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第十二話 壁殴り

 チトセは朝食を終えると、カナミ、ナタリと別れて医務室に向かった。早朝に寮を出たはずなのに、辺りは既に朝食を取りに来た生徒たちで賑わっていた。今日は土曜日で休日だというのに、彼らの朝は比較的早いようだった。


 食堂は二階なので、すぐ下の一階に降りると各種サービスが受けられるフロアに到達する。その奥まったところにある、ひっそりとした医務室の扉をノックすると、女性の返事が返ってくる。


 その聞き慣れた声に安堵しながら、中に入った。医務室の先生は入り口付近にある机にはいない。奥のアオイのいるベッドを見ると、カーテンの向こうに二人分の人影が見えた。


「ヒール」


 先生の声が聞こえる。その方でほんのりと何かが変化したような気がする。どうやらそれが魔力の変化というやつのようだ。実際に他人がスキルを使っているのを見たことは無かったので珍しく思いながら、そちらへと向かった。


 けほけほ、と咳をする音が聞こえた。


「ごめんね。クリアのスキルを使えれば良かったんだけど……」

「いえ。いつもありがとうございます」

「何かあったら呼んでね。邪魔しちゃ悪いから」


 先生はカーテンを開けて出てきた。それからチトセに目配せして、奥の部屋に入っていった。


 チトセがカーテンの向こうへと足を踏み入れると、アオイは嬉しそうな表情を向けてきた。しかし具合はあまりよくないのか、目の下には小さな隈が出来ていた。


「クリア、使えたら治るのか?」


 【クリア】は僧侶のレベルが20強で覚えられるスキルだ。状態異常を治すもので、効果はジョブレベルに依存する。僧侶は回復するのに必須だったため、チトセもそれなりに上げている。


「お父様が、知り合いの僧侶Lv23の方にお願いしてかけてもらったこともあったんだけど、あまり効き目が無くて」

「もっと高レベルの人には頼んでないのか? 騎士にはレベル40の人がいるとか聞いたけど」


 彼女はくすくすと笑った。上品に笑う彼女は、どこか儚くも美しかった。チトセはつい見惚れてしまったが、彼女は顔を上げて告げた。


「チトセくん、それは剣士とかよ。僧侶は成長が遅いから、さっき言った人が高レベルなの」


 彼女が言う様に、僧侶のレベルを上げるのは中々難しい。ゲームだったときは、ジョブレベルの経験値を得るにあたって、使用するだけで一定量の経験値が入るスキル使用経験値と、スキルでダメージを与えることによるダメージボーナスがあった。


 しかし僧侶には攻撃スキルが存在しないため、ダメージボーナスが得られないのだ。割合としてはダメージボーナスが圧倒的であるため、スキル使用経験値だけで上げるのは骨が折れる作業だ。それに加えて、消費MPの都合上、スキルを連射することもできない。


 それゆえ、僧侶は各ジョブの中でも最も上がりにくかった。


「じゃあ試してみようか」

「え?」


 アオイはチトセが冗談を言っているとでも思ったのか、おかしいといった表情のままだった。しかし彼が真剣な表情になると、それが冗談ではないことを察知して、今後の成り行きに任せた。


「クリア!」


 チトセは叫ぶと同時に、フルマラソンでも走った後のような、全身に纏わりつく倦怠感に襲われた。ぜーぜーと肩で息をしながらアオイを見ると、驚いたような温顔は血色が良くなっていた。


「え? え?」

「どう? 治ったかな?」

「すごく良くなったみたい。完治はしてないみたいだけど……ありがとうチトセくん! チトセくんって僧侶だったのね」


 暫く困惑していたアオイは、冷静さを取り戻すと何かに思い当たったかのように首を傾げた。


「あれ。でも自分で使えるのにどうして医務室に来たの?」

「えーっと。心のケアを求めて、かな?」


 チトセが冗談交じりに言うと、アオイは笑った。それは見る者を魅了する、美しい笑みだった。彼はここに来て良かったと思うと同時に、更にジョブレベルを上げれば、彼女の状態が完治できるのではないかと思い至った。


