(八)一行と美也子
一行の同棲相手・美也子は出勤前の身支度のためドレッサーの前に座り、鏡越しに一行に言った。
「ホーサイレイが最近売れてきたでしょ? お店の子たちにも結構話題になってるんだよ」
「ふーん、そうなんだ?」
一行は一行で、ラジオ局に向かうため支度を始めた。
「でも誰にも言ってないよ、私が一行と暮らしてるってこと。バレないようにするから安心してね」美也子は、素直に言った。
「おれ、そんなズルイ男じゃないぜ? 事務所の人たちもみんな知ってるぜ、おれが美也子と住んでること。内緒にしなくてもいいよ」と、一行は美也子の後に立ち、美也子の頭の天辺に、くしをブッ挿した。
「ちょっと、やめてよ。セットが乱れるでしょ!」
美也子の頭は「盛り」だ。
「今までは一行の顔も世間に知れ渡ってないからよかったけど…」
「おれ化粧してるじゃん? テレビにしろ雑誌にしろ。街歩いててもわかりゃしないって~。瑛美なんて、化粧したホーサイレイ見て、「化粧ってすごいんだね。ずっとメイクしてろ」って感心してたんだぜ」
「きゃはは~」と、楽しそうに笑う美也子に、
「おまえは、したたかな女になるなよ。おれたち、まだ若いかもしれないけど、美也子のことはちゃんと考えてる。おれにだけには甘えろよ、な」
と、やさしく、鏡の中の美也子を見て言うと、美也子はかわいらしく微笑んだ。
が、美也子が真面目な顔になり、「甘えろって、一行の方が私におんぶに抱っこでしょ!? 生活費!!」
「金銭面だけだろ! おれがおまえに頼ってるのは!」と、一行は偉そうに言った。
男として、一番そこは女に頼ってはいけないような気がするが…。
どうせなら、金銭面を含めて、女を甘えさせてあげた方がいいのではないだろうか……
二人がドレッサーの前で話していると、チャイムが鳴った。
「あっ、瑛美かな?」
一行はまだ支度を終えていない。
「早く支度して、私が玄関に行くから」
美也子に言われ、一行はバタバタとズボンを穿いた。
「は~い」と美也子が言うと「夏木でーす!」とドアの向こうから元気な声が聞こえた。
ドアを開けた美也子が、「こんにちは、一行、今来ますので」と、瑛美に言ったが、瑛美は美也子を見たまま、何も言わず、顔だけが険しくなっていった。
そんな瑛美の様子に美也子は、少し怯えた声で尋ねた。
「……瑛美…さん? どうかしま、した?」
「……あなた、だれっ? 頭大きい…」
冷たい声で瑛美に言われた美也子は、一歩後ろに下がった。
「へっ?」
「ちょっと! あなた一行のなんなの!? …一行、浮気? あなた一行の浮気相手!? 美也子ちゃんはどこにいるのよ…残念ながら一行にはね、美也子ちゃんというかわいい彼女がいるの。わかってんの、あなた!」
瑛美の勢いに、ぽかんと口を開け、美也子は口をパクパクさせた。
「…ぁの…」
「んぁあ!? なに!!」
腕を組み、斜に構えたままの瑛美は、美也子に睨みをきかせた。
「ゎたし…みやこですぅ…」絞り出した声で美也子は答えた。
「…ぇ? ぇぇええええ?」
瑛美の驚きの声に驚いた美也子は、後ヘ三歩も退いてしまった。
美也子は、あげは嬢だ。
普段のつぶらな瞳は、化粧で目がパッチリし、いつも下ろしている長い髪は盛り盛りであるがため、普段の美也子とは「象に変身した蟻」くらいの勢いがあった。
「うっそ~ん」
瑛美は両手で口を押さえ、自分の顔を美也子の顔にくっ付けマジマジと美也子を見た。
「あっ、ほんとだ。美也子ちゃんだ」
ようやく気づき、納得したらしい。
「そんなに違いますか? 私…。これから私も出勤なんですぅ」
「うん! 違う! すごい頭だねぇ~、重そう。それ、自分でセットしたの?」
「はい、いつも自分でするんです。毎日美容院行くとお金かかるし」
「そうなんだぁ。へぇ~、器用だねぇ~」
瑛美は美也子を上下左右前後と回転させながら、観察し、感心しきった。
普段の自分とそんなにも違うのかと、美也子は少し落ち込んだ。
「あっ、今度お店遊びに来てください、六本木だから。源氏名は『牡丹』で~すぅ」と、美也子はピースをした。
「げんじな? ぼたん?」
