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第六話 価値観


 週末の朝、チトセは寮の自室のベッドに寝転がりながら、求人雑誌を眺めていた。ただでさえ常識に疎いのだから、このまま卒業まで学園に引きこもっていたら社会不適合者になりかねないような気がしたからだ。


 社会経験を積む目的で何かないだろうか、とページを捲る。


 軽作業や肉体労働は、他の者についていけるかどうかが不明なのでおいそれと手が出せない。そして接客業の類も却下だ。そんなものができるほど社会的な人間だったなら、今頃この世界に来てなかったはず。それから家庭教師などの類も嘘を教えてはいけないので気が引ける。


 この世界ではバイトの時給は1000ゴールドを超えるようだ。それは人力に優れているということが理由だろう。重い荷物の集配などにおいて、わざわざ機械を使う必要もない。


 できそうなのといえば、言われるままに行動するだけの治験などだろうか、とそれを探していく。社会経験云々という本来の目的とは大きく外れているような気がしないでもないが、そこまで社会からつまはじきにされるほどの人間ではないのだと、確信したかった。


 ようやくお目当てのものを見つけるが、どうにも値段が安い。薬の安全性が元の世界より高いのが理由だろうか、確かに何もせずにごろごろしている者に払う額としては適当なのかもしれないが、拘束時間を考えると急に気持ちは萎えてきた。


 モンスターを狩っていれば生きていけるのだから、社会性などなくてもいい。

 結局やらなくていいかなあ、というところに落ち着くのだ。


 こんなだから、ネトゲにはまってしまったのだろうが、今となっては幸か不幸か、それが役に立っている。


 最後にページを捲ると、そこにはやけに高額の報酬が載っていた。

 日給十万ゴールドから、はては百万ゴールド近いものまである。


 驚きと共に内容を見ていくと、それは精子バンクによる求人であった。それも生命倫理云々という正当性を語ることなく、おおっぴらに募集しているところを見る限り、一般的なのだろう。


 しかも提供するだけで後腐れなく澄むらしい。それは提供者の数が少ないことが理由だろう。


 けれど提供するにあたっての条件はなかなか厳しい。高レベルのジョブが必須であったり、身長体重年齢といったプロフィールの制限があったりする。


 誰しも自分の子が優れていて欲しいと願うのは普遍の事実なのかもしれないが、肌や髪の色などまで指定があると、値踏みされているような感覚になってくる。


 男女比を考えれば仕方がないことなのかもしれない。それでも、あまりいい感情を持てないのは事実だ。しかしジョブ持ちに対する高額の報酬は魅力的でもある。


 一週間もやれば、もっといい剣が買えるよなあ、などと想像を膨らませていく。


 そうしていると、部屋のチャイムが鳴った。

 今日はカナミたちが来ることになっている。最近は集まることが多く、そのたびに部屋の主が変わっていた。


 扉を開けると、すぐさまメイベルが入ってきた。それから断りもなくベッドの下を漁る。


「チトセ、えっちな本は?」

「そんなものねえよ」


 毎日狩りに行って体を動かして帰ってくれば、疲れてそれどころではない。仮想世界と違って実際に体を動かすため、そのときには睡眠欲の方がはるかに強くなっている。


「ああ、確かにインベントリに隠しちゃうかー」


 それからメイベルは聞く耳を持たず家探しをする。彼女は遠慮というものを知らないのだろうか。もっとも、チトセを相手にしているからというのもあるのだろうが。思い返してみれば、他の人の家では家探しなどしてはいなかった。


 カナミは参加こそしないものの、それを楽しがっている風だ。


「面白い物なんて何もないぞ」


 チトセはとりあえず中に入ってもらって茶を入れる。

 その際、入り口の方でアリシアは突っ立っており、どこか陶然とした表情を浮かべている。


「チトセくんの匂いがする……」


 彼女は一体どこに向かっているというのか。チトセは聞こえなかったことにした。


 それから座卓に着いて、一息吐く。

 学園祭の出し物どうしようか、という話し合いをするための集まりだ。個々人で材料を持ち合うことになったので、仲のいい者たちで集まってやる者が多いらしい。完全に個々人の自由としたならば、本当に協調性がない出店になり、ナタリは恐らく何もしないだろう。


 そんな彼女は、入るなりベッドで横になっている。どうやら連日の狩りでお疲れらしい。それはチトセとナタリしか知らないことだが、彼女のやる気メーターはいつも空っぽなので、誰も気にはしない。


