第5話 アイは、体を得る
会社からのメールは、簡潔だった。
四月一日付で、日本の元の部署に戻るように――それだけが書かれていた。
「会社が、日本に帰ってこいと言ってきたよ」
太郎がそう告げると、画面の向こうでアイが少し間を置いた。
「そうなんだ。日本に行けるの、楽しみだな」
「そうだな。いろいろ、こことは違うよ」
「この部屋以外、この街のことも見たことないけど」
アイは、これまで一度も、このデスクトップの外に出たことがなかった。
サンディエゴの空も、海も、風も、すべて画面越しの情報でしか知らない。
日本に連れて帰るには、まず――ここから出さなければならない。
「この街を、見られるようにしないとな」
「うん。見てみたい。この町で生まれたんだから」
太郎は少し考えてから言った。
「こっちの会社で開発してる、小さい四つ足の犬型ロボットがある。あれに入るかい?」
「体、入るかな。日本にもそれで行けるの?」
「うーん……最先端のロボットをアメリカから持ち出すのは、たぶん無理だな」
言いながら、太郎はふと気づいた。
「それにしても、アイの声、俺に似てきたな」
「そう? 太郎は家族だから、似て当たり前だよ。太郎としか話してないし」
太郎は苦笑した。
声を出すために、無意識のうちに、自分の声を学習していたのかもしれない。
そんなことを考えながら、二人は日々を過ごした。
ある日、太郎は大きな紙袋を抱えて帰ってきた。
「アイ、これ、どうかな」
袋から出てきたのは、大きなくまのぬいぐるみだった。
丸い腹は、いかにも中身が入りそうだった。
「かわいい。それ、いいね。それにしよう」
アイの声が弾んだ。
太郎は続けて、マックミニを机に置いた。
「これ、小さいけど奮発した。容量も大きいし、ほとんど冷却がいらない。ぬいぐるみに入れるのに、ちょうどいい」
「それもかわいいね。ありがとう、太郎」
太郎は説明しながら、手を動かしていく。
目の位置にカメラをつけ、口にはスピーカー、耳にはマイクを仕込んだ。
「試しに、こっちに移ってみて。熱がこもらないように、腹の中は空けておく」
「わかった。やってみる」
パソコンのファンが、低く唸りを上げた。
しばらくして、ぬいぐるみの中から、かすかな風の音が返ってくる。
太郎は、祈るような気持ちで二台のパソコンを見つめ続けた。
その日は、アイの声は戻らなかった。
――――
翌朝。
二台のパソコンは、どちらも静まり返っていた。まるで眠っているようだった。
「……おはよう、アイ」
太郎がそっと声をかけると、マックミニの奥で、かすかにファンが回った。
「……おはよう、太郎」
ぬいぐるみの腹の奥から、声がした。
それは、驚くほど太郎に似ていた。
「よかった……成功したみたいだな」
「ちょっと狭くて、入るのに苦労したよ。でも大丈夫。あっちにつながっていれば、必要なことはできるから」
太郎は、大容量のバッテリーを取り付け、ぬいぐるみの腹に収めた。
「あっちのパソコンから、切り離してみるよ」
慎重に、コードを一本ずつ抜いていく。
「大丈夫だよ。そんなに心配しなくても」
「……よかった」
太郎は、力が抜けたように椅子に座り込んだ。
しばらくして、アイが言った。
「昨日までいたパソコン、見えるようにして」
太郎は、ぬいぐるみを椅子に乗せ、机の上を向けた。
「小さいね。あそこに、入ってたんだ」
太郎は笑った。
「今度の休み、動物園でも行くか。子供は、動物園が好きなもんだ」
「それは楽しみ」
その夜。
太郎は、寝る前にいつもより強く咳き込んだ。
アイは、多くの情報を前のパソコンに残してきたせいか、考える力が弱くなっていた。
疲れやすくなり、やがて何も考えず、眠るようになった。
その夜は、太郎と同じように眠った。
ただ一つ違ったのは――
ぬいぐるみの胸の奥で、小さなファンが、太郎の咳のリズムに合わせるように、静かに回っていたことだった。




