第二十七話 召喚獣
チトセが理事長室を出て廊下を歩き始めると、向こうから猛烈な勢いで走ってくるリディアの姿が見えた。
「チトセくーん! さあ、さあ! 先生と一緒にレッツ召喚獣!」
彼女はチトセの前で急停止すると、ずいと身を乗り出した。
くっつきそうなほど近くに、端整な彼女の顔がある。それはどこか子供っぽく、しかし彼女を見れば誰もが美人だと判断するだろう。青の瞳は大きく見開かれ、頬は興奮で紅潮している。
彼女の陶然とした表情は、どこか艶めかしくも見える。しかしチトセは、何だか発情している動物にでも襲われているかのようで、一歩退いた。
「どうしたんですか! 召喚獣は待ってくれても先生は待ってくれませんよ! 早く行きましょう!」
いや待てよ、と内心で突っ込みを入れながらも、チトセはリディアに引っ張られるようにして走り始めた。女性と手を繋いで廊下を疾走。それだけならば聞こえはいいかもしれないが、チトセは半分くらい引きずられていた。
「先生! ちょっと! 痛いんですけど!」
「そうですか! じゃあ抱っこしてあげますね!」
リディアはチトセを軽々と持ち上げると、そのまま頭上に掲げた。
(これのどこが抱っこだよ!?)
リディアは興奮したまま、学園の敷地を暴走していった。
学園を出て西の森の適当な広場に辿り着いた頃には、チトセはすっかり憔悴していた。通り過ぎ行く生徒たちの奇異なものへの視線はあまりにも痛々しく突き刺さったのである。
リディアのハイテンションは止まることは無く、手にしたチョークでカリカリと魔方陣を描いている。直径三メートルほどの円の中に、幾何紋様が加わっていく。その手際はよく、獣使いではないとは思えないほどだ。大抵手本を見ながら書いていくのだが、彼女は丸暗記しているらしい。余程愛着があるのだろう。
「先生、随分慣れてるんですね」
「そうですか? そうかもしれませんね。先生の家の壁紙は魔方陣模様ですから」
(うわっ! 行きたくねえ!)
そんなものに囲まれて過ごしていると頭がおかしくなりそうである。センスを疑うとか以前の問題だ。
次第にリディアは鼻歌まで歌い始め、これからの生活に胸を躍らせているようだった。
「先生、期待しているところ悪いんですけど、暴れるようなら送還してもらいますよ。もしそれが出来なかったら、殺処分だって考えないといけませんし」
「分かってますよ。自分の身勝手で他人に迷惑はかけられませんから」
リディアは平然とそう告げながら、魔方陣を描き加えていく。その魔方陣は、チトセも見たことがあった。一番レベルの低い召喚獣を呼び出すためのものである。
彼女の暴走っぷりを見ていると、最初から高レベルの召喚獣でも呼び出そうとするかと思っていたが、そこは冷静らしい。むしろ、そこまで召喚獣に愛着を持っているからこそ、慎重になっているのかもしれない。
獣使いではないものが召喚獣を得る。それはこれまでにない異例の行いなのだ。獣使いが召喚獣を得ることを規制する法律はない。それは戦闘が必要になる召喚獣と契約できるようになるレベル40に達したのが、未だにリディアの両親だけだからだろう。
そうすること十分。ようやく魔方陣が出来上がった。リディアはチョークを手にしたまま、暫くそれを眺めていた。低レベルの召喚獣を呼び出すのには特に必要なものはないため、後は契約スキルを使えば終わりのはずだ。
「先生、6秒しか持たないのでその間に済ませちゃってくださいね」
「分かりました! もう準備はばっちりですよ。いつでもチトセくんを受け入れる準備は出来てます!」
チトセは秒読みを開始する。リディアは目の前にきちんと集中しているようで、今までとは打って変わって真剣な表情をしている。
「レンタル!」
チトセが叫ぶと同時にスキルが発動、リディアに獣使いのジョブが貸し出される。彼女はすぐさまスキルを発動させた。
魔方陣が赤紫色に発光し、その中に一体の召喚獣が現れる。供物などを用意しない場合、召喚獣の種類は完全にランダムだ。それゆえ結果を見るまでは何が出るか分からない。
そして光の中から姿を現したのは、一体のウサギだった。それはヴォーパルラビット。ちょっと歯が鋭いだけのウサギだ。この世界基準でもっとごつごつして逞しいのが生まれるかと思ったが、毛で覆われた小さい体はもこもこしている。
それは初心者の練習に丁度いい程度の召喚獣であり、主人のレベルが上がるとすぐに捨てられてしまう可哀そうな召喚獣でもある。
ゲームだったときは、契約するかどうかの確認ウィンドウが開いたが、この世界ではどうだろうか。
やがて光は魔方陣ごと消えて、その中にはヴォーパルラビットだけが残った。リディアはすぐさま振り返って、笑顔を見せる。それは絶頂を迎えるが如く、恍惚としたものである。
「契約できました!」
「おめでとうございます。効果が切れたとき何があるか分からないので前向いてください」
リディアは慌ててそのウサギの方を見るが、しゃんとしてお座りをしている。これなら大丈夫かとチトセは安心するが、やがて獣使いのジョブが戻ってきた。効果時間が終わったのだ。
