第五話 出し物
昼食を終えると、午後の授業が始まる。チトセは心地好い日差しと食事により頭に血がいかなくなったことで、すっかり眠気に襲われていた。
放課後や早朝に行っている狩りの時間の分、他の人より体を動かしている時間は遥かに長い。そのため、疲れてしまうのも仕方がないことだ。
そんな言い訳をしながら、大きく欠伸を一つ。
教員と目が合った。彼女は少し顔を顰めたが、チトセが授業をあまり真面目に聞いていないのはいつものことなので、さほど気にしないことにしたらしい。
そもそも人生で二度目の学園生活なのだから、授業をきっちり聞く必要はあまりない。この世界との相違を掻い摘んで理解すれば十分なのだから。
さすがに机に突っ伏して寝るほどの度胸はなかったので、資料集の適当なページをぱらぱらと捲っていく。
今は生物学の時間なので、分化や発生など生命科学の他、植物学などの内容になる。
教科書は簡易なものなのであまり面白味はないが、厚めの資料集は案外知らないことも書いてあるので馬鹿にできない。学習内容の基準から明らかに外れたことも書いてあるのだ。
板書もそっちのけで眺めていくと、全く知らない植物などが描かれている。それがモデル植物となっていることから、どうやら元の世界とは異なる進化を遂げたものもあるようだ。
それからチトセは前々から気になっていた内容を見つけることができた。どうしてこの世界では女性ばかりが多いのか、という疑問についてだ。
単純にそういうものなのだろうと言われてしまえばそれまでのことなのかもしれないが、化学が発展しているからにはその理由くらいは分かっていてもおかしくはない。
根本的にはこの世界の住人と大きな差異があるわけではなく、DNA配列が大きく変わるということもないはず。
もしDNAが大きく違ったとすれば、彼と他の少女たちは全く別種の存在ということになってしまう。しかし数百年前には転生者と思しきものたちが存在したらしい記述があり、彼らからジョブが遺伝したのだと考えられている以上、受精可能レベルまでには近しい存在であることは窺える。
そして実際、その考察は当たっているようで、性染色体などは変わらないらしい。しかしYを持つ精子はアポトーシスを起こすような遺伝子が存在するようだ。そのため精子が持つのはX染色体ばかりになり、結果としてXXの比重が高まる。そして女性ばかりが生まれることになったらしい。
原因が男性にあるのだとすれば、元の肉体を保持すると仮定して、チトセの成す子は男女が半々になるはずだ。もちろん、それどころか交際相手が生涯において見つかるかどうかも怪しいところなのだが。
しかしどうにもこの世界基準に調節されている気がしないでもないから、この世界の男性たちと何ら変わらないのかもしれない。
それからこの世界に来て老人を見ないと思っていたが、どうやら老化が非常に遅いらしい。老化を司る領域であるテロメアの構造などは変わらないのだが、老化の原因であるテロメアの短縮を防止するテロメラーゼ活性を持つようだ。
本来生殖細胞などが限定して持つその活性を持つならば、老衰することはないのではないかという疑問が浮かぶ。しかしどうやらそれはそれとして、また別の機構で起こるらしい。うまくいかないものである。
それを知ったからといって、どうにかなるわけでもないか、とチトセは資料集を閉じる。それから熱心に授業を聞いている級友たちの姿を見ていると、何かしなければという気持ちに駆られる。
そういえば、この世界でも定期考査なるものがあるらしい。最低限の教養は身に付けなければならないということなのだろうが、官僚になるならともかく、軍人になるのに果たしてそれは必要なのかと思わないでもない。
結局、チトセは歴史の教科書を読むことにした。そういった知識に関してはそこらの子供よりも疎い。それが原因で赤点を取ったり落第したりとますます落ちこぼれの扱いを受けることは避けたい。
カタカナが多く覚えにくい名前を、一つ一つ頭に叩き込んでいく。元がゲームであるから日本語や英語などが入り混じっているのは仕方がないことなのかもしれないが、それは却ってわかりにくさを増す原因になっているのだった。
退屈な生物の授業が終わると、その次は学園祭の催し物などを決めるために時間が取られていた。
チトセは思わず小さく拳を握った。
男子高出身の彼にとって、学園祭と言えば一大イベント。唯一女の子が遊びに来てくれる機会だったのだ。
しかも今回は男女比も逆。モテる奴ばかりが得をするヒエラルキーを味わわせられる機会から、一転して楽園に早変わりだ。
叫びだしたいほどの昂揚感。
しかしそれを表に出すのは少し恥ずかしい気がして、何事も無い風を装う。
「ねえねえ、チトセくんは何をやりたい?」
こういったイベントを一番楽しみにしてそうなカナミがやってくる。
「まだ何も決めてない。というか詳しく知らないんだよ。カナミは?」
「私は剣舞をやりたいな。剣士のジョブ持ちとしては、やっぱり憧れちゃうよ」
そういう彼女はやはり楽しげである。
どうやら話を聞いてみると、クラスとして出店などを行うほか、ジョブごとに集まって行うものの二つがあるらしい。
クラスの出し物は全員参加だが、ジョブ別の方は自由参加だそうだ。しかし一応クラスの代表的な扱いらしく、互選によって選ばれるらしい。
そうなると、カナミには申し訳ないが、ケントの方がふさわしいような気がしないでもない。
「アオイはどうなんだ? 確かこれが初めてだったよな」
隣の席の彼女に尋ねる。
彼女はあまり先頭に立ってやりたがる性格ではないが、学園祭自体は楽しみにしているようで、どこか嬉しげである。
「ええ。でも私は裏方でいいわ。目立つのはあまり好きではないもの」
