第二十四話 ゴブリンキング
ゴブリンキングは咆哮を上げた。それは振動となって、周囲の者たちに降り注ぐ。圧倒的な力を示す如く雄叫びを上げる様は、まさしく悪鬼であった。
チトセは自身にヒールのスキルを使用し、失った腕を再生させていく。しかし先ほどアリシアに随分と力を使ったせいか、中々再生は進まなかった。そのことで却って焦りを覚え、それはますます彼を集中から遠ざけた。
小鬼の王が身近にいた教員目がけて飛び掛かった。素早く大剣を構えて、袈裟切りに振り下ろす。
人の倍以上もある体格から繰り出される剣は、すさまじい質量と破壊力を持っている。教員はそれをいなすように大剣の軌道を逸らして回避するが、ゴブリンキングはすかさずそこに蹴りを入れた。
鎧がひしゃげる音がした。彼女は地を転がり、後衛の所まで下げられることになった。
しかしそれによってほんのわずかな隙を作ることに成功していた。
剣が逸らされたことによって、脇腹が空く。カナミはすぐそこまで飛び出していた。
「カナミ! 足をやれ!」
チトセはカナミへと剣士のジョブを【レンタル】する。途端、彼女は急加速し、一気にゴブリンキングの懐までまで迫っていた。そしてまず一閃。敵が行動する前に肉の付いていない足首を切り裂いた。
太い両刃の片手剣は視認できないほど素早く、ほんの一瞬で肉を断った。遅れて血が噴き出して、鬼の慟哭が響き渡った。
しかしカナミは止まることなく、立て続けに足を切り上げた。たった一秒足らずの間に、二度三度、銀の刃がひるがえる。
そしてゴブリンキングはようやく反撃を開始した。手にした大剣を彼女へと叩きつけるべく振り下ろす。
カナミは大剣をちらりと一瞥すると、その隣りを通り過ぎざまに勢いを生かして切り込みながら、あっさりと敵の背後を取って大きく振りかぶった。
次の瞬間、ゴブリンキングの両の足に、一文字の線が出来た。傷口は深く、せき止められていたものが流れ出るように一気に血が噴き出した。
敵が膝をつくと、カナミはその隙に思い切り距離を取った。
4秒が過ぎて、レンタルの効果が切れた。それはチトセに剣士のジョブが戻ってきたことからも確認できる。カナミはどっと汗が噴き出して、荒い息で呼吸をしていた。強力な敵へと立ち向かうこと。彼女はほんのわずかな時間だけで、激しい疲労を感じたのだろう。
弾かれるように、教員に続いて他の生徒たちが飛び出した。
敵が膝を屈しているのは好機。これを逃す手はない。
しかし、ゴブリンキングは立ち上がることなく、素早く大剣を振り、近寄らんとする者たちへと切り掛かった。
生命の危機を感じてか、その一振りはそれまで以上の力強さがあった。数人の生徒たちは、辛うじてその攻撃を防いだものの、たった一撃で後衛のさらに後ろまで飛ばされていた。
そしてゴブリンキングは剣を地に突き立てた。ずしんと地が揺れると同時に、思い切り力を込めてその反動で跳躍した。
それは大した速度ではない。しかし体格の差は、彼我の距離を縮めることを可能にしていた。
巨体が地に付いた。そのすぐそばには、まだ体勢を整え直してはいない少女たちがいた。近くで見れば見るほど大きく威圧感がある敵。あまりにも力の差がある化け物。それを前にして、少女たちは戦慄した。
チトセはまだ肘から先の再生が終わっていないにも関わらず、駆け出した。勢いよくゴブリンキングの横を通り過ぎていく。それは誰もが逃亡と捉えても仕方がなかったかもしれない。
しかしチトセは、敵の背後に回ると同時にスキルを発動させた。
「サンダー!」
放たれた雷撃は、ゴブリンキングの全身に回っていく。何度も何度も、繰り返し撃ち続けると、やがてそれがうっとおしくなったのか、敵はくるりと向きを変えた。
