第八話 ゴーレム
坑道は地下深くまで続いている。奥に行くにつれて、ひんやりとした空気と、土の香りが漂ってくる。
空気は流動がなく、やけに重く感じられる。
チトセは改めて、盗賊のスキル【探知】の有効さを感じていた。視界が悪くとも、遠く離れていても、途中に障害物があろうと、空間的に連続してさえいれば、探知が可能なのだ。
それは非力な前衛という盗賊のジョブにおいて、特筆すべき能力だろう。
何より、両手がふさがって後ろを振り向くことができない現状では、警戒に役立つ。もっとも、後ろは今まで通ってきた道だから、敵がいるとは考えにくいのだけれど。
「そういえばさ、カナミ。結局何を探しに来たんだ?」
学園祭の出し物に使うという話だったはず。
だというのに、坑道というのはおかしな話だ。生物に近いモンスターなどいそうもない。
「もー、チトセくん話聞いてた? 塩を取りに来たんだよ。保存もきくから」
確かに塩ならば腐ることはない。だが、それでなぜ坑道になるのだろうか。岩塩がここから出るといった話は聞いたことがない。
そんな疑問は顔に出ていたのか、アオイが説明を続ける。
「この奥にソルトゴーレムがいるらしいの。それを使えないかってカナミと話していたのだけれど」
どうやら原材料が塩のゴーレムがいるらしい。
「ところでそれは本当に食えるのか?」
カナミは首を傾げて、悩む仕草をする。
見ている分には可愛らしいが、食えないものだったらどうするのだろう。
「うーん。……とりあえず取ってから考えようよ」
カナミは彼女らしい答えを出す。あまり深く考えてはいなかったらしい。
確かにそれなら、食ったら驚きの料理ができるかもしれない。それが旨いかどうかは別として。
暫く歩いていくと、広間に出た。
どうやら採掘の中心となっていた場所らしく、古びた機材がそのまま残っている。
とりあえず、ずっと歩きっぱなしだったということもあって、一息吐くことにした。近くの手ごろな採掘機械の上の土埃を払って、腰かける。
ナタリはすっかりお疲れなのか、体を預けて目を閉じた。
チトセは少女の無防備な姿に、気を取られる。長く艶やかな睫毛、柔らかな唇、ふっくらした頬。
彼女の顔はすぐ近く。ほんのりと甘い香りも漂ってきて、それは本能を刺激する。
「チトセくん」
アオイの声が聞こえて、チトセは慌ててそちらに向き直る。
しかしどうにも非難するような素振りもなく、安心する。
「お茶、どう?」
差し出されたコップを受け取って、口に含む。温かく、心まで安らいでいく。
あまり邪な事ばかり考えていても良くない、とチトセは周囲の状況を確認する。
どうやらこの坑道には、恐らくは狩りの用途だろうが、採掘されなくなってからも暫くは人が出入りしていたらしく、比較的新しい槍などが打ち捨てられている。
それとは対照的に、機材はすっかり錆びて、中にはモンスターに潰された形跡があるものや、原型をとどめていないものもある。
そうしていると、甘ったるい香りが漂ってきた。
その元は、カナミ。実に美味しそうにお菓子を食べる彼女には、その場所など関係ないらしい。まるで遠足にでもきたかのようだ。
メイベルはカナミからそれを貰って楽しげにしている。どうやらこの二人は思っていたより仲がいいらしい。それは頭の中身があまり変わらないことも理由なのかもしれない。
もぞもぞと隣のナタリが動く。それから彼女はチトセが手にしていたコップを取って、茶を啜る。
嫌いな男が使っていたコップで飲もうとはしないだろう。嫌われてはいないのだろうが、しかしチトセにはナタリの考えはあまりよく分からなかった。単に体が冷えていただけかもしれない。
それから暫くチトセは、両隣の少女の温もりに包まれていた。
暗くなる前に帰れるように、とアオイが先を促すと、カナミはそこらに散らかしていた菓子を一気に頬張った。
そして口中が物でいっぱいのまま、もごもごと出発を告げる。
食ってすぐ運動して、彼女はお腹が痛くならないのだろうか。しかしいつも元気なカナミのことだから、大丈夫なのだろう。
チトセはゆっくりと立ち上がり、歩き始めた。
それから間もなく、モンスターの反応がいくつか、通路を塞ぐようにして点在していた。
「二、三体いるけどどうする?」
その疑問に、カナミはいつもの笑顔で答える。
「もちろん、倒すに決まってるよ!」
猪突猛進、カナミに深い考えなどあるはずもない。
しかし迂回していくことも出来ないので、恐らくそれ以外に方法もないだろう。一体ずつ釣って倒すのが無難だろうか。
武器を手に、ゆっくりと歩を進めていく。
そして、遠くに見えたのはごつごつとした岩の人型。ストーンゴーレムだ。
切断力に優れた武器が効きにくいということで、このメンバーだとメイベルが主力になるだろう。
アオイは弓を構え、正確に狙いをつけて矢を放つ。
それは狙い通りにストーンゴーレムの頭部に命中した。しかし、それは表面に傷をつけるだけに終わった。
一体ずつ釣る。それが本来の予定だ。
だがゴーレムはこちらに顔を向けると、咆哮を上げた。
途端、近くにあった他の二体のモンスターの反応がこちらに向かって来る。
引くか残るか。暫しの逡巡。
メイベルは特に物怖じしてはいない。それならばなんとかなるだろう。
ストーンゴーレムの移動速度はあまり早くはない。のっしのっしと移動しており、重量はあるが素早くはないのだろう。
