(十三)ご褒美はやはりキス。
よどんだ空気のライブハウス最高! 夜大好き! 夏嫌い! 暑いの勘弁!
夏・緑の草木・北海道の真ん中辺り・きれいな空気の中・明るい太陽の下。
普段では考えられない情況下で、「ビジュアルバンド集合・サマーフェスティバル・イン・HOKKAIDO野外ライブ」は開催された。
林田が、このスケジュールを入れた頃は、まだホーサイレイは知名度なしのただのバンドだったが、メディア露出のおかげで、一般若者にも名が知られるようになっていた。
出番は、三番目。これは、変わらないが、演奏曲数が二曲から三曲に変更され、増えた。
人気が出るということは、こういうことなのだろうか…。
「え、三曲も歌うの?」
「げぇ~、そんな長い時間太陽浴びたくないよ」
「日焼け…やだなぁ」
文句タラタラだった三人だが、サポートメンバーを交え、ステージに上がると、ノリノリで楽しそうに演奏した。
お客のノリも声援も、ありがたく全身で受けとめた。
無事、演奏を終え、ステージを下りたホーサイレイを見て、ホッと体の緊張が解けた瑛美である。
「な~んで私がこんなに緊張しなきゃなんないのよ…」
そんなつぶやきをしながらも、戻ってきた三人を拍手で迎えた。
まだまだライブは続く、最後の出演者がステージを下りたのは、九時半近かった。
スケジュールの関係で朝一番の飛行機で東京に戻るバンドは、空港近くに移動したが、ほとんどの出演者は、打ち上げに参加した。
たぶん長くなるであろう打ち上げ。
瑛美が、ホーサイレイの三人を打ち上げ会場に残し、先にホテルに戻り、シャワーを浴び、パソコンを開いた時には、深夜一時を回っていた。
デンジャラス佳代からのメールが入っていた。
『パンパカパーン! ホーサイレイ、シングルCD八万超えて、九万になりました。おめでとう! ……でも、もうこのシングルは、ここ止まりかな~?』
余計な一言も添えられていたが、瑛美は、喜んだ。
みんなに報告をしようと、知成の携帯に電話をすると、眠そうな声が聞こえ、騒がしい会場にいるはずなのに静かであった。
「あれ? どこにいるの? 知成」
不思議に思った瑛美が訊いた。
「ホテルの部屋。ちょっと寝てた」
「もう帰って来たの!?」
先輩バンドもいたし、いろいろな人に声をかけられ楽しかったのだが、疲れて眠くなり、帰って来たという。
昼の太陽にやられたらしい。
「玲二と一行は?」
「オレが帰るときは、まだいたよ? 玲二は、なんか…会場にいた熟女と消えた…」
「はぁあ!? もぉー、なんで止めないのよ! 仕事で来てるっていうのに、私の監督不行届きじゃない! あーもうダメだ…」
電話の向こうで落ち込む瑛美に、知成は笑った。
「大丈夫だよ。そのうち帰って来るって、また振られてさ」
「あっ、そんなことよりね」
瑛美にとって、玲二のことは「そんなこと」なのだろうか…、落ち込む割には、切り替えが早い。
「あのね、CDが、九万枚いったんだって!」
「ホント!? スゲーじゃん、ホーサイレイ! 十万突破も夢じゃねーな!」
喜ぶ知成にデンジャラス佳代のメールの最後部分は、話さなかった。
「そうだね、十万枚いくと、いいね…」
「なに? その無理そうな言い方」
「べつに?」
「あ、ラーメン食いに行かね?」
「ラーメン?」
「オレ、打ち上げ会場で、あんま飯食ってないんだ。ホテル戻る時、近所に二十四時間やってるとこ見つけた。一眠りしたら食いに行こうと思っててさ。だから、一緒に行かない?」
と、ベッドの中から起き上がり、瑛美に言うと、「行く!」という返事が返って来て、ロビーで待ち合わせをした。
「なにおまえ、ヒール履いて来てんだよ」
知成が瑛美の足元を見た。
「え、これで東京から来たんだけど?」
「ライブんとき履いてたスニーカーでいいだろ?」
「どうして? あれは、動きやすいように履いてただけだよ?」
ヒールの高さは三センチ。
瑛美の身長にプラスされると、百七十三センチ。
知成の目線と瑛美の目線はあまり変わらない。
「おまえが、ヒール履くと、オレとあんまり身長かわんないんだよ…」
と、言い、少しいじけた目をした。
「しょうがないじゃない。知成身長何センチよ?」
「え、百七十五…」
「じゃぁ、このヒール履いても二センチの差があるじゃない」
「男の百七十五より、女の百七十三センチの方が、デカく見えるんだよ…」
「細かっ…。知成って身長とか、気にするんだ」
瑛美はわざと背筋を伸ばして、背を高め、知成に並んだ。
「っ! やめろっていってんだろ!」
などと、もめながら二人がホテルを出ようとしたとき、タクシーが止まり、中から玲二が降りてきた。
「あー、玲二! あなた、熟女はどうし…た」
瑛美が玲二に向かって言ったが、どうやら振られたらしい表情に、口を閉じた。
「おい、玲二、おまえも行く? ラーメン屋」
「行かない…。もう寝る…」
玲二は、一人トボトボとホテルに入って行った。
「大丈夫かな? 玲二…」瑛美が心配そうに言った。