彼女らしいと言えば彼女らしい。
それから案外詳しく知っていたアリシアに概要などを聞きながら、授業の合間の休み時間を過ごした。
そして時間になると、ホームクラス担当の教員が入ってくる。
「今日はクラスの出し物と、ジョブごとの代表を決めたいと思います!」
まずはクラスの方から決めるらしい。
何か案のある方は、と教員が告げた瞬間、カナミがビシッと手を挙げた。
「カナミさん、どうぞ」
「串焼きやりたいです!」
それはカナミが食べたいものじゃないか。チトセはそんなことを思うが、好き勝手言い合う自由な雰囲気に水を差すものはいない。
それからいくつかの案が出されていくが、初めにカナミが食い物を提示したこともあってか、どれも料理をするものだった。
このクラスにいるのはほとんどが貴族なのだから、食い意地が張っているわけではない。ないのだが、カナミを見ていると自信を持ってそう言えなくなってくる。
「それならシルバーディアを狩ってくるのはどうだろうか。最近は狩られた話もなく、それなりに生息しているだろう」
ケントの発言で、大体の方向性が固まってくる。
「アリシア、シルバーディアってなんだ?」
「えっと……チトセくんがいつも狩ってるホワイトディアのボス。それでね、お肉はとてもおいしいの。クリスマスの時期とか、よく食べられるの」
「へえ。それは食べてみたいな」
何度も狩ってはいるもののホワイトディアの肉は、結局一度も口にはしていない。それは彼が貯金を優先してきたからだ。
しかしそれを狩りに行っていると彼女に告げたことはなかった気がする。何故知っているのだろうか。
「あ、あのね? チトセくん」
おずおずとアリシアが訪ねてくる。
「私が料理したら、食べてくれる?」
「そりゃもちろん。ありがたく頂くよ」
アリシアは満面の笑みを浮かべる。
それから楽しげに話をする彼女は、どうやら学園祭にはあまり興味が無いらしい。すっかり妄想に浸っている。
そろそろ決まっただろうか、とさきほどまで白熱していたカナミの方を見る。途中、突っ伏して寝ているナタリの姿が見えた。
彼女は面倒なことを嫌がるから、学園祭には全く興味が無いのだろう。こっそり役割から逃げるようなタイプだ。
しかしよくよく考えてみれば、最近はずっとナタリと狩りに出かけているのだから、単に疲れているだけかもしれない。ルーチンワークとして狩りを行っているチトセに付き合うのは中々大変だろう。
結局、あれもこれもと欲張ったせいで、各自で狩ってきたモンスターを提供するということになった。どんなものになるかは見当も付かない。
それからジョブごとの代表を決める。
まずは剣士のジョブ。
恐らくカナミとケントの一騎打ちだろう。クラス内の雰囲気を纏めるとそんなところだった。
しかし手を挙げたのはカナミだけ。
そのためすぐに決まって、彼女はぴょこぴょこ飛び跳ねて喜びを露わにする。
ケントが譲ったということなのだろうか。彼はさして興味もなさそうに見える。
「ケント様、よろしかったのですか?」
彼の傍にいたルイスが尋ねる。
最近分かったことだが、彼がいつも敬語なのは従者であるということだけではなく、ケントに心底陶酔しているのが理由らしい。
二人の間に何があったのかはチトセの知るところではないが、ケントに徳望があるのは確かだろう。
「なに、構わないさ。父上は忙しいからね。ここにくることはない」
この学園には平民が貴族に自身を売り込み、貴族はその家の者として家名を高めようとする側面があることは、どれほど平等を謳ったとしても変えられない個人の感情ゆえに仕方がないことだろう。
しかしどうやらケントにはそういった考えはないらしい。それは黙っていても有能なる人物はおのずと知れるという自信の表れなのか、それとも必要を感じてはいないからなのか。
そうしている間に、着々と他のジョブの代表も決まっていく。
「では魔法使いで立候補してくれる方はいませんか?」
アリシアに聞いたところ、炎を使った大道芸のようなことをしているらしい。それならチトセでもできるかもしれないが、とくにやりたくもない。
やがて一人の少女に決まる。
そして最後に僧侶の代表を決めることになった。
だが、誰一人手を挙げない。先生も困った様子で、何度もやりたい人は、と呼びかけるのだが、少女たちは自分に話題がきませんように、と俯いている。
僧侶の出し物は無料の治療。出し物というより慈善事業、ボランティアに近い。わざわざ楽しい学園祭にすることでもなく、やりたがる者もいないのだろう。
クラスによっては代表が決まらず辞退するところもあったりするらしい。
「誰もいないなら、じゃあ俺が」
チトセは手を挙げた。
「はい、じゃあチトセくんにお願いしますね。では全て決まりましたので、今日はこれで終わりです」
先生はすぐに締めくくった。気が変わらないうちに、ということだろうか。
「まさかチトセくんがやるなんて思わなかったわ」
「だろ? 俺もやろうと思っていなかったし。でもそれなら俺でもできるだろ」
「ええ。そうね。とても」
僧侶のスキルは本体の能力はあまり関係がなく、ほとんどジョブレベルに依存していると言ってもいい。そのため、身体能力に劣るチトセであっても他の者と遜色なく、それどころか高いジョブレベルを生かして、その力を示すことができる。
自分の力を示す機会というのもあったが、たまにはいいところを見せたいという顕示欲もあり、そして何より、女の子と共同作業というのに憧れていたのだ。他のクラスの子と一緒に作業するというのも、新鮮でいい。
むさくるしい高校生活を送ったものならば誰しも抱く願いだろう。
チトセはこの日、欲望に忠実だった。




