(三)三人と一人(3)
ピザを食べ終わり、仕事もなく、帰るわけでもなく、ソファでくつろぎ、くだらない話をしながら三人は応接室でなごんでいた。
ドアノックの音に三人がドアに顔を向けると、吉田プロ音楽部の先輩バンドで、安定した人気を保っている「ゴーディオン」のボーカル・悠・三十一歳が、顔を出した。
「よっ、元気か? おまえら!」
「うぉっ! 悠さん、お久しぶりです!」三人は立ち上がり、頭を下げた。
よく食事をごちそうになっている三人だが、全国ツアー中で忙しい身の悠に会うのは、久しぶりだった。
「どうしたんですか? 今日は」一行が訊いた。
「うん、社長に用があって。そうだ、誰か一人でいいからスタッフルームに来るようにって、瑛美に伝言頼まれたんだけど。あいつ今日からだったんだな、吉田プロ」
「ぇえ!? 悠さんにそんなこと頼んだんですか、あいつ! 自分が来ればいいだろうーが!」
知成が怒り、「文句言いついでにオレが行って来る」と応接室を出た。
「悠さんって、彼女と…瑛美と知り合いなんですか?」
知成が出て行ったあと、玲二が不思議に思い訊いた。
「ん、まぁな。あいつ、マネージャーとかの仕事は初めてだけど、仕事はできるヤツだから、大丈夫だよ。それ見込んで社長も林田さんも、彼女にまかせたんだから」
「そうなんですか? でもなんか、漢字とか読めないみたいだし。おれなんて“いちぎょう”なんて呼ばれちゃって…」
一行の言葉に、悠が笑った。
「あはは、しょうがないよ。瑛美はアメリカ育ちだから。漢字はあまり勉強してないらしいよ」
悠は、玲二と一行の二人に瑛美のことをいろいろと話したが、そんな会話にも加わらず、何も知らされずに知成はスタッフルームに行き、瑛美の座っている机の横に立った。
が、呼んでおいた瑛美本人は電話中だ。
知成に気がつくと、瑛美は、声は出さず、手の平を知成の顔の前に突き出し、電話の向こうの人と話を続けている。
(ム、ムカつく!)
「オレは犬じゃねーぞ!」と、口パクで瑛美に向かって訴えてみるが、完全に無視された。
ふくれっ面になる知成だが、電話の邪魔をするほど子供ではないので、となりの席に座り、瑛美の電話が終わるのを大人しく待った。
(早く終わらせろよ、電話。まったく!)
知成は、机に頬づえをつき、念を送りながら受話器を握る瑛美の横顔を眺めていた。
(……こいつ、マジ綺麗な顔してんなぁ。まつ毛、結構長いじゃん。吉田プロのタレントより綺麗だよなぁ……つーか、そんなことはどうでもいい!つーか、こいつ、なに、プロ並みに仕事してんの?)
瑛美は、電話の相手と対等に話をしている。
言葉淡々と相手に有無を言わさないように、かと言って捲し立てるわけでもなく、落ち着いた話し方で何かを交渉し、相手に「イエス」と言わせてしまいそうな感じであった。
(…………こいつ、彼氏…いんのか?)
知成は、瑛美の顔を見ながらまた考えが変な方向に行ってしまっていた。
(……何考えてんだ! オレは……。オレの馬鹿!)