「大丈夫だよ、明日の朝になったら元に戻ってるよ。デートしに行くって言っても、だいたいいつも八割方、あんな感じで帰ってくるんだ、あいつ」
「へぇ~、モテないんだ。玲二くん」
エレベーターホールに向かい歩く玲二を二人は見届け、ラーメン屋に向かった。
知成が案内したラーメン屋の暖簾をくぐると、夜中だが、数人の客が座っていた。
カウンターに並び、味噌ラーメンを注文した。
「お姉ちゃんは、モデルさんかなにかか?」
カウンター越しの大将が訊いてきた。
「違いますよ」と、瑛美は少し照れたように言った。
「この町の姉ちゃんじゃないだろ? こんなべっぴんさん、この町にはいないもの」
「大将、そんなこと言ったら、この町の女の怒って客が減るよ」
常連客のような男が、笑いながら言った。
(そうだよ、きれいなんだよ、瑛美は…誰から見ても)
知成は心の中で大将に相づちを打っていた。
店を出ると、風がひとつ吹いた。
「やっぱ、夏って言っても北海道の夜は涼しいんだね?」
「ん、そうだな。…おまえさぁ、なんでモデルとかタレントかにならなかったの?」
歩き始めた瑛美の少し後から、知成が訊くと、瑛美が振り向いた。
「なに、いきなり」
「さっきの店の人も聞いてきただろ? モデルかってさ」
知成は瑛美の隣に並び、また歩き出した。
「瑛美、きれいだしさ、スタイルいいじゃん? もったい…ないかなって。吉田社長に事務所誘われたりしないの? タレント部にとか」
「私、小さい頃から、かわいいぃ~とか、きれいだね~とか、言われてた」
瑛美は、ニッと笑った。
「なんだよ、自慢かよ~」
「結構complexあるんだよ? 私は、知成みたいな特別な仕事には向いていない。ライトを浴びるとか、みんなからの声援を受けるとか、そういう職種は、似合わない。それに、前の仕事も大好きだったけど、今の仕事も大好きよ。ホーサイレイのマネージャー」
と、瑛美は横を歩く知成に顔を向けて言った。
「ねぇ、瑛美のコンプレックスって、どんなの?」
「んー、アメリカにいたときもそれなりのコンプレックスがあったけど、日本に来てから思ったのは、今の日本の女の子ってかわいいじゃない? クリクリしてる子多いし」
「クリクリって…、意味わかんねー」
「身長よ! 日本の女の子たちは、顔もかわいいけど、身長がかわいいの!」
と、瑛美は言った。
「百五十五センチとか、百六十センチとか、私の憧れ」
「百七十センチだって、いっぱいいるじゃん、日本の女の子の中にも」
「いいの! 私の理想は、百五十七センチ!」
「細かいよ、おまえ…」
「さっき、知成だっていってたじゃない? ヒール、履くと自分と同じ身長になるから、イヤだって」
瑛美にチラリと見られた知成は、気まずい顔をした。
「嫌なんて言ってねーよ。好きになった女なら別に、背の高さなんて関係ねーし…」と、そう言ってしまった自分に、知成は赤くなった。
「そうだよね? 私の前のだんなさんも同じくらいの身長だったけど、あっ、Kissするとき楽だった! ははは~」と、小笑いの瑛美に、知成の顔は赤いままだ。
「あっ、なんか飲む~? ラーメン奢ってもらったから、ジュース奢ってあげる」
自販機を見つけ、走っていく瑛美の後を、ジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、知成は、ゆっくり歩いた。
「なに飲むぅ~~?」
静まり返っている町に瑛美の声が響いた。
「…デッケー声…。深夜なんだから少しは加減しろってーの」
一人言のようにつぶやき、知成は、歩いている速度を速めた。
「ねぇ、何にする?」
「おまえと同じのでいいよ」
「じゃ、これ!」
ボタンを押し、カラコロと出てきたのは「はちみつレモン味」の飲料水。
「私これ好きなんだ。はちみつレモン味は、結婚して二十歳に日本に来た時、成田空港で初めて飲んだ思い出の味なんだ。すごくおいしかった!」
「元ダンとの思い出の味じゃねーかよ…」
「そうだよ~。楽しくて大切な思い出は、いつもこの中にある」
と、瑛美は軽く言い、飲料水をコクコクと飲んだ。
自販機に二人並んで寄りかかり、美しい星空をみあげていた。
少ししてから、知成は瑛美をチラリと見てから、
「ん?」
急に瑛美の唇にキスをして、唇を放した。
「オレから瑛美へのご褒美。CD八万枚売れた…ご褒美。Kiss for youってやつ?」
内心ドキドキの知成だが、顔には出さず、気取って言ってみた。
「んふふふ、じゃぁ、」と、瑛美も知成にお返しをするように、チュッっとキスをした。
唇を放した瑛美は、
「なんか、ものすごくひさしぶりのチュウは、はちみつレモン味~」と言った。
「ひさしぶり…? キスってアメリカじゃ普通に挨拶だろ?」
それに託け、瑛美にキスをした知成なのだが、
「え? アメリカ式の挨拶は、ハグとキスだけど、キスは唇じゃなくて頬にだよ? 唇にキスは、やっぱり恋人同士が当たり前よ?」
と、言われ、自分の取った行動に全身から汗が吹き出た。
そして、知成にとっても「はちみつレモン味」は、大切な思い出になった日である。