次の瞬間、そのウサギはごろりと横になって、大きな欠伸をした。やがてそのままリディアに背を向けて、すやすやと眠りこけていく。
ジョブが存在しないなら、スキル【調教】による効果もない。それゆえ召喚獣は懐かないのだろう。さもありなん、当然の結果といえばそうなのかもしれない。
リディアは笑顔のまま、インベントリから鞭を取り出した。もう獣使いのジョブは彼女にはないのだから、スキルを使うことは出来ない。何をするのだろうか、と眺めていると、彼女はすっとウサギの傍まで移動する。
途端、爆発が起きた。轟音が響き、衝撃が肌に伝わってくる。
そのウサギのすぐそばに、巨大な大穴が空いていた。チトセでさえ、食らったら即死しそうなほどの威力。それを間近で見たそのヴォーパルラビットは、すっかり震えあがってぷるぷると震えていた。
弱く戦闘に役に立たない召喚獣と思われているそのウサギが、敵対心を失うのも無理はない。
そういえばリディアは魔法使いのジョブを得たのだったな、とチトセは思い出す。今のは魔法使いのスキルだろう。しかしあれほど発動が早いのは、これまでに見たことが無かった。そして手にしているのは鞭であり、杖の固有スキルではない。
あれは魔法使いのジョブ自体に付いている属性魔法。威力に劣るものの汎用性に優れるものだ。それがあれほどの威力。恐らくは手加減しているのだろうが、それにしてもこんな危険な人物を野放しにしていてもいいものかと思わずにはいられなかった。
「いい子にしてないと、今晩の食卓に並ぶことになっちゃいますよ」
リディアは笑顔でウサギにそう告げる。そのウサギはもはや泡でも吹いて倒れそうなほどに怯えていた。
「そうだ。名前を付けましょう。ナタリさんはモーモーさんってつけてましたね。じゃあ先生は……」
リディアは子供のような無邪気な笑顔で、首を傾げて悩んだ。
状況を知らない人がそれを見れば、何と可愛い仕草だと思うこと間違いなしだ。しかしそのウサギには、きっと悪魔の笑みに見えたことだろう。
「ポチにしましょう。さあポチ、立ってください。お家に帰りますよ」
ポチと名付けられたヴォーパルラビットは、弾かれるように立ち上がった。
上位の召喚獣であれば、獣使いのジョブ無しに扱うのは恐らく無理だろう。しかしここまで弱い召喚獣なら、力を示すだけで言うことを聞かせることが出来るのかと、チトセは感心していた。
しかし獣使いによる【強化】や【巨大化】といった召喚獣へのバフは使えず、更には召喚、送還することさえ出来ない。それゆえに、戦闘に関しては全くの役立たずなのは間違いないだろう。その上、常に出しっぱなしになるため世話をする手間もかかる。
わざわざそこまでしてでも召喚獣を得たいものなのだろうかと思い悩んだが、満足げなリディアを見ていると、どうでもよくなった。
早速帰ろうかと思っていると、リディアが箱を手渡してきた。何だろうか、と開けてみると、その中にはいくつかのチョークが入っていた。
それは先ほども使っていた魔法のチョークであり、召喚獣と契約するのに必要な魔方陣を描くためのアイテムである。チョークの材質によって値段や契約できる上限レベルなどが変わってくるのだが、その中には上限である100レベルの召喚獣と契約できるものまで入っている。
使用はたった一度きりで、召喚魔法を使用すると魔方陣と共に消えてしまうのだが、一本100万ゴールドを越えていた気がする。こんなものまで買うとは、獣使いのジョブを借りることが出来るということに、余程期待していたのだろう。
「えっと、これが何か?」
「チトセくんに上げます! 今日のお礼です!」
こんな高いものを、と遠慮するが、リディアは笑顔でそれを受け取るように言ってくる。そしてつい本音が零れたのだろう。
「どんどん新しい召喚獣と契約して、先生にも見せてくださいねっ!」
チトセはリディアが優秀な獣使いを探しまわっていたのを思い出した。図鑑を完成させることが彼女の目的であり、趣味でもあるのだろう。それゆえに、お礼というより投資に近いのかもしれない。
「……当面は契約しませんよ。俺が扱えるかどうか分かりませんし、それにログも塗り替えられますから」
「それは残念です。ですがいずれ! いずれ見せてくれると、先生は信じてますよ!」
そういってリディアは奮起した。
召喚獣と契約した場合、数体分のログが残る。そのログが残っている場合何らかの利用が出来るかもしれない。そして以前契約していた召喚獣はレベル100であったので、契約出来れば非常に心強い仲間となるだろう。そのため今は契約する気にはなれなかった。
上機嫌で歩き出すリディアの隣に並んで、学園へと戻り始める。その際、リディアはまだ震えているポチと名付けられたウサギに話しかけたり、チトセと召喚獣トークを繰り広げたりと、至福の時間を過ごしているようにも見えた。
魔法使いとしては非常に優秀なのかもしれない。しかし色々残念な人なのだろう。
チトセはそんな感想を抱いた。