「アオイ、週明けから学園に行かないか?」

「え、でも……」

「丁度通常授業が始まるんだ。それまでに体調の方は、俺が何とかしてみせる。だからさ、そしたら一緒に行こう」

「……うん」


 アオイは俯いた。その顔はほんのりと赤くなっている。

 彼は小さな一歩を踏み出そうとする。そして彼女もまた、その手を取るのだ。


 チトセは穏やかなる幸せを感じた。




 医務室を出ると、すぐに厚生棟三階の購買部に向かった。武具を取り扱うコーナーに足を踏み入れると、無数の武器や防具が展示されていた。暫くその中を見ていくが、いつまでも目的の物を見つけられず、面倒になって店員に尋ねた。


「エンチャントスキルのついた杖はありませんか?」

「ええと、使用可能レベルは25以降になっていますが、よろしいでしょうか」

「問題ありません」


 そう告げると、女性は在庫を探しに奥に向かった。武器にはスキルが付くことがあるが、それを使用するのにはレベル制限がある。ジョブレベルが上がりにくいこの世界では、高レベル向けの装備はほとんど売れないのだろう。


 やがて女性が戻ってくると、一本の古びた木の杖を提示した。チトセはそれに手を触れると、インベントリ内の物と同様に情報が表示される。



古びた木の杖


使用可能スキル


【エンチャント】

使用可能レベル25

武器に属性を付加する。



付加可能属性

魔法使い 火、水、雷、地

僧侶 聖



 そこには彼が想定していた通りのスキルがついている。しかし僧侶は基本的に肉弾戦を行うわけではないので、初期装備と大した変わらないような、出来るだけ軽い木の杖が好まれていた。


 それならば値段もそれなりに高くなってしまうのではないか、と危惧したが、提示された額は10万。ゲームだったときはこれくらいの品ならば、1000万は堅かったのだが、使い手がいないのでは価格は高騰しないらしい。チトセはインベントリ内の残額を確認すると、10万5000ゴールドしか入ってはおらず、これを買ってしまえば明日の食事さえ困ることになるだろう。


 それでも、チトセは迷うことなくそれを購入した。それから残った5000ゴールドで、何のスキルも付いていない木の杖を4本購入する。残額は200ゴールドになった。


 一食分の食費さえも残ってはいないが、これで準備は整った。現在は土曜の朝9時。月曜日の授業は朝の8時から始まるため、残り時間は47時間。それまでに出来ることをする。


 チトセは杖をインベントリに収納すると、学園を飛び出した。それから真っ直ぐ西に向かう。裏路地を通り抜け、街をぐるりと取り囲んでいる柵を跳び越えて、森の中に飛び込んだ。


 そして街からそれほど遠くはなく、しかし音も響かないほどに距離を取ったところで、チトセは古びた木の杖を取り出す。そして自分に【エンチャント】のスキルを使用した。そしてすぐさま両手にそれぞれただの木の杖を装備する。


 チトセは眼前にある一本の大木へと殴りかかった。


 カンッ。甲高い音が響く。木の杖は軽く、ほとんど衝撃を与えることはできない。しかし彼は何度も何度も、二本の木の杖を大樹に向かって打ち付けるのだ。ただひたすら腕を振り、木を叩く。


 打たれた木には少しずつ削れた跡が出来ていく。そのことを確認して、チトセは小さく笑みを浮かべた。


 ――壁殴り。


 そう呼ばれるジョブレベル上げの方法だった。


 僧侶でエンチャントできる属性は、聖属性だけだ。それはアンデッド系モンスターへの攻撃力を上げるというものであり、それほど大きな効果が期待できるものではない。しかしそれには別の利用法があった。


 通常の武器による攻撃が、スキル攻撃とみなされるのだ。そのためスキル使用経験値が入って来ることになる。普通の狩りに比べれば効率は悪くなるが、延々と続けることが可能であり、他に攻撃方法を持たない僧侶で壁殴りを行うものは多かった。


 さらにダメージが0ではダメージボーナスが入らないが、1でも与えることが出来たならダメージボーナスが入る。そしてそれは一定量の基本ボーナスに、大ダメージを与えることでさらに追加される、というものだった。


 つまり、1ダメージを与えることが出来れば、スキル使用経験値とダメージボーナスの基本経験値が得られるということだ。


 チトセはひたすら木々を殴り続ける。経験値の増加はステータス画面には表示されなくなったが、体感的なものとして感じることが出来るようになっていた。経験値の増加具合から、およそ六時間もあれば1レベル上がるはずだ。残り時間47時間。7レベルは確実に上げることが出来る。