大したダメージを与えられずとも、状態異常を繰り返し与え続ければそちらにターゲットが移る。それは敵のヘイトコントロールにおいて重要な要因だった。
チトセは無手であり、そのままでは斬撃を防ぐ手立てはない。すぐさま近くにある自分の腕だったものを拾い上げた。
「これでも食ってろ!」
自分の腕がゴブリンキングへと飛んでいく。それを見るのは何とも奇怪に思われたが、そんなことを考える暇などなく、すぐさま先ほど落とした銀の剣を取り戻した。
もしゃもしゃと愉悦を浮かべながら腕を食らっている敵と対峙しながら、左腕の再生を速めていく。
右手一本で出来ること。それは【ジャストガード】により一撃を防ぎ、敵の攻撃の勢いを生かして後方へと飛ぶことだ。たった一度きり、二度目はない。
「ナタリ! ターゲット取ってくれ!」
彼女が小さく頷くのを確認して、獣使いのジョブを【レンタル】する。彼女はすぐさまモーモーさんを召喚し、そこに【強化】と【巨大化】のバフを掛けていく。小さなカバは途端にむくむくと大きくなっていき、力が溢れ出てくるのが分かるほどだ。
ゴブリンキングは、チトセに狙いを定めて大剣を掲げた。
間に合うかどうか。一撃なら何とか出来ると、チトセはほんの少しばかりの余裕があった。
そして剣が振り下ろされる。チトセは防御の構えを取ったが、その瞬間、ゴブリンキングは背後から衝撃を受けて突き飛ばされていった。
チトセが見上げる先には、逞しい肉体のカバがいた。それは二本の足で立ち、すかさずゴブリンキングへと追撃を加えていった。マウントポジションを取ると、すぐさま数発顔面を殴打。
(あの生き物は一体なんだ……?)
非常時であるとはいえ、チトセが抱いたのはそんな感想であった。ゲーム内で一度も見たことは無い召喚獣。レアなのか、あるいは新しく生まれたのか。
しかしそれはほんの一瞬の出来事で、そのカバはすぐに縮んでいくと、慌てて姿を消した。強化が切れれば、一撃で死にかねない。それ故にその行動を攻めることは出来ないだろう。
ようやくチトセは腕の再生が終わって、剥き出しの左腕の調子を確認していた。そんな彼の隣に、いつの間にかアオイが来ていた。
チトセは何も言わずに、弓に矢をつがえている彼女に弓使いのジョブを【レンタル】した。
これで主なジョブは使い切ることになる。万が一でも外せば、その後攻勢に出ることはできないだろう。
アオイが弓を引くのは早かった。矢は目にもとまらぬ速さで宙を行く。一本目がゴブリンキングの脳天をいとも容易く貫いた。そして彼女は再び矢をつがえる。
ゴブリンキングは頭部に損傷を受けながらも、立ち上がった。ふらふらとした足取りだが、それでも接近を許せば此方が甚大な被害を出しかねない。
向かって来る敵へと、チトセは雷撃を放った。それを正面から浴びたゴブリンキングはほんの一瞬、硬直した。その瞬間。アオイは矢を放った。
二本目の矢が、ゴブリンキングの頭に突き刺さった。
これで終わってくれ。誰もがそんな感想を抱いたことだろう。
しかし、敵は更なる一歩を踏み出した。それは力強く、生命の灯が消える前の強さだとも言えるだろう。
教員は前に出て、果敢に向かっていった。生徒の前で、意地がある。そんな誇りが見えるようだった。しかし一人では到底かなうことなどなく、再び地を這うことになった。
「チトセくん! なんでもいいから私に!」
カナミが敵に向かって行きながら、叫んだ。チトセは暫く逡巡したものの、戦士のジョブを渡した。レベルは23であり、大した高いわけではない。それでも、低いレベルのジョブよりはましだろう。