瑛美は自分のシャツのボタンを見た。
「ぇ、いえ、えーと、源氏名とは、お店とかで使う名前の意味で、ぼたんは、そのボタンじゃなくて、お花の牡丹!」
「ふ~ん、ぼたんね。わかった、今度ホーサイレイを連れてお店に行く!」
瑛美も美也子に向かってピースをした。
「いぇ~い」
「瑛美、おまたせ~。って、なに二人でピースし合ってるの?」
奥から出てきた一行は二人を交互に見た。
「べつに? んじゃ、一行、行くよ~」
「はいっ!」
親指を立てクイッと動かした瑛美に素直に従う一行である。
☆☆☆
助手席に座っている一行が瑛美に訊いた。
「もし瑛美の彼氏が、何気なく人気が出てきたミュージシャンでさ、瑛美だったら、彼氏のために自分は彼女だって言うこと隠す?」
「ぇえ? ぼたんちゃん、何か言ったの?」
「ぼたんちゃん…って。美也子に言われた。みんなにはおれのこと内緒にしてあるから安心しろって」
「まぁ、そんなものじゃないの? 一行のためを思ってのことでしょ?」
と言い、瑛美はチラっと一行を見た。
「一行が美也子ちゃんとの将来を考えているなら、隠す必要はないと思う。仕事も人気も大切だろうけど、そんなものは失っても大大夫。一番失くして心が痛むものは愛」
ハンドルを握りながら、まっすぐ前を見て言った。
「なんか、瑛美って、おれらと同い年なのに、大人だよな、考え方とかさぁ」
「まっね~、あなたたちより人生経験豊富かもね。なんせ、バツ一だから」
「ええ! 結婚してたの?」
驚いた顔で一行は、瑛美に顔を向けた。
「うん、二十歳で結婚して、二十二で離婚した~あはは」
「そうなんだ…」
「相手は日本人だったから、二十歳の時に日本に来て、結婚して…、で、仕事始めたんだ私」
「仕事?」
「うん、日本でいろいろな人と知り合って楽しかったのもあるけど、仕事が楽しくて、だんなさんのことほったらかして、彼の望むこと何もしてあげなかった。だから、いつの間にか彼に愛想つかされて、さよなら言われた。百パーセント私が悪い。失くして知った一番大切なもの、それは愛であった。でも、その彼とは今でも友達だよ。奥さんとも一緒に食事とか行くし」
「相手の人、再婚したんだ?」
「うん、もうすぐ子供も生まれる。しあわせな二人を見ていると、ジェラシーとかそんなもの感じなくて、私まで笑顔になるよ。良い人ぶってるみたいだろうけど、私の本当の気持ち」
そう言った笑顔の瑛美に、一行は瑛美の心は嘘ではないと思った。
「だから、」と瑛美が話を続けようとした時、携帯が鳴った。
耳にかけてあるイヤホーンをオンにした。
「はぁ? 今むかってるわよ! ちょっと待ってなさいよ!」
早く来い、と知成からだった。
極たまに、自分が先にマンションエントランスで待っていると、「オレを待たせるな」と催促の電話をかけてくるわがままな男だ。
「あいつは何様なのよ~」
「知成は知成様らしいよ、あはは」
「ねぇ、美也子ちゃんは、一行にわがまま言ったことある?」
「わがまま?」
「美也子ちゃん、わがまま言わない子でしょ? 年齢の割にはしっかりしてるし」
「うん、おれは美也子を困らすことは多いけど、あいつがおれを困らすようなこと何一つないかも。それが原因でケンカなんてしたこともないし」
一行は、今までを思い出すように話した。
「美也子ちゃん自体、本来わがままな女の子じゃないのかもしれないけど、彼女のわがままでケンカすることも恋愛の中では必要かもよ」
「え?…」
「だから、美也子ちゃんが一行のことで、いろいろと我慢しないように、時には「だだ」を捏ねさせてあげられる関係を作りなよ。あっ、でもあんまりわがままな女になると、私みたいになる可能性があるけど?」
「瑛美みたいに? あー、それ一番困るよ」
そんな話をしているうちに、玲二のマンションに着き、知成と玲二が車に乗り込んできた。
「おっせーんだよ! 瑛美。おまえマネージャーだろ、しっかりしろよ」
偉そうに知成は瑛美に言った。
「はいはい、ごめんなさいね~知成様~」
瑛美が、ふざけた言い方で言ったあと、キッと知成を睨むと、知成は無口になった。
ここも上下関係がすでに出来上がっている。