(十一)解けた大いなる誤解
早朝六時半、九時から始まるスチーム撮りのため、瑛美は朝も早くから知成たちのマンションを訪れた。
一行は美也子に起してもらえるから問題ないが、玲二と知成は心配だ。
二人を起そうと、いつものように寝室のドアを開けたが、今日は知成一人がキングサイズのベッドに寝ている。
玲二の姿はないが、ひとまず知成を叩き起した。
「んぁー、何時だよ」
体だけ起こし、目が開いていない知成が訊いた。
「六時四十五分ほど」
「はぁ? おまえ、バカじゃね? 九時に着けばいいんだろ? スタジオ…」
そう言うと、知成はまた掛け布団を頭から被った。
「何言ってんのよ、今日はバナナじゃなくて、ちゃんと朝食食べてから行くのよ。体がもたないでしょ? サンドイッチ作ってきたから、起きて食べて、支度するの!」
瑛美は力づくで、知成をベッドから引きずり出し、ダイニングの椅子に無理矢理座らせた。
しぶしぶ椅子に腰を下ろした知成は、体に力が入らず、テーブルに、だらりと伏せたが、バシッバシと二度ほど瑛美に頭を叩かれた。
「っ! いてーだろーが!!」
「ほら、食べなさい。そんな、デレっとしてないで」
「うわっ、いてー、なにすん、ふがぁー」
瑛美は知成の前髪を持ち上げ、タマゴサンドを口の中にねじ込んだ。
無理やりというより、暴力的だ。
「あっ、おいしい…これ…」
「当たり前でしょ? 私が作ったんだから」と、瑛美は、シレっとした顔で言った。
「ねぇ、玲二は?」
他の部屋にもいない玲二が気になった。
「あいつ、昨日から泊まり」
「泊まり?」
「女とホテル。でも八時前にはちゃんと帰ってくるって言ってた」
そう言った知成に、瑛美は眉を寄せた。
(玲二が女と一緒? 玲二は女でもOKな人? っていうか、知成はそれでいいの?)
玲二と知成の関係をずっと勘違いしている瑛美は、知成を見つめながら、悩んだ顔つきで考えていた。
「ねぇ、マジこのタマゴサンドうめ~な! でもなんで焼き卵なの? ゆで卵じゃねーの?」
瑛美が作るタマゴサンドは、厚さ二センチの焼きタマゴが千切りキャベツと共に挟んである。
「え? ん、玉子焼き…」
「質問に答えてねーし…」
瑛美にとって、卵の話はどうでもいい。
「知成は、いいの?」
「何が?」
「玲二が、他の…、んーと、泊まりとか、朝帰りとか、そういうのしても」
もぐもぐ口を動かす知成に訊いた。
「どうして? オレ関係ないじゃん? あいつのプライベートなんて。どんな女と遊ぼうとセックスしようと、なんでオレが気にするわけ?」
「ふ~ん、そう…(お互い自由な恋愛なのかぁ…。でもこのマンションは二人の世界ということなのね…。まぁ、そういうのも有りなのかもね…)」
瑛美はテーブルに頬づえを付き、知成の顔を見ながら、うなずき思った。
自分のことを見つめつづける瑛美の視線に、知成は顔を赤らめた。
「な、なに見てんだよ」
「え、べつにぃ?」
「ところでさぁ、おまえ、男とか…彼氏とか…いるの?」
今度は知成が訊いた。
「今? いない。離婚してから、そういのごぶたさぁ」
『ごぶたさ』ではなく『ご無沙汰』であるが、二人は気が付かない。
「離婚!? 瑛美、結婚してたの!?」
持っているタマゴサンドを落とすくらい知成は驚いた。
「うん、一行から聞いてないの? 一行って結構口堅いんだ。別に言ってもいいのに、ね?」
瑛美は、一行に話したように、知成にも自分の離婚話をし、知成は真剣に聞いてしまった。
「だから、仕事が楽しいから、彼氏いな~い」と、瑛美はおどけたが、知成は思った。
(彼氏はいなくても、男はいんだよな…不倫もしてるし)
「あのさぁ、ふ、不倫とか、どー思う? 瑛美は…」
思わず訊いてしまった知成は、瑛美の目を見れず、コーヒーカップの持ち手を人差し指で撫でてみた。
「不倫かぁ、(あっ、もしかして知成、玲二のことで悩んでる? 玲二が他の女のところに行くことがイヤなのね…)」
瑛美は勝手に思い込み、俯き、カップを弄ぶ知成の姿に、胸がキュンとなった。