知成が自分で自分を叱咤していると、受話器を持ったままの瑛美が急に横を向き、目と目が合うと、カァっと、自分の顔が赤くなるのがわかり、知成はおもわず目を反らしてしまった。
十分ほど待たされ、電話が終わり、瑛美が知成の顔を見て首をかしげ言った。
「で、知成、何か用?」
「うっ…はぁ? おまえが来いって言ったんだろ!」
「あっ、そうそう、悠ちゃんに頼んだんだ、私」
瑛美は、すっとぼけた顔で言った。
「ゆ、悠ちゃんって、おまえ、悠さんのこと何『ちゃん』付けで呼んでんだよ!」
目を丸くし、知成は言ったが、瑛美は平然と言い返した。
「そんな他人行儀な。悠ちゃんでいいじゃない?」
「他人行儀って、おまえら他人じゃねーのかよ!」
「え! 他人に決まってるじゃない。やらし~、なに考えてるの? 知成」
「……わけわかんねーし、話になんねーし…。つーか、オレに何の用なんだよ!」
本題を思い出した瑛美は、机の上の紙を知成に渡した。
知成は目を通し、瑛美を見て不思議な顔をした。
「何、これ……」
「ホーサイレイの向こう三ヶ月のスケジュール。明日から頑張ってね!」
にっこり微笑む瑛美がいる。
吉田と林田は、「ホーサイレイをこのまま野放しにしておくのはいけない」と心を改め、取れる仕事は取り、スケジュールを作っている矢先、林田が怪我をしてしまった。
まだ空いているスケジュールの白い部分は、瑛美が仕事を取り、埋めている最中だ。
先ほどの電話交渉も雑誌関係者へのものだった。
「どうしてオレたち、こんなに仕事が入ってんの?」
知成が、うんざりな表情をした。
「こんなに…って、まだ余白だらけじゃない。そのうち、ここも埋まる予定だから勝手に自分たちの都合とか入れないでよね。仕事優先で行くんだから」
「待てよ。オレたちの自由な時間は?」
「あるわけないじゃない。何寝ぼけたこと言ってんの? 今までただ飯食べさせてもらってきて。少しは事務所やレーベルに恩返ししなさいよね!」と、瑛美は真剣な顔つきで言った。
今まで見たことのない「詰まっているスケジュール表」を眺め、知成はゴクンと唾を飲み込んだ。
「瑛美ちゃん、LTV局の小沢さんから電話~、3番ね」
「は~い」
デンジャラス佳代が瑛美に、電話を回した。
「知成? 何ボケってんの? そのスケジュール表みんなにも見せてきて」と、瑛美は知成に言い、電話の受話器を上げた。
「もしもし、夏木です。で、小沢さん、どうなの? ホント!? Thank you
! もー小沢さん大好き!」
電話中の瑛美の声など入らず、知成がメンバーのところに戻ろうと、立ち上がると、瑛美は知成の持っていたスケジュール表とパッと取り上げ、余白に新たに書き込みをした。
『LTVきょく、こんばんてん、11じ入』
漢字の苦手な瑛美が作るスケジュールはひらがなが多い。
そしてまたスケジュール表を知成に渡し、メンバーのところに行くように手で合図し、電話の小沢と話し始めた。
知成は書き入れられた文字を見直した。
「こんばんてん? 今、バン、天ーーーーー!?」
頭の上で大きな声を出した知成にびっくりした瑛美は、知成を見上げたが、知成は知成で慌ててスタッフルームを出て行った。
メンバーのいる応接室のドアを思い切り開けた知成は、叫んだ。
「こ、こ、こんばんてん!どーしよう!こんばんてんだよ!」
一行と玲二、そして、まだ話しこんでいた悠が、何事かと知成を見た。
「どうしたんだよ、知成。いきなりなんの雄叫びだよ」玲二が訊いた。
「出れる…こんばんてんに出れる…こんばんてん…」
「こんばんてんって、『今夜だけBAND天国』のこと?」
悠が優しげな顔をして訊くと、知成が深いうなずきを三度ほど繰り返した。
『今夜だけBAND天国』とは、音楽ジャンル問わず、バンドのみが出演する音楽番組で季節の変わり目、年三回スペシャル番組として放送されている十数年続いている番組で、良い視聴率をとっている。
新人バンドやメジャーでないバンドにとっては憧れのプログラムであり、悠のバンド「ゴーディオン」は、もちろん常連だ。
「マジかよ!」
「なんでおれたち出れるの!?」
「わかんねーけど、出れる!」
三人の声は震えながらも喜んでいた。
仕事に無頓着であるように見えるホーサイレイだが、やはりバンドメインの番組に出演できるということは、何よりも嬉しい。
「悠さんたちも出演するんですよね!?」
「うん、スケジュール入ってるよ。初めてだね、一緒に出演するのって」
悠も一緒に喜んだ。
「ねぇねぇ、ところでさぁ、この紙な~に?なんか文字がたくさん書いてある…」
スケジュール表を見ていた一行が知成に訊いた。
知成が、瑛美に言われたことを二人に説明すると、一気にテンションが下がり、自分たちの自由時間が無くなることに肩を落した。
「おまえらさぁ、たまには働けよぉ……」
三人の様子を見ていた悠が、苦笑いのまま言った。