(十五)すれ違ったまま(1)
知成に彼女ができたことに、心が痛む自分がいる。
ずっと前からほんとうは、気づいていた知成への「特別な好き」という気持ち。
自分自身にとって、知成は吉田プロの大切なアーティストだ。
マネージャー代理という、仕事上の関係。
それももうすぐ終わりになる。
瑛美は、押しつぶされそうな心が、これ以上成長しないように、知成に悟られないように、深い深い呼吸をして、知成のマンションのドアを開け、中に入った。
いつものようにいつもの笑顔で、二人を起こしに寝室に行こうと思ったが、リビングの方から話し声が聞こえてくる。
「……ぇえ? もう起きてる!?」
ホーサイレイのマネージャーになって、こんなことは初めてであった。
(いつもこうならいいのに…)
そう強く願う瑛美である。
知成、玲二、そして二人を起してから迎えにいくはずの一行までが、ソファに姿勢良く座っている。
それも、支度が整い、すぐにでも出かけられる状態だ。
「どうしてっ!?」
と、瑛美はものすごく珍しいものを見たような顔をした。
「だってさぁ、今日は「こんばんてん」の収録だぜ! 完璧な体制でテレビ局にお伺いしなきゃな!」
「「だよなー」」
玲二がいうと、二人も声を揃えた。
「あ…、そう。…じゃぁ、ちょっと早いけど、行こうか!」
と、うれしそうに微笑んだ瑛美が言った。
どれだけ、『今夜だけBAND天国』に出演することを心待ちにしていたのか、はっきり態度で示してくれる三人に笑いがでてきたが、小野山と小沢に、ホーサイレイの出演を、半ば強引だったが、無理にでもお願いしてよかったと、運転する車の中で、三人の笑い声を聞きながら思っていた。
テレビ局には、予定の入り時間の1時間半前に着いてしまった。
時間ギリギリや遅刻よりは余程いいが、これはこれで早すぎだ。
すでに用意されていたクローク室に一旦は入ったが、一行と玲二が探索に行くと言い、出て行ってしまった。
残された知成と瑛美は、話すこともなく、お互い黙ったまま、少し距離を置いた場所で雑誌を読んでいた。
瑛美のプライベート用の携帯の着信音が鳴った。
「あ、耕ちゃん? もう成田? うん、じゃ気をつけて帰ってね? 見送り行けなくてごめんね―――」
瑛美の携帯が鳴った時点で、見ていた雑誌をめくる手が止まった知成は、相手が耕介であるということがわかり、雑誌を見るフリをしつつ耳だけは瑛美の方に傾けていた。
電話を切り終えた瑛美は、知成に訊いた。
「ねぇ、その人のファンなの? さっき玲二も見てたけど」
ボーっとしたまま見開いてあるページを見つめていた知成が、手元の雑誌をちゃんと見直すと、先月離婚した三十代後半の女優のヌード写真が載っている。
「……ぅわっ、ぜんぜん気づかなかった…」
急いで閉じた雑誌を放り投げたが、玲二はさっきまでそれを穴が開くほど眺めていた。
「今の、電話の人…」
知成がポツリと訊いた。
「ん? 耕ちゃん? 今日アメリカ帰るの、これから搭乗なんだって」
「アメリカ?」
「うん、時々仕事で日本に来るの。その時は、私の部屋に泊まるんだ。耕ちゃんもアメリカ生まれだから、畳の部屋とかにあこがれてさ、ホテルよりあのアパートの方が好きらしい」
少し知成と話ができた瑛美は、うれしくなり言った。
「ご自慢の耕ちゃんが、アメリカに帰っちゃって淋しいよな? おまえも。さて、オレも局内散策行って来よう~」
知成は明るめの声で言ったあと、立ち上がり、部屋のドアノブを回した。
「おまえに、似合ってるよ…あの男。身長もオレよりデケーし」
瑛美に背を向けたまま、棘のある言い方で、知成は、パタンッ…と閉じ、部屋を出た。
「……耕ちゃんは、そんなんじゃない…」
一人残された瑛美は、閉められたドアを見つめ、つぶやいた。