第二話 変わる世界
チトセは先ほどの地点から移動しながら、インベントリを開く。しかしそこには10万ゴールド以外、何も入ってはいなかった。このサブアバターでさえ20億ゴールドくらいあったはずだ。その差はあまりにも大きい。
そしてこれまではマス目にアイテムを仕舞うもので、アイテムごとに必要なマスの数が異なるというものだったのに対して、今は収納可能容積だけが表示されていた。
ためしに近くの雑草を引っこ抜いてインベントリに収納する。すると手の中から雑草は消えて、代わりにインベントリの収納可能容積が僅かばかり減少した。それから別の物を入れてみる。
どういうわけか、入れた分の容積以外は減らないようだった。これまで効率重視で来たため、敵と交戦しながら整理もしてきた。その手間暇がなくなったのは、ありがたいことだ。
そこでチトセはようやく自分の装備が変わっていることに気が付いた。形はこれまで使用してきたものとあまり変わらなかったということと、それほどダメージを負ったわけではないため気が付かなかったのだ。剣が変わっていたときに気付くべきだったのかもしれないが、チトセは少々動転していたのだった。
防具を確認していくが、どれも初期装備でしかない。このサブアバターで使用していた防具は、メインアバターの使いまわしだったため、それが無くなると相当な被害と言うことになる。
「くそ。いくらすると思ってるんだよ。RMTしたら現金100万円くらいの価値があるってのに。これで運営が動かなかったら嫌がらせしてやる」
チトセは悪態を吐きながら、他の異変を探していく。各ジョブのスキルには影響はないようだった。しかし元々ジョブについているスキルは多くない。そしてほとんどが能力上昇系である。その代わりにジョブごとに追加効果が得られる武器が異なり、それに固有のスキルが付いてくるというシステムだった。
要するに、武器を切り替えながらスキルを使い分ける、というものだ。武器の方のスキルを確認したいとは思うものの、全て初期装備に差し替えられてしまった以上、それはできなかった。
他の異変はと言うと、やはり大きいのは筋力が武器の扱いに反映されるようになったことだろう。これまでは片手で持とうが両手で持とうが威力や感じられる重さに変化はなかったが、今はどうやらそうではないらしい。そうなると、二刀流のメリットがあまりなくなってくる。
しかし二刀流のメリットは、それぞれの手に異なる武器を持つことで二つのスキルを瞬時に使い分けるということにある。もちろん、敵からの攻撃を防ぐことが出来るプレイヤースキルがあるという前提があってのことだが。
それから周囲を警戒しながら歩いていくが、モンスターと遭遇することは無かった。そのため気が緩んできて、そうなるとアイテムがなくなったことで気落ちしてくる。
さっさとログアウトして運営と連絡を取りたいのだが、ログアウトの操作が無くなっているためそれができないのだ。それゆえに誰か他のプレイヤーと連絡を取りたいのだが、フレンドリストも消滅しておりチャットも出来ないため、こうして彷徨っている。
そのとき、彼の前にモンスターが飛び出した。チトセはすぐさま二本の剣を抜き、臨戦態勢に入る。目の前にいたのは、ゴブリン。それは緑の肉体を持つ小鬼で、戦意を見せているもののどこか間抜けに見える、コボルトに次ぐ弱さを誇っているモンスターのはずだ。
しかし今目の前にいるのは、どこをどう見てもそんなちんけなモンスターではない。巨大な剣を持ち、二メートルはあろう巨大な体は筋肉の鎧で覆われ、顔は薬でもキメているかのように狂気じみている。そしてフシュー、と荒い鼻息で、ずんずんと大地を揺らしながら歩いてくる様は、まさに化け物である。
出方を窺っていると、ゴブリンはドンッと地を蹴った。土が抉り取られて舞い上がる。そしてゴブリンは一瞬にして距離を詰めてきた。巨体に似合わぬ素早さに、チトセは一瞬呆気にとられた。
そしてゴブリンは剣を振り下ろす。大気を切り裂き、重厚なる剣が近づいてくる。チトセは咄嗟にサイドステップによりそれを回避、剣は地に叩きつけられた。
剣は深々と地に突き刺さる、その隙にチトセはゴブリンの横を通り抜けるように移動、そして体を捻って剣戟を振るう。
遠慮なく繰り出した攻撃は、ゴブリンの胴体をしっかりと切り裂き、大量の血を噴出させた。返り血を浴びながら、チトセはバックステップでゴブリンから距離を取る。
次の瞬間には眼前を横一文字に剣が通り過ぎて行った。その勢いはすさまじく、一撃で相当なダメージを負うことになるだろう。しかしその反面、反動は大きい。
すぐさま距離を詰めて、二本の剣で切りかかる。今度は反対側の懐に入り込んで切り刻む。
