第十一話 食堂にて
土曜日、チトセは早朝に目を覚ますと、身支度をして朝食を取りに厚生棟に向かった。昨日の狩りで金銭的には少々の余裕が出来た。とはいっても、極限まで節制する必要が無くなったという程度だ。
今日は快晴であり、絶好の狩り日和だ。悪天候だろうと今後の予定を変えるつもりはなかったが、こうも天気がいいと気分も晴れ晴れとしてくる。
厚生棟に着くと、まだ朝も早いということもあって、生徒はちらほらとしか見られない。早速二階に上がってメニューを見る。これまで280ゴールドのかけうどんしか取って来なかったが、ちょっと奮発することにした。
420ゴールドでハッシュドビーフカレーの食券を購入する。ここ一週間うどんしか食べてこなかったため楽しみである。
カウンターで食券を渡してすぐに料理は渡される。出来たてではないがほかほかとして芳ばしい香りが漂ってくる。こういったメニューは学食と大差はないのだが、それでも営利目的ではないため余所の店と比べると値段の割に味はいい。その反面貴族向けには高価なメニューも用意されているため、生徒からの評判は上々である。
それから手近なところで席を取ろうとすると、遠くにカナミの姿を見つけた。今日は一人のようだ。暫くずるずるとラーメンを啜る様を眺めていると、カナミはこちらに気が付いた。
「あ、チトセくん! 気付いてたなら声かけてよ! こっちこっち!」
閑静な朝の食堂に、カナミの大声が響き渡る。幸い人もいないということで注目を浴びずに済んだが、カウンターの向こうの女性は微笑ましいとばかりに笑っていた。
そうしてカナミの対面に座って食事を始める。巨大な器に盛られたラーメンをずるずると啜る彼女はとても女性らしいとは思えない。そうした観念も、初めからこの世界に住んでいたら全く抱かなかったものなのかもしれない。
「ねえチトセくん、何か最近私避けられてない?」
「そうか? これまで通りだと思うけど」
嘘だった。女子たちと上手くやり始めた彼女と一緒に居ることは、その関係を阻害するように思われて、そして自分はその中に入れはしないのだと思い込んでいた。
チトセとてあまり自分の評判がよろしくないことは知っている。あれほどボロ負けを続ければ、この学園に入ることに誇りを持っている人ならば反感を持つのは当然だろう。何であんな奴が、と。
それからいつも通りに二人で飯を食って、それが終わると暫く雑談をしていた。
カナミはよく笑う。そして明るい。
きっとこの少女は誰にでもこうなのだろう。クラスでも朗らかな彼女は誰とでも付き合える生徒の模範とも言えるだろう。
しかしそこで一人の少年を思い出した。
ケント・バークリー。栗色の髪が印象的な、少し気取った風な少年だ。
カナミは唯一、彼を嫌っているようだった。そのせいでチトセもまた、彼にあまりいい感情を覚えてはいなかった。しかし実際の所はどうなのだろうか。ケントは人間的にそれほど問題があるようには思われなかったし、クラスメイトたちとも上手くやっている。問題があるというなら、チトセの方がよほどそうだ。
クラスで話をしたことがあるのはカナミとケントとナタリの三人だけ。そして日常的な会話があったのはカナミ一人だ。最近は彼女とも距離を取りつつあって、すっかりクラスに居場所はなかった。
それでも何とかやっていこうという気になれたのは、医務室という居場所があったからかもしれない。アオイ・キサラギ。彼女との時間は偽りのない自分でいられるような気がして、心地好かった。
後で彼女の所に行こうと思いながら、今は目の前の少女との話を楽しんだ。そうしていると、ローブを纏った小柄な少女がこちらに来るのが見えた。白銀のような髪は手入れをされていないのか少々ぼさぼさに見えるが、それでもふわふわと揺れて美しい。
ナタリ・アスター。クラスメイトであり、公爵家の一員でもある彼女は、カナミの親友だと聞いていた。しかしクラス内で二人が話をしているところは一度も見たことが無い。彼女は無言でカナミの隣の席に着いた。
「カナミ、最近私のこと避けてるでしょ」
ナタリは不意に言った。カナミは少々戸惑ったようにも見えたが、はいそうですと答える訳にもいかないのだろう。
「そんなことないよ。何で?」
「クラスにいるとき、避けてる」
「あれは……ナタリがいつも他の人といるだけだよ」
カナミは少し機嫌が悪そうに見えた。ナタリもまた、その返答には満足しているようには見えない。
チトセはそんな二人のやり取りを見ながら、自分の入る余地が無いことを知る。彼女たちがしているのは、互いに深い理解を持った上での会話なのだ。そこに新参者が入り込む余地などない。目の前の二人の眼中に彼はなく、なんでこんなところにいるんだろう、そんな気になってくる。
やがて話題は別の方向に変わっていった。
「カナミ、あの勝負で何をしたの?」
「何って……普通に勝負して勝っただけだよ」
「嘘。カナミにあんな力はなかった。それはケントだって知ってる」
ナタリははっきりと言い切った。カナミとナタリとケント。この三人は幼馴染であるようだ。それゆえに互いのことはよく知っているのだろう。そうなると、カナミがケントを嫌う理由がますます分からなくなってくる。
