第一話 転生クエスト
少年の前には、一人の老人がいた。赤紫色のローブを纏った、白髪の男性だ。彼は一つわざとらしい咳払いをして、言った。
「さて、お主はこれより再び人生を始めることになる。しかし転生により神々の加護を受け、さらなる成長を遂げることになるだろう。一度これを行ってしまうともう戻ることはできないが、本当によいか?」
老人は真剣な表情で少年を見た。しかし少年はすげなく言った。問題ないと。
なぜなら少年はこのやり取りが初めてではなかったからだ。こうした仰々しい形式を取ってはいるが、これはただのレベルリセットだった。一定まで上がったレベルを1に戻すことで、基本ステータスにボーナスが入る。何度か繰り返すことでその差は歴然となるだろう。
つまり、少年はこのVRMMOのプレイヤーで、老人はレベルリセットのクエストを達成するためのNPCなのだった。
もちろん、大抵のプレイヤーがこれを行えるわけではない。条件であるレベル100を達成出来る者さえそう多くはないのだ。それを何度も行うのだから、相当なプレイ時間が必要になる。
しかしこの少年、水明郷千歳のアバターがこれを行うのは一度目ではない。さらに付け加えると、メインアバターは上限回数10回を既に達成してしまったため、これはサブアバターであった。
そんなこともあって、手慣れた様子でチトセは近くにある魔方陣の中に入った。老人がむにゃむにゃと何やら呪文を唱えると、彼は光に包まれた。そしてこの後、始まりの街に飛ばされ、そこでクエストは終了するはずだった。
チトセが目を開けたとき、鬱蒼と茂る森の中にいた。見回してみるが、そこに見覚えはなかった。新規で追加されたマップは全て確認していたため、位置座標がずれたということは考えられない。
「……バグか?」
その考えに至って、メニューを開く。脳波を感知して動く仕組みであるため、ある程度慣れてくると宣言などなしに開くことが出来る。
メニュー一覧の中にマップを探すが、どうにも見当たらない。それどころか、メニューの形式自体が大きく変わっていた。課金アイテム購入やログアウトなどのシステムの項目がなくなっていたのだ。それは旧バージョンのものでもない。
「どーなってんだこりゃ。バグにしてもひどいな」
それから思い出したように、ステータス画面を確認する。レベルリセットが上手くいっていないことを危惧したのだ。しかし映し出された画面を見て、彼は絶句した。
水明郷千歳 Lv1
固有ジョブ
【転生者Lv1】
メインジョブ
【剣士Lv43】
【戦士Lv22】
【侍Lv10】
【弓使いLv33】
【槍使いLv12】
【盗賊Lv30】
【魔法使いLv10】
【僧侶Lv40】
【獣使いLv38】
「うわ! 本名出てるよ! ちょっとシャレにならねえって」
チトセは焦って周囲を見回した。そして誰もいないことを確認して、とりあえずは一息吐いた。それからステータス確認の可否を決める設定を探すが、どこにも見当たらない。
しかし暫くすると落ち着いてきて、それより何が変わったのかと気になってきてしまうのは、彼が生粋の廃人だったからだろう。
まず大きな違いは、HPやMP、力などの項目が一切なくなっているということだ。それからレベル上昇のための残り経験値欄もなくなっている。これは隠しステータスになったと考えれば、無理矢理納得できないこともない。
それから気になるのが固有ジョブというものだ。これは今までになかった。主体となるメインジョブ1つと、ステータスなどの恩恵と一部のスキルだけが発動するサブジョブを切り替えるというシステムだったはずだ。
それゆえに固有ジョブが気になってしまう。転生者という名前からは、どうやら先ほどの転生クエストによって付いたものだと考えられる。今後のパッチデータなのか、それとも廃棄案だったのか。
ともかく転生者の説明を開く。それぞれのジョブには特有のスキルがあり、その一覧を出すことが出来るのだ。そして彼の予想通り、スキルの名前一覧が出てきた。そこにあったのは三つ。Lv1にしては随分と多い方だ。
【転生者Lv1】
異世界に転生した者に与えられる称号。
使用可能スキル
【経験値増加】
ジョブの獲得経験値上昇。
【マルチジョブ】
習得済みジョブの全てを有効化。
