第十話 夜の街
チトセはそれから六時間ほど狩り続けた。本体のレベルは4まで上がり、戦士のレベルは一つあがって23、魔法使いのレベルは二つ上がって12になった。
それから転生者のレベルも一つ上がって2になった。他と比べて上がり方が良くないのは、恐らく【マルチジョブ】と【経験値増加】の二つのパッシブスキルが発動している以外に、スキルを使用していないからだろう。そのことを考えると、比較的上がり方は早いと言える。
そしてインベントリの中には、百を超えるモンスターの死骸が収納されている。いくらゲームの長時間プレイに慣れていたとはいえ、疲労があるためこれ以上継戦する気にはなれなかった。そして夜の帳も下り始めている。
チトセはコンパスを取り出して方角を確認し、東へと歩き出した。日が落ちると、森の中はすっかり闇に包まれている。盗賊のスキル【探知】にモンスターは引っかかるため、夜目が効かなくてもそれほど不都合はない。そしてゲームだったときは深夜もひたすら狩り続けていたため、こうした状況には慣れていた。
暗い森の中は、ひっそりと鳴く虫や鳥の声しか聞こえない。あまり外出することがなかった自分がこうして大自然の中にいるというのは、少し不思議な感じがする。そしてここが現実なのだと、大地の香りや頬を撫ぜる風が言っている。
自分でも気づかぬうちに随分と奥地まで来てしまったようで、街に着いた頃にはすっかり日が落ちていた。街は街灯のぼんやりとした明かりが照らし出しており、見知らぬ幻想的な街のようにも思われた。
すっかり血に塗れた鎧をインベントリに収納する。しかしその下に着ている衣服も鎧のない部分は真っ赤になっており、他は何ともないのにその部分だけが血で染まっているのは却って不格好であった。
薄暗かった街も、大通りに近づくにつれて明るくなってくる。それは光の強さだけでなく、人々の活気のせいでもあるだろう。大通りはビアガーデンのように屋外に設置された酒場で賑わっている。
ビアガーデンと言えば、おっさんたちが好き勝手に飲んで騒いだりしている印象が強かったのだが、ここでは男女比のこともあって綺麗なお姉さんたちが酔っぱらっていたりと、全く違う雰囲気であった。
それからこういった歓楽街には性風俗もつきものであるが、客引きの類さえ見当たらないのは、これも男女比のせいだろう。相対的に少ない男性向けのサービスを行ったところで収益など期待できないし、もしかすると男性は比較的モテるのかもしれない。
「ねえ君、今晩どう?」
チトセは不意に声を掛けられたが、邪なことを考えていたせいですぐにその意図を理解した。そちらの方を見ると、二十歳かそこらの女性がいた。彼女はすっかり酔っぱらっているようで、綺麗な容貌は赤く染まっていた。それは却って色っぽく見えなくもなかったが、吐く息は酒臭い。
「馬鹿、まだ子供でしょ」
彼女の隣で飲んでいた友人らしき女性が窘める。彼女も相当酔っているようには見えるが、それなりに理性は保っているらしい。
「ええー。でも成人してるでしょ? ならいいじゃん」
「酔っ払いがごめんね。……ほら、もう帰るよ」
そう言って、彼女は駄々を込める女性を連れて行った。チトセはその後ろ姿を眺めながら、惜しいことをしたと思うのだった。最近知ったことだが、この世界では十五で成人となり、その年齢以降学園に入ることが許される。カナミの年齢を真似ておいたことは功を奏したと言えよう。また成人後における死亡も自己責任ということらしい。
どうやらこの世界では女性の方が積極的のようだ。男女比を考えれば、男が余ることは無いのだからそれも当然なのかもしれないが。元の世界では彼女なんて考えられなかったが、これなら恋人も出来るかもしれない。そんな期待を抱いた。
それから本来の目的地である鍛冶屋を訪れた。大分夜も遅くなっているため閉まっているかと心配もしたが、灯りは煌々とついていた。ガラス張りのドアを押し開けて中に入ると、様々な武具が展示されていた。もちろん、危険が無いようにどれもケースの中にしまわれている。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうにいた女性が声を掛けてきた。三十路ほどの女性で、可愛らしい営業スマイルを浮かべている。
「あの、モンスターの買取が出来るって聞いたのですが」
「あ、はい。買取ですね。こちらへどうぞ」
ぴかぴかの剣を横目に見ながら、奥に向かう女性について行く。武器の値段を見るに、どれも数十万もしており手が出せない。買えない以上見ても仕方ないので、これから行く先の部屋に目を向けた。
扉を開いて中に入ると、そこの床は血で赤く染まっていた。チトセは身震いをする思いであったが、辺りを見回してみると一台の大型の機械があるだけだった。
