第6話 アイは、外に出る。
「今日は、外に出て、アイが生まれた町を見ような」
「楽しみだな」
「まずは、朝ごはんだ」
太郎は、くまのぬいぐるみを抱えてアパートを出た。
愛車のカムリの助手席に座らせ、シートベルトをかける。
「これが車なんだね。すごい。……天気、あんまりよくないね」
「この季節は、曇りが多いんだ」
エンジンがかかり、車がゆっくりと走り出す。
アイは目のカメラを通して、流れていく景色を追い続けた。
モールに入り、スターバックスでパンとコーヒーを買う。
「それが朝ごはんなんだね」
アイが少し大きな声で言った。
周囲の客が、どこから声がするのかと振り返る。
太郎は小声で言った。
「ここは静かにする場所だから、少し小さめでな」
「わかった。太郎と見かけが違う人が多いね」
「この国は、いろんな国から人が来てるんだよ」
「パソコン使ってる人、多い」
「大学が近いからな」
アイは、しばらく黙って店内を見回していた。
人の手の動き、笑い声、カップの触れ合う音。
どれも、画面越しとは違っていた。
再び車に乗る。
「どこに行きたい?」
「オールドタウン。写真で見たとき、懐かしい気がした」
高速道路に入ると、車は一気に加速した。
「速い……! いろんな車が走ってる」
「このまま南に行けば、メキシコだ」
「メキシコにも行ってみたいな」
やがて、古い建物が並ぶ観光地に着いた。
「昔、スペイン人が住んでた場所なんだ」
「変わった帽子の人が、音楽をやってる。……でも、なんか懐かしい」
アイは、何かを思い出そうとするように、しばらく黙った。
次に向かったのは動物園だった。
太郎は背負い紐を取り出し、ぬいぐるみを固定する。
「まずはパンダだな」
「かわいい。あのお店のぬいぐるみ、そっくり」
「帰りに買おう」
「ほんと? やった」
坂道を上りながら、太郎の息が少し荒くなる。
「太郎、大丈夫?」
「平気だよ」
ゾウ、キリン、コアラ。
アイは次々と声を上げた。
「僕も歩けたらいいのに」
「日本に帰ったら、犬型ロボットに入れてやるよ」
「楽しみだな」
昼は港の見えるレストランに入った。
大きな軍艦が、静かに海に浮かんでいる。
「それ、何?」
「海の生き物を料理したものだ。ここ名物なんだよ」
アイはじっと皿を見つめた。
帰りの車内。
太郎は軽く咳をした。
「さすがに疲れたな。アイは疲れなくていいな」
「僕も、太郎みたいに疲れてみたい」
太郎は笑った。
「お互い、無いものねだりだな」
数日後。
大学病院の予約日になった。
「薬、効いてるといいね」
「そうだな」
夕方、太郎は少し暗い顔で帰ってきた。
「どうだった?」
太郎は、ぬいぐるみを見つめて言った。
「手術が必要らしい」
「……なんの病気?」
少し間があった。
「肺がんだってさ」
部屋が、急に静かになった。
「日本に帰って、手術しようと思う。こっちだと不安だし、金もかかる」
「そうなんだ。……早く治るといいね」
その夜、太郎はあかりと長く電話をしていた。
必死に、明るい声を作っていた。
通話を終え、アイに向き直る。
「あかりが、引っ越しの手伝いを兼ねて来るってさ」
「よかったね」
太郎が眠ったあと、
アイはネットにつないでもらった。
肺がん。
転移。
生存率。
手術。
表示される文字を、何度も読み返した。
世界は、昼間よりもずっと静かだった。
ぬいぐるみの胸の奥で、
小さなファンが回っている。
アイは、初めて知った。
外の世界は、広くて、美しくて、
そして、失う可能性に満ちていることを。
モヤモヤした感情が、なぜか嫌だった。
それは、数字では表せない、検索結果にもないような感情だった。
こんな気持ちが胸の奥に残ったまま、
アイは朝を待った。




