々しいものだ。
目の前をふざけ合っている少女たちが過ぎていく。すっかり学園内は、学祭の雰囲気になっていた。
チトセは確信する。これこそが、望んだものだと。
これまでは力をつけるという目的に終始してきた。そのため授業が終わればさっさと狩りに行き、早朝もまた狩りに行くという生活をしていた。
しかし経験値がダメージ依存で入るということもあり、最近ではフィードバックのスキルによって強化された一瞬にて、膨大な経験値を得ることが可能になってきた。
そのため随分とレベルも上がり、ある程度の強さも身に付けている。少しくらい、楽しんだっていいのではないか。その考えに至るのも仕方がないことだろう。
しかしよくよく考えてみると、最近はカナミたちといる時間が増えており、夜はナタリと狩りに出かけていたため、あまり一人で出かけることはなくなっていた。
それでもレベルが上がっているのだから、これからはパーティでの狩りを中心にしてもいいのかもしれない。とはいえ、それだと収入に関してはあまり得られず、装備を整えるのが難しいだろう。何か他の方法でもあればいいのだが。
そして結局、一度怠け癖が付けばそれを修正するのには時間がかかる、とこれからも狩りを継続することにした。
学園祭を楽しむと言っても、アオイたちくらいしか誘う相手もおらず、あまり生活は変わらないというのが理由だ。要するに、遊び相手が少ないから現状維持以上にすることがなかった。
それから暫く歩いて行き、突き当りの部屋に入る。そこには会議室の体を成していた。長机が対面になるように置かれており、そこに椅子と札が置かれていた。
椅子は縦に横それぞれ10個ほど。四角形の形になっているため、合計で40個程度だろうか。
一学年10クラスで七学年あるのだから、全部で70個必要なはずだが、とそこまで考えて、ようやく思い出す。
六年生は職場見学やインターン、七年生は就職活動があるため、学園祭には参加しないことになっているのだと。
それはまだまだ先のことだが、いずれは誰もが卒業することになる。そのときに、自分はどこまで強くなっているのだろう、どこまで信頼されうる人物になっているだろう。
チトセは辺りを見回して、一学年の生徒に割り当てられている席を探す。
まだ一学年。始まってから二か月と経っていない。この調子でいけば、確実に強く、そしてこの世界での地位を立場を得ることができるはず。
何もかも、まだ始まったばかりだ。
チトセは一組と書かれた札の前に座る。まだ他の生徒たちはほとんど来ておらず、少し早く来過ぎたかなあ、などと思う。
今日ここに来た目的は、以前決めた僧侶の出し物について仔細を決めるということにある。向かいに座っているの上級生の少女は、退屈そうに欠伸をしていた。何度か説明を聞いたことがあるのだろうか。
それから暫くして時間が近づいてくると、少女たちがぞろぞろと入って来る。そして席がすべて埋まると入り口のドアが締められた。
チトセは気が付く。
この部屋にいるのは自分を除いて皆女性なのだと。
これは何かまずかったのだろうか、と不安を抱くが、特に何事もなく開始が告げられた。おそらく男性の気質的にやりたがらないとか、そんなところなのだろう。
そして開始と共にタイムテーブルが配られる。割り当てられた時間は一人当たり二時間ほど。全部で四日間あるうちの一日だけ出ればいいということになっている。
四人一組で、二時間ごとに交代するようになっている。これなら知り合い程度には仲良くなれるだろうか、と淡い期待を抱いた。
「タイムテーブルについて不都合がある方はいらっしゃいませんか?」
生徒会らしき、話を取り仕切っている少女が告げる。しかしまだどのクラスも担当する時間まで決まってはいないだろう。
「後程不都合が生じた場合、生徒会までご連絡ください。他に何かありますか?」
誰も何も言わずにいると、更に少女は続ける。
「では、これで会議を終了いたします。ありがとうございました」
少女たちはがたがたと音を立てて席を立っていく。
チトセはその様をぼんやりと眺めていることしかできなかった。
(……それだけ?)
出し物について話し合ったり、色々提案したり、今後のことに期待したりと色々学祭らしいことを期待していたのだ。だが、それは裏切られることになった。
話に聞いていた、ただ働きのボランティアというのは言い得て妙。どうやら本当に取り決めも何もなく、ひたすら僧侶のスキルを使うだけのものらしい。
クラスで誰もやりたがらなかった理由がようやく分かった。
「えっとー、君」
そうして暫く座っていると、後ろから声を掛けられた。
振り返って見ると、そこには三人の少女たち。先ほど座っていたところからは、恐らく上級生だろう。
「はい、なんでしょうか?」
「チトセくんだよね? あのキサラギさんのとこの」
「えっと、俺が水明郷千歳ですが、アオイが何か?」
そう答えるなり、少女たちは囃し立てる。
女三人寄ればかしましいというのがぴったりな表現だ。
「ほらやっぱりー!」
「えーいいなー」
「ねえねえ、セイリーンさんやアスターさんも一緒なんだよね!?」
彼女たちの話しぶりからすると既にアオイたちのグループの所有する男であるチトセという扱いになっているようだ。
それはこの世界での男の扱いとしては普遍的なものなのかもしれない。仮に新しく好きな子ができたとしても、アオイたちが納得しない限り、自身ではどうにもできないと。
「ええ。いつも仲良くしてもらっていますよ」
貴族である少女たちに見初められたということは、喜ばしいことなのだろう。彼女たちの地位云々を除いて、女性に好意を抱かれるのは誠にありがたいことである。
しかし外堀から埋められていく、そんな気がするのはなぜだろう。
それはきっと、もはや進むしか道はないからかもしれない。
彼女たちが嫌いということはなく、誰も魅力的な少女である。だがしかし、男性共有型社会とでもいうべきか、この世界の常識にはまだ馴染めない。
そうしていると、やがて部屋には彼ら以外誰もいなくなる。本当にこの会議にはタイムテーブルを渡す以外の意味合いはなかったのだろう。
少女たちは聞くべきことを聞いて満足したのか、手を振りながらまたねー、と去っていく。チトセは手を振り返しながら、その姿を見送った。
そして入口のところで、一人の少女がくるりと振り返った。
悪戯っぽい笑みに、どきりとする。
「あ、そうそう。男の子だとセクハラとかされるから、気を付けた方がいいよ。それじゃあねー」
チトセは思い出す。この世界でセクハラは女性が男性にするものであり、レイプ被害に遭うのも女性ではなく男性なのだと。
なるほど、それで男性は来なかったのか。うんうんと納得しながらも、チトセは選んだのは失敗だったか、と首を傾げた。




