(九)クラブ「W」にて・・・1
各業界人がむやみやたらとやってくる店・クラブ「W」。
二階VIPルームフロアにあるカウンターバーで、瑛美は愚痴っていた。
「でねでね~、これがまったくもってのわがまま坊主でさぁ」
ジンジャーエールの入ったグラスの口をくるくる指で回しながら瑛美は言った。
「はいはい、へーへー、そーなんだぁ」
「まぁね、林田さんが戻ってくるまでだからいいけどさ~」
「ほーほー、そうですか」
「ちょっと、結莉! ぜんぜん聞いてないでしょ、私の話!」
愚痴の相手をさせられているのは、森原結莉・四十二歳。
音楽業界では「Kei」と言う名を名乗っているが、業界人にとっては「神」であり、世界的にも有名な作曲家である。
ちなみに、彼女の夫は、リリースするCDが常にトップ10内に入っているバンド「リフィール」のボーカルをしている。
瑛美にとって結莉は、「神」でも「有名作曲家」でもなく、「姉」と言う感じの存在だ。
瑛美の愚痴を苦笑いしながら結莉はテキーラをあおっている。
「それで、瑛美はその知成くんとやらが、好きなわけね?」
「んがっ? なに言ってるんですか!? そういうことじゃないです!」
結莉の問いに一瞬、ドキッとしたが、瑛美は平静を保った。
「はいはい、えーと、その知成くんとやらが、わがままで俺様で腹が立つので、早く林田さんが帰ってこないかなぁ、と、瑛美はそして、早く知成くんと離れたいなぁ、と。そういうことでしょうか?」と、結莉は不敵な笑みを浮かべ、横から瑛美を覗き込み言った。
「…まぁ、…それに近い、感じ…」
そう言い、俯いた瑛美に、結莉の不敵な笑みが不気味な笑みに変わった。
まだまだ続く瑛美の話を聞いていると、二階フロアのドアが開き、数人の客が入って来た。
「おうっ! 結莉、夏木、なんだ来てたのか」
驚いたような男の声に、二人は振り返った。
「あら、吉田さん」
「社長! あっ、」
吉田とホーサイレイの三人がいた。
「けぇ~、なんで瑛美がいんだよ…」
知成はふざけた顔を作りそう言ったあと、瑛美の隣にいる結莉を見て、緊張が走った。
「ケ、ケ、ケ、Keiさん…」
「失礼ね、私はケケケケイじゃないわよ。ただのKeiですけど?」
結莉は、冗談ぽく少しムッとした顔で言った。
ホーサイレイにとって結莉は、結莉でなく、恐れ多い有名音楽家の『Kei』だ。
怒らせたと思った三人は「すみません」と頭を下げたが、そんなことで怒るわけもない結莉は、笑った。
三人は過去に一度、業界のパーティで結莉と会っているが、ホーサイレイはその他大勢の中の一組として紹介されただけで、話をするのは今日が初めてであった。
「あっ、今あなたたちの噂してたの。特にボーカルの子の、ね、瑛美」
「……(余計な事を)」
そう言われた瑛美は、目を細めて少し顎を出し、結莉を見据えた。
「なんだ、夏木、こいつらの愚痴でもこぼしてたか?」
するどい吉田である。
「違います。結莉にホーサイレイのプロデュースお願いしようかな、って思って頼んでたんです!!」
そんな話はひとつもしていないし、聞いていない。
寝耳に水ならぬ、寝耳に洪水を受けた結莉は、小さい小さい音で「ぇ?」と言い、目を点にし、瑛美を見た。
「「「ええええっ! マジですか!! Keiさんのプロデュース!?」」」
ホーサイレイの三人が騒ぎ出した。
「なんだ結莉、やってくれんのか? おまえのプロデュースなら万々歳な結果は目に見えてるぞぉ!」
吉田の顔もほころんでいる。
「ぃぇ、あの……」
口ごもる結莉の顔を、瑛美が大振りで覗き込み、「むふっ」とニッコリとした。
「ぁ、あー、はい…。その方向で検討してみます…。後日、吉田プロさんの方にご連絡させていただきます、はい」と、流されてしまった結莉を横目で見つつ「よかったですね~社長~ほほほ~」と、瑛美は、わざとらしく笑った。
「おー、楽しみに連絡待ってるぞ、結莉。夏木も良い仕事したな! 天下のKeiだぞ! ライバルプロダクションに自慢できるぞー!」
吉田とホーサイレイは、万歳三唱を始めた。
結莉は、吉田とも顔見知りの仲間と来ているので、「一緒に飲みましょう」と誘った。
吉田たちが先にVIPルームへ向い、姿が消えると、結莉は、真顔になり瑛美を見た。
「マネージャーの夏木さん、どういうことですか?」
「成り行きで、へへへ。結莉だって成り行きで返事しちゃったじゃない」
「うっ…。はぁ…瑛美のお願いだし、ちゃんと考えるけど…」
「本当に? ありがとう、結莉~」
瑛美は結莉に抱きつき、お礼を言った。
「だけど、彼らの音楽を聴かせてもらって、私が納得したら…の話よ? それに、今すぐにとはいかないわ。私にも今かかえている仕事があるし、もしプロデュースの仕事するとしても、瑛美がマネージャー代理の間には無理。林田さんが戻ってきてからになると思う」
「うん、それでも全然構わない。やっぱり、結莉と仕事するならベテランの林田マネージャーがいないとダメだと思う」と、瑛美は言った。
音楽プロデューサー「Kei」と仕事をしたい音楽関係者は次から次へと現れるが、「Kei」は簡単には仕事を引き受けないと言われていた。
が、今回は瑛美に流されてしまった。
「林田さん喜ぶね、きっと。骨折したかいがあったって! こういうのって、わざわいころんでふくとなす、っていうんでしょ? なんで「服とナス」なの?」
「…瑛美、それ、誰に教えてもらったの? 意味がまったくわからない…」
と、変な顔をした結莉が訊いたが、瑛美の顔は真面目だ。