彼女はそれまでとは違うジョブに一瞬戸惑い、しかし覚悟を決めて飛び込んだ。チトセはインベントリから何のスキルも付いていない弓を取り出した。それ故に大した威力は出ないだろう。
しかし何もしないわけにはいかなかった。隣のアオイと弓を引き、悪鬼を射る。二本の矢が飛んでいく。一本は力なく、もう一本はしっかりと。
それはゴブリンキングへと命中し、ほんの少しだけ怯ませた。カナミはその隙に胴体へと逆袈裟に切り上げる。それは力任せな一撃だった。しかしそれでも強化された腕力は、敵の胴体を切り裂くことを可能にした。
チトセはすぐさま援護に行くべく、走り出した。何が出来るかは分からない。それでも、一撃だけは防いでみせる。そこには確かな意思があった。
ゴブリンキングは動けなかった。否、動かなかった。
スキルが発動する気配。クールタイムは終わり、ゴブリンキングは大剣を横に構えている。そのときカナミは敵の胴体へと食い込んだ剣を抜くのに手こずっていた。既にレンタルの効果が切れているせいだ。そのまま下がれば武器が無く、引き抜くまで時間を掛ければ、防御が間に合わない。
そしてゴブリンキングはスキル【回転斬り】を発動させた。巨大な剣が、猛烈な勢いを伴って振るわれる。直線上のあらゆるものを切り裂く斬撃が、少女へと向かった。
チトセはその間に飛び込んだ。真横から振るわれる大剣に対して片手に持った剣を構えた。到底片手では受け止めきれるはずがない質量。しかしそれが命中する直前に【ジャストガード】を発動させる。
カナミの頭を押し下げて直線上から逸らすと同時に、体を捻る。胴体を真っ二つにされないためには、仰け反るしかなかった。
そして二本の剣が交わった次の瞬間、左腕に激しい衝撃が伝わってくる。それを利用して更に体を低くし、何とかしてやり過ごす。
しかし無理に力を入れた左腕は、大剣の勢いによってあらぬ方向へと折れ曲がった。
激しい痛みに堪えながらも、既に大剣が通り過ぎて行ったことにしてやったりとほくそ笑んだ。
「カナミ! 切り裂け!」
チトセは叫ぶ。
カナミは剣を振ることでそれに応えた。
ゴブリンキングは胴体の肉が削げ、くの字に折れ曲がった。そしてそのまま、ぐらりと倒れ込んだ。チトセとカナミはそこからすぐに距離を取って追撃を試みるが、もう敵が動くことは無かった。
「終わったか……」
「やっと、だね」
「ああ。やっとだ」
もうこれ以上戦うことなど出来そうもないほど、心身ともに疲れ切っていた。チトセは折れた腕にヒールを掛けると、すぐに元の有様を取り戻していく。随分と便利なスキルだなと思いながら、そこでふとレベルを確認した。
水明郷千歳 Lv7
固有ジョブ
【転生者Lv6】
メインジョブ
【剣士Lv45】
【戦士Lv23】
【侍Lv10】
【弓使いLv33】
【槍使いLv12】
【盗賊Lv30】
【魔法使いLv17】
【僧侶Lv47】
【獣使いLv38】
上がったのは、転生者が2だけ。どうやらレンタルのスキルを使用している間のダメージボーナスは、チトセの方にも入るらしい。それ故にたった四度のスキルの使用で、2も上がったのだろう。
せっかくボスを倒したのだから本体のレベルも、と期待したのだが、よくよく考えてみるとチトセはボスにダメージはほとんど与えていなかった。攻撃が命中したのは、頼りないサンダーが数発と、へろへろと飛ぶ矢が一発だけだ。随分戦った気がするのは、一番ヘイトを集めている時間が長かったからだろう。
暫くすると、他の教員たちが集まってくる。チトセは今はただ、カナミと共に勝利を、そして生きて帰れることを祝った。