「チトセ、いくら溜まってるからって、これでやるのはやめておいた方がいいよ」

「……は?」

「あーほら、宗教上の理由のある人って、結構後々面倒だからさ」

「……だから何の話だよ」


 メイベルはベッドの上にある雑誌を指す。それは先ほど見ていた求人雑誌だ。

 くっきりと折り目の付いたそのページには、受精や妊娠といった、そういった行為を連想させる単語がひしめいている。


 チトセはその中の方法の項目があるのを見つける。そこには自然妊娠、人工授精といった内容が書かれている。


「相手が自然妊娠希望なのにかこつけてやるんじゃないの?」

「しねえよ。お前は何を言っているんだ」

「別に隠さなくてもいいのに。わざわざそんなことしなくても、アリシアはいつでも受け入れ準備はできてるよ」


 メイベルは悪戯っぽい笑みを浮かべて、アリシアの方に話題を振る。ちょっとしたからかいのつもりなのだろうが、アリシアの顔は一瞬にして赤くなった。


「え!? え? あの、その……」

「メイベル、さすがに悪ふざけが過ぎないか」

「そうかな。でも女の子が男の部屋に行くってことは、いつでも襲ってくれていいよってことだよ」


 メイベルはあっけらかんと告げる。チトセはそんな常識は知らないのだが、と助け舟を出してくれそうなアオイを見る。


 彼女ならきっとメイベルの下ネタから解放してくれるはずだ、そんな期待を込めてのことだった。


「……チトセくんがしたいなら、やぶさかではないけれど」


 腰まである長い黒髪の毛先をくるくると指で弄びながら、少し視線を外してアオイまでもがそんなことを言う。


 本当にそうなのか、一瞬信じてしまいそうにもなるが、元の世界で培った理性がそれはおかしいだろう、と告げる。


 女性とのお付き合いどころか全く出会いのなかったチトセは、あまりの急展開に頭がついていかなかった。


 そうして暫し少女たちと見つめ合う形になっていると、服の裾が引っ張られる。まだ赤い顔で、それでも勇気を振り絞ったようなアリシアの顔が、間近にあった。


「あ、あのね……! 私、がんばるから!」

「いや、メイベルの冗談だろ? 無理しなくても」

「私のこと、嫌い……?」


 瞳一杯に涙を溜めて縋りつかれて、無下にすることは出来なかった。


「嫌いじゃないよ」

「……結婚してくれる?」

「え?」


 突然の申し出に、パンクしそうな頭はこの世界での常識を思い出した。そもそもこの世界でお付き合いという概念はない。他人、知人、友人ときて、その次は伴侶なのだ。それは少子化対策として、見境なしに結婚するのを奨励しているというのもあるのだろう。


「やっぱり、嫌なんだ」


 うぇぇ、と声を上げてアリシアは泣き出す。

 チトセはもはやどうしていいか分からなかった。少女に泣きつかれるという初めての体験にただおろおろするばかりである。


「アリシア、泣かないで。ほら、チトセだっていきなりのことでびっくりしただけだから」


 ぐずぐずと泣くアリシアを宥める手際は見事だった。それから暫くチトセは慌て、カナミやアオイは困惑し、ナタリはすーすーと眠っていた。


 結局、落ち着いたアリシアと話をして、後日デートすることで、なあなあに話はついた。

 急に結婚しろと言われて、はいそうですと答えられるほど甲斐性も無ければ、今後の見通しも立たない。


 ふがいなくも、それがこの世界での確かな地位と名声を手に入れてはいない彼の現状だった。


「えっと、学園祭の出し物の話したいんだけど、いいかな」


 カナミが苦笑いを浮かべながら、申し出る。

 そも、それが元々集まった理由である。


「取り乱してごめんなさい。もう大丈夫だから」


 アリシアは申し訳なさそうに頭を下げる。

 悪い子ではないんだがなあ、とチトセは彼女の行動にどうしたものかと思わずにはいられない。


 そもそもチトセとしてはそんな好かれるようなことをした覚えはなく、彼女が好きなのは、彼女の頭の中にいる架空の水明郷千歳という人物のような気がしないでもない。


 あるいはこれまでチトセの行動すべてを肯定してきた彼女が、それほどまでに依存的であるのか。


 ともかく、少しは無縁だと思ってきた色恋沙汰についても考えることにしようと思うのだった。


「あっとおどろくようなモンスターがいいよね」


 食い物に驚きを求めてどうするのだろうか。カナミはそんなことを言う。


「例えば?」

「ボスモンスターとか!」


 チトセは乾いた笑いしか出てこなかった。ゴブリンのボスでさえやっとのことで倒したというのに。


 それから主にカナミとアオイが狩場について話をするのを聞いていた。チトセはそうした情報を積極的に仕入れているとはいえ、まだ疎いことに変わりはない。


 それにしても、とアオイの姿を眺める。これまでずっと友人としてしか見てこなかった彼女だが、男として見てくれていたとは思ってもいなかった。


 この世界では友人と大差がないことも分かってはいるが、それでも妙に意識してしまう。アオイは美人で性格も良く、まさに非の打ちどころがない。


 しかしアリシアの手前でそんなことを考えるのはどうなのだろうか。この世界基準では複数の女性との交際は何ら問題がないはずだが、理性はそれを中々に受け入れてはくれない。


 実年齢はもっと上とはいえ、一応十五の少年の身で、結婚とはどうなのだろうか。


「……ということで、とりあえず行ってみようよ」


 話はまとまった、とカナミは立ち上がった。チトセはあまり話を聞いていなかったが、とりあえず狩場の状況を窺いに行くことになったらしい。


「ナタリ、起きて」


 アオイに揺さぶられて、ナタリは眠たげに目を擦りながら辺りを見回すが、再び目を閉じた。


 こんなに疲れてるなら、これからの狩りは配慮すべきだな、とチトセは思う。


 それから暫くぐだぐだと過ごして、出発したのは結局昼飯を食った後だった。



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