第二十二話 出発
その翌日、普段通りに授業を受けるべく教育棟に赴くと、教室内がやたら騒がしかった。チトセはいつも座っている席に着こうとするが、アオイはその隣にはいない。珍しい、と教室内を見回すと、カナミとナタリの傍にアオイの姿を見つけた。
クラス内はがやがやと騒がしく、チトセはその疑問をカナミに尋ねた。
「何かあったのか?」
「あれ、チトセくん見てないの? 討伐の依頼が出たんだよ!」
「ああ、あれな。自由参加じゃないのか?」
「えーっと。一応はね。でも基本的には全員参加みたい」
カナミの説明で大体把握しながら、それ故に定員が1学年全員分の500名となっていたのかと納得した。そしてこのための生命保険だったのだと、ようやく気が付いた。
面倒だと思いながらも、一人だけ不参加を選べば目立つことこの上ない。渋々それを受けることにした。
暫くして教員が入って来ると、参加意思を表明するための契約書が配布された。全員分用意されていることから、既に参加はほぼ確定済みなのだろう。恐らくは訓練も兼ねているのだろうが、他の生徒たちに倒されるだろうからレベルは上がりそうもない。
しかし安全性を考えると、まだ行ったことの無いエリアに集団で行くことが出来るのは望ましいのかもしれない。まして教員が同行するのだから、滅多なことも起きないだろう。
全員分用紙が回収されると、班分けが発表される。既に全員参加で話が進んでいたようだ。10人の班が5個。各班にはそれぞれのジョブが少なくとも1名はいることになっていた。
チトセの班はカナミが班長だった。恐らく、模擬戦の結果などを考慮して決めたのだろう。それからアオイ、ナタリも同じ班だった。
そして盗賊のジョブ持ちのアリシア・キャロルと戦士のメイベル・シトリン。アリシアは深い青の髪が印象的な大人しい少女だ。それとは対照的に、メイベルは橙色の明るいショートの髪で、性格もまた明るく自由闊達であった。
正反対とも言える性格の彼女たちは、しかし大抵二人で一緒に居た。クラスの大きな集団の中に属そうとはしなかったため、チトセも多少は認知していた。
他にも侍、槍使い、魔法使い、僧侶の少女たちがいたが、彼女らはクラス内の集団に属しているせいで、全く接点はなかった。チトセが少女たちの集団から距離を取っていたと言い換えてもいい。
そんなこともあって、アリシアとメイベルの方を見ていたのだが、メイベルは誰とでも仲良くなれそうな気はする。彼女がアリシアを気遣って、それで一緒に居るのかもしれない。
メイベルはその視線に気付くなり、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なになに、チトセはアリシアの魅力に骨抜きなの?」
「えぇ、あの……メイベルってば」
アリシアはチトセに絡んでいるメイベルの後ろに隠れるようにしながら、彼女の服の裾を引っ張って止めるように求めていた。しかしメイベルはそんなアリシアの様子を見てますますご満悦。からかうのを楽しんでいた。
「でもアリシアは私のだから、チトセには上げないよ。残念でした」
「……君ら、そういう関係だったのか」
チトセはなるほど、と頷いた。女性の比率が高いなら、そういう関係が盛んになっていても何もおかしいことはない。
しかしアリシアはそれに衝撃を受けたようで、慌てて弁明を始めた。
「ち、違うの! メイベルは私の一番のお友だちで……えっと」
視線を泳がせながら次第に俯きがちになっていく彼女を見ていると、メイベルがいじりたくなる気持ちも分からないでもなかった。
「チトセ、悪いんだけどさっきの冗談だよ。そろそろアリシアが泣いちゃう」
「へえ。俺は別にどっちでもいいと思うぞ。個性的でいいだろ」
「そういうのが趣味だったの? それはないわー」
「元凶のお前が言うなよ」
アリシアはようやくからかわれていることに気が付いたのか、頬を膨らませてメイベルの脇腹を何度も小突いた。痛がりながらも、メイベルは笑っていた。
そんな二人の様子は微笑ましく、チトセは彼女達とは仲良く出来るかもしれんとほんのわずかな期待を抱いた。
来る土曜日、チトセは学園の校門の前に来ていた。時刻は8時になる10分前。まだ眠そうな生徒たちも見られる。しかし彼らはほとんどの者がぴかぴかの鎧に身を包んでいた。暫く見まわしていると、その中に真っ赤なくせ毛の少女の姿を見つけた。
「カナミ、おはよう。皆は?」
「あ、チトセくん! もうとっくに来てるよ、ほら向こう!」
カナミが指す先には、既に全員が揃っていた。彼女は自分を探していたのだろうと思いながらも、要綱には8時からと書かれていたのだから、サービス残業をする義理はない。サービス残業は絶対的な悪であり、そこに斟酌すべき余地はないのだ。
カナミが班員が全員そろったことを教員に報告すると、彼らはようやく移動を開始した。まだ時間前なので待たせていたのには何ら思うところはなかったが、カナミには悪いことをしたと思う。
森に着くまではこのままぞろぞろと移動し、そこで班ごとに分かれて索敵をすることになっている。それぞれの鎧が朝日に輝いており、街の人々はそれを見て憧れていたり心配していたりするようだった。
この街アスガルドは学園があることで栄えたと聞いている。それだけではないのだろうが、才能という選ばれた者たちだけが持つものに憧れるのは分からないでもなかった。
