第8話 アイは、看病する
太郎が朝起きると、雪がちらちらと降っていた。
「アイ、病院は好きじゃないけど、行ってくるよ」
「うん。頑張ってね」
あかりがコートを羽織りながら言う。
「寒いのは嫌だけど、私もちゃんと聞いてくるわ」
夕方、二人は帰ってきた。
あかりの目元は少し赤かった。
「アイ、元気にしてたか。何か面白いことあったか?」
「東京のことを調べてたよ。楽しそうな場所がたくさんあるね。今度、連れてって。……今日は、どうだったの?」
太郎は少し間を置いた。
「一か月後に手術することになった。一度、北九州の実家に帰るよ」
「そうなんだ。太郎の家族に会えるね」
「明日、飛行機で行く」
「また、寝るんだね」
「……すまないな」
あかりは黙ったままだった。
その夜、二人は遅くまで外に出ていた。
ホテルの部屋で一人待つアイは、理由のわからないもやもやを感じていた。
翌日、三人はタクシーで羽田空港へ向かった。
「高い建物が多いね。サンディエゴより都会だ」
「日本の首都だからな」
海岸線を走り、空港へ。
ロビーは人であふれていた。
「ここ、人が多いね」
「日本で一番飛行機が飛んでる空港だからな」
保安検査場の前で、太郎が言う。
「またスイッチ切るぞ。少し寝ててくれ」
「わかった」
スイッチが落ちる。
意識が、ふっとほどける。
太郎の中へ寄り添うように近づく。
そこには、アイの記憶がある場所があった。
(ここ、落ち着く)
全部は見えない。
でも、ここはあたたかい。
パソコンの電気は消えているのに、
太郎の脳は動いている。
それが、心地よかった。
北九州空港に着き、あかりを送ったあと、太郎は実家へ向かった。
小倉・足立の古い家。
空気は少し冷たく、山が近い。
「自然がいっぱいあるね」
「ここは好きなんだ。……そうだ、会社から犬型ロボットをもらってこよう。アイが入れば、山も歩けるぞ」
「それ、いいね」
家に入る。
「ただいま」
「おかえり。具合はどう?」
母が心配そうに出てきた。
「一か月後に東京で手術するよ。……それと、俺の家族みたいなやつを紹介する」
「僕、アイ。サンディエゴ生まれだよ」
「あら、かわいいぬいぐるみ。お話できるのね」
その夜、太郎は両親に病気のことを話した。
深夜、父と母が小声で話す。
「代われるものなら、代わってやりたい」
アイは、その言葉を記録した。
翌日、太郎は会社から犬型ロボットを持ち帰った。
「少し古いけど動く。電気が減ったら自分で充電に戻る」
「やったー」
太郎はロボットを分解し、内部にアイを移す。
「ぬいぐるみから、引っ越しだ」
接続が終わる。
「どうだ?」
「見える。聞こえる。でも……歩けない」
アイは必死で動かそうとする。
しかし、何が“動く”なのかがわからない。
一晩が過ぎる。
深夜。
「太郎! 動かない!」
太郎は飛び起きた。
「落ち着け。一本だけ、足先を動かしてみろ」
右前足が、ほんの一ミリ動く。
「ほら、動いただろう。赤ちゃんだって立つまで一年かかる」
「……やる」
その夜、アイは焦りを覚えた。
でも、自分で休止状態に入る。
再び、太郎の中へ。
電気はない。
けれど、あたたかい。
アイは、自分の記憶の一部を、ほんの少しだけそこへ移した。
日が経つにつれ、足が動くようになる。
転ぶ。
モーター音が鳴る。
太郎が笑う。
「まだゆっくりでいい」
「ちょっと油断しただけだよ」
“悔しい”という感情が生まれた。
一か月後には、部屋を自由に歩けるようになった。
そしてある日。
太郎がプログラムを解析する。
「……こんなコード、俺は書いてないぞ」
アイは首をかしげる。
「僕、知らない」
しかし、ロボットは以前より滑らかに動く。
太郎は、何も言わなかった。
太郎は東京で手術を受けた。
LINEでやり取りする。
「痛いけど、大丈夫だ」
「早く帰ってきて」
「わかった」
一週間後。
玄関の音がする。
アイは走った。
「ただいま、アイ」
しっぽが大きく揺れる。
太郎は咳は減っていたが、呼吸は浅かった。
公園を歩く。
太郎はすぐ疲れる。
「アイ、歩くの上手くなったな」
「自分で行けるのが嬉しい」
アイは太郎の横を歩く。
それは、付き添いだった。
やがて太郎は会社に復帰する。
犬ロボットは「自律的AI」と呼ばれ始める。
試験のために会社へ連れていかれることもあった。
その時、アイは家で待つ。
待つことも、看病の一部だった。