「モンスターの種類は何でしょうか?」
「えっと、コボルトとゴブリンです」
「では使える素材はありませんね。こちらにお願いします」
彼女の指示を受けて、指定された巨大な箱の中にモンスターの死骸をインベントリから取り出していく。一辺十メートルはあろう箱の中はコボルトの死骸が山のように積み重ねられていき、時折ゴブリンの死骸が放り込まれる。
やがて半分ほど放出したところで、静止が入った。それから重量による概算が提示される。
「これくらいになりますが、よろしいでしょうか?」
女性が提示した金額は、2万ほど。コボルト50体程度なので、1体あたり400ゴールドということになる。バイトの時給が元の世界と変わらないならば、一時間で二、三体倒すだけでも超える計算だ。確かにこれほど稼ぎがいいのであれば、ジョブを持っている者は狩りを優先するだろう。
「はい。お願いしますね」
チトセが許可を出すと、女性は端末を操作した。すると大漁の死骸を載せた箱は奥の大型の機械の中に入っていく。そして何度かの確認画面を経て、それはようやく動作を開始した。
機械の動作音に混じって、硬いものが砕かれる音が聞こえる。中に入っていったのはコボルトなどの死骸だ。硬いものと言えば、恐らくは骨だろう。
「あの、これって何してるんですか?」
「まずはモンスターの死骸を粉砕して、それから遠心分離に掛けて成分を抽出するんです」
女性はにこにことした営業スマイルを崩さずにそう言った。チトセは唖然としていたが、どうやらこれはこの世界で至極当然の行いとして認知されているようだ。化石燃料に変わるエネルギーが存在し、そして放っておいても勝手に増えていくのならば、それほど都合のいいものもないのだろう。
暫くすると、中から空っぽになった箱が戻ってきた。再びその中にモンスターの死骸を投入し、女性は端末を操作する。残り半分のモンスターの死骸が粉砕される音を聞きながら、チトセは生活費を計算していた。
休日を全て狩りに当てれば、少なくとも十時間は取れる。こうした手続きや移動を含めると時給4000ゴールドを下回るが、それでも日給4万ゴールドだ。一週間や一月の単位は元の世界と変わらないので、休日だけで32万は稼げるということだ。
今日は金曜日なので、明日明後日は休日だ。折角時間があるのだから、狩りをするに限る。それは彼が根っからの廃人気質だから思うことなのかもしれない。
暫く待っていると、粉砕作業が終わったようだった。女性は端末を操作するとその下の引き出しから硬貨を取り出した。硬貨は1ゴールドから1万ゴールドまで五つの種類が存在する。それぞれに偽造防止の番号などが振られてている。
1万ゴールド硬貨を四枚と、それより額の小さい硬貨が数枚。チトセがそれらを受け取ったのを確認すると、女性は頭を下げた。
「ありがとうございました」
この作業が終わったら冷やかし交じりに店の中を見ようと思っていたのだが、その笑顔に押されるように店を出てしまった。どうせ買えないのだから暇つぶしに過ぎないのだが、相手の用事は終わったとばかりの雰囲気に物怖じしない図太さがあるなら、もう少し人生も楽観視出来たんだろうなと思わなくもない。
再び夜の街に出ると、先ほどと変わらない活気がそこにはある。金曜日だからこそ遠慮なく飲めるのだろうか。チトセはほとんど酒を飲んだことが無いので、そういったことはあまり詳しくはない。そして今は十五の少年の身なのだから、無理して飲むこともないだろう。
それから大通りを北に行く。どこもかしこも女性ばかりで、たまにいる男性は彼女らしき人物と飲んでいる。そんな中を進んでいくと、自分がここにいるのが場違いに感じられた。
学園に着くと門を開けて中に入る。時間は夜の十時を過ぎていた。教育棟は電気が消えているが、寮では大半の生徒たちが起きているようで、いくつもの部屋の電気がついていた。
男子寮に入ると、ラウンジで駄弁っている生徒たちが見えた。基本的にこの学園に娯楽は少ない。生徒たちもそのことは理解して来ているため、特に遊び呆ける者はいないのだが、それでも遊びたい盛りの年齢だろう。そうして友人と談話している姿は、年相応の少年にしか見えない。
チトセは自室に戻ると、風呂に湯を張る。貯まるまでの間、身に着けていた防具の血を拭きとったり手入れをして過ごした。
それから衣服を脱ぐなり洗濯機にぶち込んだ。シャワーを浴びると、固まった血が溶けて流れていく。石鹸で念入りに体を洗ってから、湯船に浸かった。
体が温まっていくと、疲れがにじみ出ていくように思われた。今日は学園に来てから初めて狩りを行ったが、レベルも上がって達成感があった。
明日は休日。一日中狩りが出来る。
「俺はこのままじゃ終わらねえ。絶対上に行ってやる」
そう呟いた彼の表情には、喜悦の色が見えた。