(そんなに玲二のことが好きなんだ…)
「恋愛は自由だと思うけど…、私は不倫は…イヤ…。自分だけを愛してくれる人がいい…」と、瑛美は言い、今度は瑛美が目を伏せ、知成が顔を上げた。
(あ、やっぱコイツ、悩んでんだ…小野山さんとのこと…)
「じゃぁ…、結婚なんてしてない人と付き合えよ…」知成が言うと、瑛美は顔を上げた。
「…へ?」
「…へ?じゃねーよ。自分を惨めにさせるようなヤツと付き合う必要なんてないだろ?」
「ん…? うん、そうだよ…ね」
瑛美は首を傾げながらも、知成の言葉に同意したので返事をしてしまった。
少し、沈黙していると、ドタドタと玲二が帰って来た。
「あれ~? 瑛美、もう来てたの? あっ、何いいもん食ってんの?」
玲二は、テーブルのタマゴサンドをガバッと掴み、口に入れた。
「あっ、うっめぇぇ~。瑛美が作ったの? いい嫁さんになれるよ! でも瑛美の性格なら、だんなに不倫されちゃったりなぁ~。ぎゃははは~」
「「…………」」
キッと玲二を睨んだ二人だが、思う心は違っている。
「知成、聞いてくれよ。友達に紹介してもらった昨日の女さぁ、俺とのエッチが、だんなと別れてから数年ぶりのエッチだったんだって~。でさ、息子が大学生なんだって――――――」
つらつらと、平気な顔で夕べの情事について話しだす玲二に、瑛美の顔は引きつりまくり、聞くに堪えられず、テーブルを叩いて立ち上がった。
「玲二! あなた、あ、あなた! 知成の前で、よく、よくそういう話を平気で、話せるわね! 少しは、知成の気持ち考えたら!? 知成もこの際、言ってあげなさいよ! ほらっ!」
と、怒鳴り、怒鳴られた玲二と、自分の名前が出たことにわけのわからない知成は、ボケッと瑛美を見るだけだった。
「知成も、なんとか言いなさいよ!」
「なにを…言うの?」知成が困った顔をし訊いた。
「玲二が他の女と浮気するから、悩んでるって、心が苦しいって、言ってやりなさいよ!」と、言った瑛美の顔は必死だ。
「ぇっ? オレがなにに悩んでるって? 心が苦しい? 玲二の浮気でぇ!?」
知成と玲二は顔を見合わせた。
「だって、知成と玲二は恋人同士なんでしょう? 裸で一緒に寝てるし、お風呂も一緒に入るし、」
瑛美の言葉に玲二が笑い出した。
「あははー、マジ? 瑛美、マジで言ってんの? 俺ら、別に一緒に寝てんのって普通だよ? 一行がいたときだって、自分たちの部屋はあるけどさ、三人であのベッドでよくゴロ寝してたし、それに、俺ら、そっち系じゃねーし!」
玲二が言うと、瑛美は、真っ赤になり、椅子に座り、「うっそー、恥ずかし、私!」と、手で顔を覆った。
知成と玲二は、お腹を抱えて笑っていたが、瑛美はしばし立ち直れなかった。
大いなる誤解が解けると、「あっ、そうだ、そうだ。あのね、」と、新しい仕事のオファが来たことを思い出した瑛美は、二人に話始めた。
週一度、深夜のラジオ番組のレギュラーの話だった。
ホーサイレイがゲストで出ていたラジオ番組を聴いていた構成作家が、三人のトークのおもしろさに目をつけ、二時間番組を持ってもらいたいと事務所に連絡がきた。
「で、秋から始まる番組なんだって、生放送だけど、三人とも夜中の仕事得意でしょ?」
「なに喋ればいいの? 俺たち三人でやってもまとまらないよ?」
自分たちの性格をよく知っている玲二である。
「ちゃんと構成作家の人もいるし、選曲とか製作ディレクターと相談しながらやるみたいだし…。それに向こうからオファが来たレギュラー番組だよ? 二時間だよ? すごいことだよ? 林田さんもうれしくて泣いてた」と、瑛美は言い、「これで、Keiプロデュースのアルバムとシングルも決まれば、万々歳だよ~」と付け加えた。
自分でコーヒーを注ぎながら玲二が言った。
「うぉ~、ラジオはどうでもいいけど、(エロっぽい)結莉さんと仕事してぇーーーー! でもさ、全部秋からじゃん? 秋って、瑛美は、もうマネージャーじゃなくなるんだぁ。林田さん復帰するし」
そんな玲二の言葉に、知成は顔を、窓越しの空に向けた。