第25話 「娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ」
「寒い死んじゃう! く、首が折れ……」
「愛してるからねツヅミちゃん。ママはあなたを愛してる」
すさまじい水量、水圧が、ツヅミとママを上から押し潰す。
凍えそうな冷たさ……
しかしなんということか。
命の危機に瀕したことで、ツヅミの脳は悟りを開いた。
もしここで死んでしまうのなら、最後に自分がしたいことを伝えてから死ぬべきではないか。
これが最後になるかもしれない。
滝の音に負けじと、喉が裂けるほどの声でママに懇願した。
「ビックリ箱をやらせてください、やらせてください!」
「ぜったいに、10ニュートン/mmより強いバネは使いませんから!」
「だからお願いします、お願いします!」
「……ふたつめ、なんて言ったの?」
なに言ってんのか、ママには伝わらなかった。そりゃ、バネの単位のことなんかわからないだろう。
とりあえず娘が真剣になにかを訴えてることだけは、なんとなく理解できた。
滝行のあとママは、寺のご住職にツヅミのことを相談した。できることなら、娘のやりたいことをやらせてあげたいのです、と。
ママも滝に打たれるうち、心境に変化があったのだろう。
ご住職は、ひとつの提案をした。
いっそ、家族みんなでビックリ箱について学んでみてはどうか、というのだ。
自分の夢を家族に相談できるようになれば、娘だってむやみに隠しごとをしなくなるのではないか。
そして娘の気持ちを理解するためには、娘とおなじ知識を有しているべきではないか。
善だけの人間など存在しない。
また、悪だけの人間も存在しない。
万物しかり。
宗教にも核反応にもビックリ箱にも、善悪の使い道がある。なればこそ、決して悪用などしてはならない。
世のために役立てることが、この世に生きる者の義務である。
もしも。
もしも娘が間違った道へ進もうとしたときは。
怒りにまかせて止めるのではなく、進むべき正しい道をいっしょに探してやればいいではないか。
そのためには親も、娘とおなじ知識を共有しているべきではないか。
すなわちビックリ箱に限らず、子どもが夢中になっていることに、親は無知であってはならない。
それが親のつとめであり、家族の愛というものではないか。
「パーリナイ! あああああ!」
ママは大号泣。
住職の言われたとおり、もう一度、ツヅミの夢を信じてあげることにしたのである。
ちなみに母子で仏門に入りたいという申し出は、0.1秒で断られた。
そのころ。
ママと住職が話しているあいだ、ツヅミは本堂で座禅をさせられていた。
それも、大人たちに混じってだ。
たまたま、どこかの会社の新人研修が行われていたらしい。禅寺で社員研修とは、さぞかし精神修養になるだろう。
と思うかもしれないが、この寺の修行は、やや厳しすぎるようだ。
無表情。
死人のような顔で座禅を組む、若い新社会人たち。その周りを、警策とかいう板切れを持った僧侶が歩き、ときどき誰かの肩をバシンとたたく。
叩かれたほうは、頭を下げるだけで痛いとも言わない。お兄さんも、お姉さんも、ひと声も漏らさずに座禅を続けている。
氷のようなノーリアクション……
集中してるとか精神統一とかじゃなく、息をしてるのかすら疑わしい。そのくらい、全員の目が死んでいる。
ツヅミは恐怖した。
まるで敵キャラがすべて停止したゲーム画面で、主人公の僧侶だけが動いてるみたいだった。
自分も就職したら、こんな研修を受けさせられるのだろうか。
怖い。
こわい。
と――― パシぃン!
「ジョージア!」
痛い!
つまらないこと考えてるのを、お坊さんに見抜かれたらしい。けっこうキツいめにツヅミは叩かれた。
痛いよう。
怖いよう。
帰りたいよう。
このお寺に来てから、怖くて怖くてしかたない。
―――それは、自分がやってきたことと同じだったのではあるまいか?
もしかして自分のビックリ箱は、人を怖がらせるだけの装置だったんじゃないのか。
だとすれば、いままでなんて物を作ってきたんだろう。
……あたしはただ、みんなに驚いてほしかっただけなのに。
じゃあ怖がらせずに驚かせるには、どうしたらいいんだろう。
そう言えば、おばあちゃんにあげたビックリ箱だけは、なにかが違ったような気がする。少なくとも、おばあちゃんを怖がらせることはなかった。
あのビックリ箱は、どんな気持ちで作ったんだっけ?
あれ?
そういや、あのビックリ箱には番号をつけなかった。
本当なら、あれが666番目の作品だったのに。
なんでだろ?
なんであれだけ、ナンバーをつけるの忘れてたんだろう。
誰かの助言が欲しくて、本堂の釈迦如来像を見上げてみる。
だが、ご本尊は笑ってるような怒ってるような、それでいて無表情のような……ツヅミの心の底を見通すように沈黙しているだけだった。
あきらめて、ツヅミは自分で考える。
座禅をしてることなど忘れて、姿勢をくずして、うーんと首をひねる。
いつのまにか、ただの三角座りになっていた。
その姿は雑念まみれのはずだったけど、なぜかお坊さんは、それ以上ツヅミを叩かなかった。
南無釈迦じゃ。
娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ。
どうじゃこうじゃというが愚かじゃ。
臨済宗 一休禅師