カナミはナタリをじっと見て、それからゆっくりと言った。彼女が不快感を露わにしているのを見たのは、これが二度目だった。
「――ズルしたって言いたいの?」
「そうじゃないけど……何があったのかくらい話しても」
「さっきから言ってる、何もないよ。人気者は言うことが違うね」
「何それ」
カナミは皮肉を込めてそう言った。初めから生徒たちに囲まれているナタリに、ようやく手に入れた友人関係をズルして得たものだと暗にそう言われたのなら心外だろう。
次第に二人の間に険悪な雰囲気が漂ってくる。チトセはあの出来事が、思わぬ方向に転んでいるということを理解した。
「ごめん! あれをやったのは俺だ!」
立ち上がって、深々と頭を下げる。全く後ろ盾のない状態で自分のことを他人に知らせるのは、些か危険にも思われたが、目の前の少女たちが自分のせいでいがみ合う姿は見たくなかった。
カナミは驚いたように、ナタリは不信感を含んだ瞳で、それぞれチトセを見た。
「どういうこと」
ナタリは非難めいたように言った。
「カナミは関係ない。全部俺の独断でやったことだ」
「あのとき、魔力の流れは見えなかった」
魔力、それは恐らくMPの消費を言い換えたものだろう。チトセは初めてゴブリンと対峙したときのことを思い出した。咄嗟にスキルの発動を感知したのは、恐らくその魔力の変化を感じ取ったからだろう。それはゲームにはなかった感覚で、第六感とも言うべきものだ。
「ちょっと特別なんだよ」
「何をしたのか、ちゃんと話して」
ナタリは真剣な眼差しで、じっとチトセを見つめた。責められている状況だというのに、不覚にも彼女の銀の瞳を美しいと思った。此方をじっと見てくるその目は、一点の曇りもない宝玉のように煌めいていた。
他の人には話さないという条件で、チトセは彼女らに告げることにした。
「俺のジョブは剣士じゃない。転生者ってものだ。で、他人にジョブを貸し出す【レンタル】ってスキルがある。それをカナミに使ったんだ。効果時間は1秒、だから大事になるなんて思ってなかった」
「そんなジョブ聞いたことない」
「そりゃそうだ。俺だってついこの前まで知らなかったからな」
ナタリは釈然としない様子だった。カナミはその説明を聞いて、あれが自分の力ではないと分かってはいたのかもしれないが、それを実際につきつけられて少々落胆しているように見えた。
「レンタル」
チトセはナタリに剣士Lv43を付与した。彼女は自身に起きた変化に戸惑い慌てて、そして椅子から転げ落ちた。しかし咄嗟に受け身を取って跳ね起きる。そして効果が切れると、暫くその力を名残惜しむように、体を何度か軽く動かしていた。
「俺は君らと違って弱いからさ。何とかしようと思ったんだよ。君らのレベルっていくつなんだ?」
それにはカナミが答えた。
「私は剣士で5だよ」
「ジョブレベルじゃなくて、本体の方のレベル」
「本体のレベルって?」
カナミは首を傾げた。一向に話がかみ合わないことから、どうやら本体のレベルは存在しないらしい。あるいは既に全員がレベル100、またはそれぞれ異なるレベルで固定されているのかもしれない。
それから勝負事の場面などでは使わないように気を付けると約束して、その場はお開きになった。ナタリはそのスキルにすっかり興味を持ったようで色々聞いてきたが、チトセですらあまり分かっていないので、答えようもなかった。そしてレンタルのスキル以外についてもあまり話したいとは思わなかったので、出来るだけはぐらかした。
チトセが立ち上がったとき、向こうからケントが来るのが見えた。今日も一人ではなく、何人かの男子生徒と一緒だ。ナタリは彼を見つけると、小さくしかし透き通る声で呼んだ。
ケントは友人たちに何か告げてから、こちらに向かって来る。
「アスター、どうかしたかい?」
チトセは彼女の方を見てから、自分が話すと告げた。そしてスキルのことなどは告げずに、ただ自分がしてしまったことだけを言った。勝負ごとに拘る人物であれば、卑怯だと憤慨しても当然だろう。しかしケントはふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「なるほど、そういうことか。セイリーンがあれほど強いはずもない、謎が解けてすっきりした」
「……悪かった」
「なに、責める気はない。自分の非を認めるのは勇気がいることだ。自責の念を抱いて話した者を、どうして責められようか。それに自分の力でそれさえも乗り越えてみせるだけだ」
ケントは少年らしからぬ自信と余裕を持って、はっきりと断言した。困難を乗り越えるために必要な努力。それを惜しまない彼は、きっと立派な貴族なのだろう。
チトセは思い違いをしていた気がした。この少年は自分よりもよほど人間が出来ていて、寛大であった。貴族としての立場があるからそうなのではなく、彼自身がそういう優れた人物だった。
「では彼らを待たせているから、僕はもう行くよ。ではまたクラスでな、スイメイキョウ」
ケントは優雅に手を振って、友人たちの元へと戻っていった。
チトセはますます、カナミがケントを嫌う理由が分からなくなった。




