第十五話 疑い
学園長リディア・エイデルは、それからも召喚獣トークとやらを続けた。ナタリは渋々付き合っていたのだろう、リディアがチトセとアオイのいる席に着いて、ナタリも誘ったときの顔といったら、何とも表現しがたいものであった。
結局、アオイと二人きりの食事は中断されて、すぐそばには疲れた様子のナタリと、ひっきりなしに話すリディアがいる。三人の女性に囲まれて食事をするのは、これが初めてのことだった。
「先生はどうして召喚獣が好きなんですか?」
チトセが何の気なしに尋ねると、リディアは暫し面食らったようだったが、すぐに元の笑顔になって話し出した。
「先生の両親は獣使いだったんですよ。残念ながら、それは遺伝しませんでしたが」
ジョブは遺伝する傾向が強いと先ほど保健の授業で読んだばかりだ。しかしそれは絶対ではなく、リディアは魔法使いのジョブを得たそうだ。
「両親はとても優秀で、召喚獣の図鑑を作成していました。ですが契約の作業中に、召喚獣に襲われて亡くなったのです。それまで召喚獣に襲われる、という出来事は一度もなかったので、誰一人それを信じてはくれませんでした。ですから、それを証明すべく手伝ってくれる方を探しているのです。そして図鑑を完成させるのが、私の夢です」
そう言うリディアは、懐かしそうに目を細めた。その一方、ナタリはドン引きしていた。そんな危険なことを手伝わされてたまるかとでも言いたげである。
チトセはそう言えば契約にはいくつかの種類があった、と思い出した。無条件で契約できる平均的な召喚獣、アイテムや金を要求してくる、特殊なスキルを持つ召喚獣、そして戦闘に勝利することで契約できる戦闘力に特化した召喚獣などである。
レベル40以下の召喚獣は全て無条件であったが、それ以降は条件付きの契約が出始める。確か一番最初の戦闘条件付きは――。
「コドモドラゴンでしたっけ」
「え? チトセくん、どうしてそれを知ってるんですか?」
「あの、最初に戦闘の条件がいるのはコドモドラゴンなので、そうかなと推測しただけなんですが、当たってました?」
「なるほど……。チトセくんは召喚獣マニアでしたか!」
リディアは納得したように何度か頷いた。コドモドラゴンは、ドラゴン種の中でも小さく最もレベルが低いドラゴンである。その分随分ステータスも低くなっているが、戦闘特化の召喚獣であるため、レベル40から50の間の獣使いの間では、次の召喚獣までのつなぎとして使われていることが多かった。
チトセは彼女ほど召喚獣に愛着を持っているわけでもなければ、獣使いをメインに使ったこともない。正直、多少のダメージソースまたは複数の敵がいる場合にヘイトを集めてターゲットを取ってもらう壁として狩りの効率が上げるものとしか見ていなかった。
実際、大多数のプレイヤーはそうだったのだろう。獣使いで召喚獣専用のバフさえかけてしまえば、強い攻撃スキルがあるわけでもないので、後は別のジョブを使った方が効率はいいのだから。
それからリディアはチトセに積極的に話しかけてきた。彼としても、ゲームとこの世界の相違を確かめるという意味では有益な時間ではあったが、話が長引けば長引くほど、ナタリはげんなりした表情を見せるのだった。
「先生、そろそろ授業が始まりますので、私たちはこの辺で」
ナタリに気を使ったのか、まだ時間はあるのだがアオイはリディアに告げた。
「あ、ごめんなさい! つい先生嬉しくなっちゃって。チトセくん、またお話しましょうね!」
「機会があればよろしくお願いします」
チトセはそう言ったものの、面倒くさいなあと内心では思っていた。それから会計を済ませる間、アオイが大量の1万ゴールド硬貨を取り出すのを眺めていた。ナタリはどうやらリディアに支払いを持って貰っていたようで、それが済むのをぼけーっと見ていた。
元の世界なら一人当たり10万円程度のフルコース。食べ終わって満足すると、他人の支払いであるとはいえ支出が勿体なく思われるのは、さほど裕福でもなかったゆえの性だろう。
それからリディアと別れて、ナタリ、アオイと教室に向かった。ナタリはあまり人と一緒に居ることを好まないようだったが、リディアから解放されたことはありがたく思っているのだろう、同行を拒みはしなかった。