カナミが剣を掲げて突撃する。
まだ敵の情報が分かってもいないのだから、不意打ちでも食らったらまずい。チトセはすぐさま彼女に剣士のジョブをレンタルする。
彼を襲う脱力感と共に、カナミは見違えるような速さでゴーレムの背後を取った。そして移動する足を背後から切り掛かる。
すさまじい速さで繰り出された剣戟は、これまで何度も敵を容易く切り裂いてきた。
しかし今、それは浅く傷をつけるだけに終わっていた。カナミの剣はそれほど重いものではない。切れ味には優れるものの、裂創を与えるものではない。
数度切り裂いて体がぐらつく程度まで足は細くなる。
ストーンゴーレムは移動を止めて、足元のカナミを標的に定めた。
チトセはすぐさまメイベルにジョブをレンタル。
メイベルは飛び出すなり、その勢いでもう一方のゴーレムの足を切り付けた。
巨大な戦斧は、ゴーレムの足を抉り取り、ひびを入れる。
片足を上げていたストーンゴーレムはもはや体勢を維持できなくなり、その場に倒れ込んだ。
チトセは剣を携えたままモンスターへと接近する。
前衛としてこれまで使ってきた二つのジョブを貸し出している今、体は重い。
ひどくのろのろとした動きで何とか射程内まで近づいて行くと、起き上がらんとするゴーレム目がけて、スキルを発動させた。
「アース!」
発動させる領域は天井。坑道の上部が盛り上がり、そして先端は営利な槍と化す。そして、それは打ち出された。
ゴーレムの胴体に一撃。この坑道内だからこそ使えるスキルであった。
敵の胴体は砕け散り、隙ができたところをメイベルがあちこち粉砕していく。
次の瞬間、奥から残り二体のストーンゴーレムが顔を覗かせた。
もうすぐ、メイベルはレンタルの効果は切れる。そうなったとき、此方が有効な攻撃手段はチトセが持つ魔法使いによるスキルくらいだろう。
だがしかし、それだけで応戦するのは中々難しいものがある。
二体のゴーレムを前にして、撤退の文字が頭をよぎる。しかし次の瞬間、チトセは自身に漲る力を自覚した。
地を踏み込むと、体は軽く一瞬にしてモンスターのところまで到達する。
剣を持たない手を突き出し、叫んだ。
「アクア!」
途端、膨大な水がそこに出現し、奔流となって敵を飲み込む。二体のモンスターは互いの体をぶつけ合い、傷つけあう。
そのまま岩壁にぶつけるように撃ち出した後、チトセは急激に力が失われていった。周囲はすっかり水浸しになっていた。
1秒限定のスキル【フィードバック】。返ってきたのはカナミの能力だろう。恐らくはステータスにして二割かそこら。とはいえ、元々チトセ本人の分と合わせれば相当な量になる。
その威力に感心していると、二体のゴーレムはこちらをしっかりと見据えていた。
腕を振りかぶり、潰さんと狙いを定めてくる。
チトセは後退するが、間に合うかどうかは分からない。
途端、一体のゴーレムの腕を矢が弾き、もう一体にはモーモーさんが突撃していった。
一瞬の猶予が生まれ、チトセはその隙に武器をインベントリに収納し、ゴブリンの大剣を取り出す。坑道内では狭くてうまく振り回すのも難しいそれは、何とか持つことができる程度にしか扱えない。
モーモーさんはすぐに【送還】され、前にいるゴーレムは何の障害もないとばかりに此方を狙っている。
だがしかし、後ほんの数秒。
それで、メイベルに貸し出したジョブが戻ってくる。
ゴーレムは腕を振り上げて、チトセに狙いを付けた。
まだか、まだか。動悸は激しくなり、時間が進むのはやけに遅く感じられる。
そして、【フィードバック】の効果が発動した。
身の丈の倍はあろう大剣は、まるでおもちゃの剣のように軽く、簡単に振り回せそうなほどの膂力が湧いてくる。
チトセは一瞬で間合いを詰め、ゴーレム二体の懐に入り込んだ。そしてスキル【回転斬り】を発動させる。
大剣は一体のゴーレムを食らう。胴体を粉砕し、それでも勢いは衰えない。
そして立て続けにもう一体。
二体のゴーレムをまとめて処理した大剣は、過剰に振られることはなく、ぴたりと静止した。
そしてチトセは止めとばかりに、切り返して二体のゴーレムの頭部を打ち砕いた。
途端、剣は急速に重さを取り戻す。しかしこれが借り物ではない本来の能力なのだ。
そのことは情けなくもあり、同時に力を手に入れたことへの喜びを増大させるものでもある。
振り返って見ると、カナミたちが駆け寄ってくるのが見える。
「チトセくん! すっごいね! それどうしたの!」
カナミは目を輝かせて、縋りつくようにして尋ねてくる。
「ああ。レンタルのスキルに、身体能力が付加されて戻ってくるみたいだ。だからあれはカナミとメイベルの力だと思う」
そしてそれが強まっているのは、複数のジョブの恩恵を受けているからだろう。
そんなことをカナミに説明していると、チトセはカナミがずぶ濡れになっているのに気が付いた。
「あ、カナミ、ごめん。寒いだろ?」
「ううん、大丈夫だよ!」
カナミは平気だと言う。
そんなカナミを心配していたのだが、チトセはふと気が付いた。彼女の首元は水に濡れて、肌が透けている。それより下は鎧やキャミソールなどで隠れているのだろうが、そこは彼女の素肌にほど近い。
少女らしい鎖骨は濡れてどこか艶めかしく、濡れそぼつうなじは魅力的で。
チトセはこれ以上見ていられなくなって、目を逸らす。
カナミは小さく首を傾げた。