 もしアンデッドを狩ることが出来るなら、その方が効率はいいだろう。杖という名の鈍器を装備して、エンチャントのスキルで聖属性を付加、ダメージを底上げして殴る。


 ゲームだった頃には、パーティーでの効率を一切無視し、力に極振りしてモンスターを撲殺していく殴り僧侶と呼ばれる戦闘スタイルを取っていた者もいた。しかしいかんせん、この世界ではステータスがない。もしかすると隠し要素としてあるのかもしれないが、ともかく任意で上げることが出来ないのだ。


 チトセの腕力は、この世界の住人と比べてはるかに弱い。このまま無策で突っ込めばアンデッドモンスターを狩るどころか、彼自身が殺されて骨になるだろう。


 そんなことを考えながら、チトセは杖を振るった。




 カンカンッ。木を打ちつける音が響く。すでに日は沈み始めていた。

 僧侶のレベルは一つ上がって41だ。しかしどうにも先ほどから経験値の上がり方が鈍くなってきていた。疲労から攻撃回数が減ったのかとも思ったが、それは変わっていない。ならば考えられるのは。


(――ダメージが入っていない!?)


 0ダメージであれば、スキル使用経験値は入るがダメージボーナスは入らない。このままでは効率が落ちてしまう。チトセは考えた末、体力を回復することにした。


「ヒール!」


 しかしそれは休養による回復ではなく、スキルによる回復だ。

 体の疲れは取れていった。しかし激しい運動をした後のようなずっしりとした精神的疲労が体中に浸透していく。先ほどよりなおさら疲れているように感じられるほどだ。しかし杖を木に打ち付けると、先ほどよりも大きな音が出る。


(大丈夫だ、体は動く)


 もう疲れたから休みたい、そんな心の悲鳴を無視して、ただひたすらに木を打ち続けた。




 すっかり日が落ちて、暗くなった深夜。僧侶のレベルは二つ上がった。

 休憩なしでひたすら殴り続けてきた肉体は、限界を迎えた。


 チトセはその場を離れると、胃の中身をぶちまけた。朝食べたカレーが消化されきっていないようなものが、口から出ていく。一頻り吐いてすっきりすると、地面を掘ってそれを中に入れて土を掛けておく。


「ヒール!」


 そのスキルの使用によって、すぐに肉体は万全の状態に復活する。しかし蓄積した精神的疲労は更に増していく。それが嫌で極力使わないようにしていたのだが、こうして吐いているのでは世話が無い。


 チトセは立ち上がって、再び木に向かった。




 朝日が昇ってきた。

 チトセはその眩しさに目を細めた。それから一旦杖を仕舞って、朝食を取ることにした。とはいっても、この前カナミに貰ったクッキーだけだ。女性から物を貰うことは滅多になかったので、つい大事に閉まったままにしてあったものである。


 それと水をインベントリから取り出して、空腹になった腹に放り込む。クッキーは少々甘すぎたが、昨日の朝から何も食べていないため、身に染みるほど美味しく感じられた。

 水分の補給を終えると、腹ごなしに再び木を殴る。彼の所には人はおろかモンスターさえも来ない。ずっと木に向かって殴り続けるのは、苦行のようにも思われた。しかしそれでも約束したのだから、それは守るのが筋だ。


 何度も何度も繰り返した動作。ただひたすらに、木を殴る。




 それから太陽は頭上を過ぎて行った。昼下がりである。

 ジョブレベルは四つ目の上昇を終えたばかりだった。当初の予定では、7つは余裕で上げられる予定だった。しかしゲームとは違って実際には疲労による効率の低下があり、何とか7つ上げられればいい方であった。


 残り20時間。後三つあげるには、初めの頃のようなペースが必要だった。杖を持つ手に力を入れて、思い切りたたきつける。体の悲鳴を無視して、同じ力、同じ動作を正確にトレースするよう心掛けた。




 再び日が落ちた。時間の感覚がおかしくなってきて、どれほど時間が経ったのか分からなくなってくる。


 しかし、アオイと約束した時間は刻々と近づいてくるのだ。何も考えずに、ただひたすらに杖を叩きつける。もはや自分が何をしているのかも分からなくなっていた。それでも、手が止まることは無かった。


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