そして街を出て森に足を踏み入れると、そこで班ごとに別れはじめた。アスガルド北西の森は相当な広さがある。それ故に全域のモンスターを根こそぎ狩るというのは不可能であり、数さえ減らせばいいというのが今回の依頼だ。
教員たちはそれぞれ通信端末で連絡を取りながら、時折信号弾を撃つ手はずになっている。チトセはただそれについて行くだけなので、一日ただ歩いていればいいのだと考えていた。隣りのカナミがやたらと張り切っているので、彼女に任せているだけで十分なのだから。
陣形は戦士の教員と、探索用のスキルを持つ盗賊のジョブがあるアリシアが先頭を行き、その後ろに残りの者が続くという形だ。剣士であるカナミ、チトセ、それから戦士のメイベルが前、アオイたち遠距離の間合いを得意とする者がその後ろに位置する。
その陣形を保ったまま暫く進んでいく途中、チトセは盗賊のスキル【探知】にコボルトらしきモンスターが引っかかるのを何度か感じた。しかしどうしてそれが分かるのか追及されるのも面倒であり、コボルトごときで進行を遅らせるのも悪い気がした。そして何より、日給1万ゴールドで熱心に働く気が知れなかった。
それから二時間も経った頃、森は更に暗くなり、叢生する草木は禍々しさを感じるようになってきた。どうやらこういった環境が強いモンスターを作り上げるようだ。ゲームのときはどこだろうが時間が経てば湧いていたのだが、この世界ではどうやら生殖によりその数を増やすらしく、その成長や種に影響を与えているのは遺伝要因だけでなく環境要因も大きいらしい。
チトセは探知に数体のモンスターが引っかかるのを感じた。それはこれまでとは違うモンスターだ。要綱によればゴブリンとホブゴブリンが増えているらしく、恐らくはそれだろう。特に危険性はないということで、アリシアがそれを探知するのを待つことにした。
距離が10メートルを切ったところで彼女は敵を察知したことを告げた。探知の有効半径はジョブレベルの倍なので、恐らく彼女のジョブレベルは4か5だろう。
先に教員が様子を探りに行って戻ってくると、遠距離からの攻撃を仕掛けて、それから一斉に突撃することになった。チトセたちは彼女の先導に従ってついて行く。
そこは開けた場所だった。2メートルほどの巨体を持つゴブリンたちの中に、斧を持った一回り大きなゴブリンがいた。それが恐らくホブゴブリンだろう。彼らは密集するようにしてそこらをうろついていた。
教員が手を上げると同時に、矢と火球が放たれた。それらは近くにいたゴブリンに命中し、悲鳴を上げさせた。
それを合図に、少女たちは一斉に飛び出した。
その先頭を行くのはカナミ。勢いよく地を蹴って、風のように突き進んでいく。
チトセは少々出遅れた。正確には、一番早く反応したものの走る速度が彼女たちより遅かったのだ。
その横を通り過ぎて行ったのは、やる気の感じられないナタリだった。彼女は獣使い。召喚獣を使役するのが主なスキルであるため、それほど身体能力が上がるわけではない。そんな彼女にも劣るのは、気落ちせずにはいられなかった。
カナミは真っ先に近くにいたゴブリンの腕を切り落とし、止めに首を取った。それに続くようにメイベルが戦斧を振り回し、更に奥にいたゴブリンの胴体を力任せに引き裂いた。
そこには圧倒的な力の差があった。
それは虐殺であった。少女たちが武器を振るうたびにモンスターの血肉が吹き飛び、絶命していく。命に対する思いやりなどはなく、自らの役目を果たすために剣を振るうのだ。
それは蹂躙であった。モンスターたちが武器を振るうことは無い。そのときには既にその命はなくなっていたのだから。
前衛職である四人は、チトセが敵に辿り着く前に全てを一掃した。
それまで緑と茶色だった大地は、血肉で真っ赤な花を咲かせている。その中に佇む少女たちは、何を思ったのだろうか。
動かなくなったモンスターを見下ろし、それから教員の所へと戻っていく。誰一人、自分の行為への後悔を浮かべることはなく、その代わりに達成感や義務感、そして誇りさえもが表れているようだった。
チトセは一人、何も出来なかったことへの無力さを噛み締めていた。そして、自分と彼女達との覚悟の違いを見せつけられたようで、その辛酸を受け入れることが出来ずにいた。
モンスターを殺すことで強くなれると思っていた。しかしその内心では、残虐な行為への抵抗が無かったわけではない。ゲームだったときには残酷な描写はなかった。それゆえあっさりと敵を殺すことが受け入れられたのだ。
しかしこの世界では、切れば当たり前に血が出て、殺そうとすれば怨嗟の声が上がる。行動に移すことには問題が無かったが、それでも多少の抵抗を感じることはあった。
彼女たちは、そんなことなど微塵も気に掛けてはいなかった。義務を果たす。目的のために敵を狩る。それぞれ異なる思いではあるだろうが、そこには共通した一つの認識があった。
モンスターは害をなす敵であり、殺すことは当然の行いである。
迷いのない彼女たちは、それ故に強い。それ故に、儚い。
戦いに慣れた少女たちと元の世界の少女を比べて一瞬だけ切なさを覚えたが、それはきっと彼女たちを侮辱することに他ならない。
チトセはその強さを羨ましく思った。




