第十九話 深夜の狩人
チトセは一旦学園に戻ると、夕食を済ませてすぐに西の森に向かった。時間はいくらでもあるが、卒業までは七年しかない。その間に何としてでも彼らの強さを乗り越えて見せるのだ。
夜の街は街灯に照らされて、ぼんやりとその姿を映し出していた。行き交う人の数はさほど多くはないが、若い女性が一人で出て歩いたりしているところを見る限り、治安は良いのだろう。
それから森の中に足を踏み入れると、静まった雰囲気が心地好い。時折聞こえる羽音や虫の声。風に乗ってくる大地や草木の香り。そのどれもがこの世界の実感をもたらしてくれる、欠けてはならない大切なものだ。
チトセはインベントリから銀に輝く剣を取り出す。軽く振ってみると、細身でありながら、風を切る確かな手ごたえがあった。
深い森の中、【探知】を発動させながら進んでいく。暫く行くと、モンスターの反応があった。恐らくはコボルトかゴブリン、大した強くないモンスターだ。それでもチトセにとっては余裕とはいかない相手なのである。
気を引き締めつつ、少しずつ距離を詰めていく。やがて見えたのは、予想通りコボルトであった。
チトセは周囲の他のモンスターがいないことを確認すると、ゆっくりと敵へと近寄っていく。奇襲を掛けないのには理由があった。
コボルトは彼を見つけると、奇声を上げて飛び掛かっていく。地を蹴る足に力が籠り、膨れ上がった筋肉が巨体を突き動かす。それほど反応が早いわけではない。それでも彼を上回る筋力は脅威であった。
チトセは敵の攻撃に精神を集中させる。筋肉や目線、あらゆる情報から今後の動作を推測していく。
そしてコボルトは、槍を振り下ろした。
風を切る音がすぐ近くから聞こえてくる。チトセは慌てることなく【ジャストガード】のスキルを使用し、槍を受け止める。
音は出なかった。
チトセは紙で出来た槍を受け止めているかのような手ごたえのなさを感じながらも、すぐさま踏み込んだ。そしてコボルトの槍を持つ腕を一本ずつ両断する。
ほとんど抵抗なく、モンスターの両腕が切り落とされた。剣の切れ味は、これまで使用してきた大剣などとは比べ物にならなかった。
パニックになるコボルトの側面に回り込みながら足払いを仕掛ける。あっさりとコボルトは転倒し、地に頭をぶつけて呻き声を上げた。チトセは槍を回収して足に傷をつけてから、暫くその有様を眺めていた。
彼は嗜虐的な趣味があるわけではない。スキル【ジャストガード】の有効時間は1秒。本来はガード時の衝撃を無くすために使用するものであるが、それの発動中は通常攻撃がスキル攻撃としての判定される。そのためこれを利用してジョブレベルを上げることが出来るのだ。
それからクールタイムの20秒が経ち、再びスキルが使用可能になる。敵の攻撃など来ないというのに、【ジャストガード】のスキルを発動させた。
たった1秒の間に、三度切り掛かった。一度目は胴体、二度目は胸部、そして三度目は、首。コボルトは動かなくなった。
剣を振るうたびに、スキル使用経験値だけでなくダメージボーナスによる経験値が入って来る。この調子で敵を狩れば、今日中にジョブレベルは上がることになるだろう。
敵が強い場合はこんな悠長なことをしている暇はないが、コボルト相手ならクールタイムを待つ時間くらいはあるだろう。本体レベルとの兼ね合いから、二、三回で仕留めることにした。
それから二時間ほど狩りを続けていると、本体のレベルが一つ上がった。チトセはその感覚を確かめるように、軽く剣を振る。風を切る音は、心なしか鋭くなっているような気がした。
現在時間は九時。ゲームならば、プレイヤーたちでごった返している時間だ。しかしこの森に入って来る者は、一人もいない。それを快適に思いつつも、少しばかりの寂しさを抱いた。
チトセは森の中を進んでいく。暫くすると、ネームドモンスターが探知に引っかかった。倒せるかどうか、それを疑問に思いながらも、昼間見た程度のモンスターであれば何とかなるだろうという楽観的な考えを捨てきれなかった。
少しずつ距離を詰めていくと、木々の隙間で隠れるようにして居眠りをしているコボルトリーダーがいた。身長二メートルほどと大きく、まともにやり合えば勝てる気はしない。
しかし先手に一撃強烈なのをぶち込めば、後は有利に戦闘を運べるはずだ。チトセは武器を大剣に切り替えた。それから音を立てないように、しかし素早く接近する。
次の瞬間、コボルトリーダーは体を動かした。