【レンタル】
転生者レベル分の秒数だけジョブをレンタル出来る。
クールタイムはジョブごとに5分。
転生者の説明がおかしいのは別にいい。こういう設定なのだろうから。とりあえず上から順に見ていくことにした。
経験値増加は単なるパッシブスキルだろう。マルチジョブの説明を見る限り、これによってステータス欄が変化したのだと思われる。サブジョブとメインジョブの区別が無くなり、固有ジョブとメインジョブの二つになったのだと。
そして最後にレンタルだが、どうやら他人にジョブを貸し出すことが出来るらしい。これはあまり意味がない。なぜなら最上位のプレイヤーはジョブが上限に達しているためだ。そしてこのアバターはパワーレベリングで本体レベルを急上昇させたためあまりジョブレベルが高くない。
低レベルの育成には便利かもしれないが、それにしてもたったの数秒でクールタイムが5分だ。とてもじゃないが、役に立つとは思えない。
しかしマルチジョブの能力だけでも相当な差が出るだろう。これが限定的なものならば、メインアバターより強くなるかもしれない。そう考えると、少しわくわくしてきた。
チトセがそうして今後のことを考えていると、草叢からがさがさと音が聞こえた。モンスターにエンカウントするエリアだったのだろう。すぐさま腰に佩いている二本の剣を抜いた。
剣士は剣と盾の追加効果を得ることが出来る。しかし効率重視の彼は、二本の剣を装備することにしていたのだ。
だが、抜いた剣は彼が今まで使用していた物ではなく、初期装備の剣だった。
「……え?」
思わず間抜けな声が出る。このアバターで使用していた剣はメインアバターでも使うことがあるもので、それを買うのに金が足りず結構な額の課金クジを購入したのだ。確か10万は使ったと思う。
それが急に無くなった。その混乱の中、草叢からは遠慮することなくコボルトが飛び出した。
しかしそれはチトセが知っているコボルトではなかった。彼が知っているのはひょろひょろとして、貧弱な体で槍を振り回すだけのモンスターだった。しかし今目の前にいるのは、筋骨逞しい体で鉄の槍を軽々と回し、そして鋭い眼光でこちらを睨み付けてくる禍々しいモンスターだ。
「イベントエンカウントか?」
チトセがそう呟いた瞬間、コボルトは地を蹴った。そして考えられないほどの速度で襲い来る。
突きが来る。
チトセは片方の剣でそれをいなし、空いた胴体へともう一本をお見舞いする。しかしそれは途中で筋肉に受け止められて、抜くことが出来なくなった。
慌てて剣を引きようやく抜けたときには、コボルトの膝が既に向かってきていた。それは躊躇なくチトセの胴体へと入り込む。
大きく突き飛ばされてゴロゴロと地を転がりながらも、ヒットする瞬間に後ろに跳んだためそれほどの被害はない。チトセはすぐさま起き上がって、追撃を加えようと鬼の形相で奇声を上げながら向かって来るコボルトを見据えた。
そして敵が槍を構える。次に一撃が来るはずだ。
チトセはその瞬間を待った。
そしてコボルトが一突き。槍を繰り出した。チトセは再び片方の剣でそれをいなす。そして今度は前方へと大きく踏み込み、胸部へともう片方の剣を突き出した。
体重を乗せた一撃はコボルトの筋肉で覆われた胸を貫いていた。チトセはコボルトに蹴りを入れ、その反動で剣を抜く。その傷跡からは勢いよく血が噴き出た。
ぐらり、とコボルトの体が後ろに倒れていく。そして地に倒れると、暫くはぴくぴくと動いていたが、チトセが止めを刺すと動かなくなった。
このくらいの強さならレベルが結構上がっただろう。チトセはそんな期待を抱きながら、ステータス画面を開いた。しかしそこにあるのは、これまでと何ら変わらぬ画面だった。
「嘘だろ? こいつ、ただのコボルトだったってのかよ……」
イベント戦であるため経験値が少ないという可能性はある。しかし何も起こらず、クエストも開かない。というかクエスト欄がそもそも存在しないのだ。
チトセは暫く悩んで、それからとりあえず歩くことにした。こんなモンスターがうじゃうじゃいるエリアであれば、いつ殺されてもおかしくはない。死亡ペナルティはレベルダウンなど重かったため、そう簡単にやられるわけにはいかない。
深い森の中を、当てもなく歩き出した。