いくら強化されているとはいえ、所詮はゴブリン。単純な知能しか持たないはずだ。ドラゴンをも切り殺してきた彼にとって、敵ではない。
次第にゴブリンの傷は増えて、動きは緩慢になっていく。チトセは止めを刺さんと切り掛かった。しかし次の瞬間、ゴブリンが何かを叫んだ。途端、ゴブリンは急に片手を振り上げた。その動きはこれまでとは比較にならないほど早く、チトセは一瞬だけ反応が遅れた。
――スキル。
その考えに至ったとき、もはや剣は振り下ろされていた。チトセは咄嗟に両手の剣により軌道上を塞ぐが、それもお構いなしにゴブリンは剣を振り下ろしてくる。
そして巨体の全体重を乗せた一撃が、彼の上から打ち込まれた。
激しい衝撃と轟音。そして、金属が砕け散る音。初期装備の剣の一本は中程から粉砕されていた。
それによってチトセは体勢を崩し、剣一本でバランスを欠いたため軌道が逸れて受け止めることが出来なくなった。
袈裟切りのように斜めに一直線。咄嗟に後方へと跳躍したものの、初期装備の防具はあっさりと切り裂かれて、剣は胴体まで達していた。
焼けるような痛みが、遅れてやってくる。それはゲームでは感じられなかった痛み。この世界がゲームではないと告げられる痛み。死への恐怖から来る痛み。
我を失ったチトセの前に、再び剣が現れる。
それを防ぐことが出来たのは、条件反射的なものだったといってもいい。チトセは考える前に剣を構えていた。そして今度は先ほどの威力は無く、衝撃でただ突き飛ばされるのに止まった。
地を転がって、胸部から腹部にかけての傷口に土が入って痛む。ゴブリンから彼まで真っ赤な血の道が出来上がっていた。
しかしチトセはすぐさま起き上がって、精神を集中しスキルを発動させた。
「ヒール!」
大量出血で死に瀕していたのが嘘だったかのように、傷口はすぐさま塞がっていく。しかしそれとは対照的に、ずっしりとした疲労が襲ってきた。MPを消費したのかもしれないが、ステータスに表記が無い以上、それもこういった面で反映されているのだろう。
その相違が却ってチトセに冷静さを取り戻させた。
マルチジョブの効果は反映されており、剣士の状態でも僧侶の回復スキル【ヒール】を使用することが出来る。そしてその効果はHPの回復ではなく肉体の損傷の回復に変化されている。
それだけの情報ではあったが、考えることによって頭はますます冷静になっていく。先ほどのゴブリンの攻撃は、一撃を強化するスキル【バッシュ】だろう。ゴブリンはスキルを使用してくることなどなかったが、あれはもはやゴブリンとは別種だと見てもいい。
そしてスキルにはクールタイムが存在する。ならば今は畳み掛けるチャンスなのだ。
チトセはゴブリンへと飛び掛かる。繰り出される剣戟は、遭遇した直後より動きが鈍い。ダメージを与えることで敵が弱まる、そんなのはこれまでなかった。
しかし何も問題はない。ただ回避して、空いた胴体に剣をぶち込めばいい。
チトセは剣を紙一重で回避、ゴブリンの胸部へと剣を突き立てた。そして初期装備の剣は、そこで折れた。
二本の剣を失ってしまった以上、継戦は難しい。チトセは距離を取るが、ゴブリンはその場で倒れ込むと、動かなくなった。
チトセはその死骸をインベントリに収納する。するとアイテム【ゴブリンの死骸】と【ゴブリンの剣】に分割されて収納された。
ためしにゴブリンの剣を取り出す。二メートル近い大剣ではあるが、両手で持てば使えないことはない。大剣はどちらかと言えば剣士より戦士の方が恩恵が大きいため、ジョブを変更しようとして、マルチジョブがあるためその必要がないことを思い出す。
彼のメインアバターは全ジョブレベル100まで上げきっていた。そのため全ての武器を使おうと思えば使えるのだ。しかしこのサブアバターではあまり使ってこなかったため、戦士のジョブレベルは22しかない。
メインの方で来ればよかった、そう思いつつも、ここがもはやゲームの中ではないのだと、そんな気がした。
VRMMOで最大の禁忌は、身体、精神への苦痛だ。人体に害を与えるそれらは法によって禁止されている。それはどれほどバグ満載でダメだと言われている運営であっても、遵守していることだ。
一度たりとも起きたことが無い例外。そしてログアウトやシステムなどの不在。それらは、変わってしまった世界を彼に突きつけた。
「どうなっちまったんだか」
ひとりごつ彼に答える者はない。しかし彼は大剣を肩に乗せて歩き出した。
もしこれが現実だったとしても、ゲームのシステムが生きているのなら悪くない。元々の現実の方が、余程残酷なのだから。そんなことを思いながら、一歩ずつ足を動かしていった。