チトセは心臓を掴まれたかのようで生きた心地がしなかった。しかしどうやら寝返りを打っただけのようだ。それに安堵しながら、ゆっくりと距離を詰め、ようやくあと一歩の所まで来た。
大剣を掲げて、一つ大きく呼吸をすると、飛び出した。
すぐ間近になったところで、コボルトリーダーはチトセの接近に気が付いた。しかしその時には既にスキル【バッシュ】が発動している。
漲る力に任せて、大剣を振り下ろす。武骨な剣はコボルトリーダーの脳天目がけて振り下ろされた。しかし敵はすぐさま体を捻って、それは胸部に深々と食い込むだけにとどまった。
敵が槍を持つのを確認するなり、チトセは剣をインベントリに収納して距離を取った。眼前を横一直線に槍が通っていく。その先端が掠ったことで安っぽい鎧はあっさりと切り裂かれた。既に縦一文字に傷があった鎧は、更に傷が加わって十文字に穴が開いていた。
槍は胴体を僅かに切り裂いただけであったため、チトセは精神的疲労と天秤に掛けて、治療しないことを選択する。
インベントリから銀の剣を取り出す。どれほど敵が強かろうと、一撃だけは防ぐことが出来る代物だ。ならばあとは見切るだけでいい。
コボルトリーダーの傷は思ったよりも深いらしく、ぜえぜえと肩で息をしている。持久戦に持ち込めば、こちらが有利だろう。
その考えによりじっと敵の出方を窺う。やがてコボルトリーダーは我慢できなくなったのか、絶叫にも等しい声を上げながら駆け出した。一直線に向かって来る様は、圧巻である。
チトセは敵との距離をはかる。そして突きが繰り出されると同時に、空いている方の手を付き出して叫んだ。
「サンダー!」
ほんの一瞬だけの痙攣。しかしそれは槍を躱すのに十分な時間を稼いだ。
体を捻るようにして回避、側面に回り込むと同時に胴体へと一撃を入れて離脱。血飛沫が舞い、銀色の剣は赤くきらめく。軽い一撃であったが、剣の切れ味のおかげで傷は深くなった。
コボルトリーダーはすぐさま振り向き、横薙ぎの一撃を放った。
チトセは【ジャストガード】を発動させ、剣を立ててそれを受け止める。当たった感触はなく、遅れて槍で押される感覚がやってくる。しかしその時には既に懐へと踏み込んでおり、槍を持つ二本の腕の一方を切り上げた。
少しでも攻撃が弱まればいい、その程度の考えだった。しかし剣はコボルトリーダーの強靭な筋肉を切り裂き、骨をも断った。
どさり。片腕が落ちた。
チトセはすぐに後退しようとするが、その時既に槍が迫っていた。咄嗟に剣で軌道上を塞ぐが、力任せの一撃を受けて、衝撃を押し殺すことは出来なかった。
受けた剣ごと押し出され、地を転がっていく。慌てて起き上がったときには、既に敵は接近していた。危険を感じて咄嗟に飛び退いたのは僥倖だったといえよう。先ほどまでいた所に槍が突き刺さっていた。
まともに打ち合えば、勝てる相手ではない。筋力があまりにも違い過ぎるのだ。そこに自分との力の差を感じ、チトセは歯を食いしばった。
【ジャストガード】のクールタイムは20秒。それまでひたすら距離を取るしかない。コボルトリーダーはそれを許しはしないと、鬼の形相で向かって来る。
「アース!」
チトセは土属性の魔法使いのスキルを発動させる。敵との間の地面が盛り上がって、凹凸を作る。コボルトリーダーはそれに引っかかって、前のめりに倒れ込んだ。
それは好機。チトセは咄嗟にインベントリからコボルトの槍を取り出し、コボルトリーダーへと投げつける。敵が動いたことで狙いから外れるが、それでも胸部へと突き刺さった。
まだ死なない敵の生命力に驚きを隠せない。しかし頭は冷静ですぐさま距離を取った。敵が近づいてくるたびに、真っ赤な血の線が伸びていく。次第に敵の動きは緩慢になってきた。
そしてクールタイムが終了した。
チトセはコボルトリーダーへと飛び掛かった。敵は迎撃の体勢を取り、残った力で槍を振るう。その瞬間に【ジャストガード】を発動、受け止めると同時に切り返してコボルトリーダーの首を狙った。
剣は吸い込まれていくように、首を通り抜けた。そして、離れた頭が地に転がり落ちた。
ようやく敵は動かなくなり、チトセは安堵の息を吐いた。それから死骸をインベントリに回収し、自身にヒールを掛けてからようやく歩き出した。肉体の疲労は僧侶のスキルで何とかなり、精神的疲労は歩いているうちに多少は回復する。
まだまだ時間はある。次は辛勝ではなく、圧勝できるように。
チトセは早くも次の敵を求めて、森の中を彷徨う。