「ねえ、チトセくん。剣士って……」
「ああ。俺のジョブは剣士な――」
「嘘」
ナタリが半眼で、じっとこちらを見ていた。彼女には自分のジョブが転生者だという話は既にしてある。そしてアオイには僧侶だということになっている。最早八方ふさがりのようにも思われた。
「獣使いの命令しか召喚獣は聞かない」
「ああ。先生がそう言ってたな」
「だからチトセは獣使いも持ってる」
ナタリは強引にそう結論付けた。鎌をかけているだけなのかもしれないが、もはや隠し通すのも面倒になってきていた。
「実は俺は異世界から来たんだ。ジョブも存在しない男女比も一対一の世界だ。それでこの世界に来たら全部のジョブを持っていた」
ナタリの胡散臭い人物でも見るような、蔑んだ表情がたまらない。いっそのこと全て打ち明けてしまえば、そんな馬鹿げた話を信じるものなど夢想家くらいだろう。却って嘘のように思わせるのには成功したが、ナタリの好感度はぐっと下がったように思われる。彼女が端整な顔を歪めて向けてくる侮蔑の視線は、そういった趣味がある人なら泣いて喜ぶほど魅力的なのだろう。
一方でアオイはと言うと、真剣に悩んでいるようだった。彼女はナタリより相当チトセを信用している。そして僧侶のスキルを使っているところも見ていた。それゆえに、本当なのか冗談で言っているのかはかりかねていたのだろう。
やがてナタリはチトセに力強く言った。
「本当のことを言って」
「今のが本当のことさ」
「嘘」
「嘘じゃない。全て真実さ」
そうしているとナタリは問答に飽きたのか、証拠を要求してきた。
チトセはそんなものを見せる義理も無ければ、その必要もない。信じなければむしろ好都合だからだ。
「本当はやれるんだけど、そんな能力があったら立場が危うくなるかもしれないからやらない」
「立場は私が保証する」
「具体的には?」
「アスター家の養子にする」
公爵家の養子。確かにそれ以上の権力はないだろう。しかしだからといって、ナタリが最後まで約束を守るとは限らない。そして彼女だけでそれを決定できるわけでもない。
「ナタリさん。それなら私がお父様にお願いするわ。権力も変わらないしいいでしょう? チトセくんは、キサラギ家の養子にする」
「別にかまわない」
本人を差し置いて、話は淡々と進んでいく。
権力が変わらないということは、まさか。残りの公爵家の一つは、アオイのところだったのだろうか。
アオイが自ら願い出たのは、恩返しのことがあるからだろう。それを受け入れれば、後ろ盾を得ることが出来る。恐らく、学園に通う平民の大勢は、その条件を提示されればすぐに飛び付くのだろう。
しかしそれは他人の力を借りているようで、あまり望ましいとは思えなかった。自分の力で、自分の技術で。この世界で成り上がる方法を模索する前に、可能性を途絶えさせてしまうのは、惜しい気がした。
それでもこの世界で全く伝手の無い彼にとって、そうした頼れる人物が出来ることは悪くない。養子になるかどうかということは置いておくとして、何か困ったことがあったとき、きっとアオイなら力になってくれるだろう。
そのことを考えると、自分の力を示すのは悪い考えではないように思われた。
「分かったよ。これから授業が始まるから放課後に見せる、それでいいか」
ナタリは小さく頷いた。その表情は、どこか嬉しそうにも見えた。
アオイはチトセを見て微笑んだ。知り合ってから大した経ってもおらず、不詳の人物であるのに全幅の信頼を寄せられるのは、この上なく喜ばしいことだろう。チトセは、この友人に何か出来ることがあれば、これからも続けていきたいと思うのだった。
それからクラスに戻ると、再び退屈な授業が始まった。まずはガイダンス。これまでと同じことが繰り返される。
しかしこれも余裕だろう、そんな考えははっきりと打ち砕かれた。教科書の一ページ目を捲ると、世界地図が現れた。しかしそれはゲームだったときのものと大きく変わっている。大陸の形自体はさほど変化はないのだが、国や街の情報があまりにも変化していた。
政治経済、地理、歴史。それらの社会科目がまとめて一つの授業になっていた。このままでは赤点どころか、一点すら取ることはできないだろう。チトセは顔を上げて、話を真面目に聞くことにした。




