【11-3】解放
私が文音ちゃんに望まない結末を1つ言えというのなら、それは「アイドルになった文音ちゃんが誰にも見てもらえないこと」だった。せっかくアイドルになったのなら、多くの人に認めてもらってほしかった。そんな「望まない結末」を、文音ちゃんはこの廃ライブハウスで作ろうというのか。
一体何が始まるのだろうと思っていたら、それは「卒業ライブの貸し切り公演」だった。照明や音響もなしに、ライブハウスはただ私を閉じ込めるための冷たい空間でしかなかった。たった1人の観客は、卒業する文音ちゃんに声をかけることも、素敵なパフォーマンスに拍手することすら許されなかった。
私にできることはただ1つ。文音ちゃんがつけているアンクレットの鈴を、かき消さないようにふるまうこと。私の手は痺れと寒さで、文音ちゃんがライブの準備をしてるうちに早くも感覚がなくなり始めた。
手首を固定しているおもちゃの手錠の鎖が擦れる音や、私が少し身じろぎしてパイプ椅子がきしむ音すら、文音ちゃんは許さなかった。もちろん空調も止められている。真冬の昼下がり、分厚いダウンジャケットを着ていても足元から忍び寄る冷気に体が震えそうだった。
1曲目は、ドリームテイルのデビュー曲だった。池袋で歌うことが叶わなかった曲だ。文音ちゃんの歌と、何よりステップを踏むたびに響く鈴の音でステージが紡がれていく。
絶対にライブ向きの盛り上がる曲だと、初めて聴いた時から確信していた。ただ、それが今音ひとつ立てられない、身動き1つ許されない状態で突き付けられている。人間誕生から何十億年か知らないけれど、きっとそれ以来1番辛い拷問だ。
これから始まる、新しい物語を歌い上げるこの曲が、こんな皮肉に聞こえるときが来るなんて誰が想像しただろう。
それを歌い切り、少し息を整えると文音ちゃん1人のMCが始まった。あの子はずっと、どこか遠くを見つめていた。
「みなさん、こんばんは。ドリームテイルの七星文音です。今日は私の卒業公演にご来場いただきありがとうございます」
そう言いつつ真っ白なワンピでお辞儀をする姿は、お姫さまみたいだった。
「では、行きますよ。文音の声にー、めろめろきゅんっ。ふふっ、ありがとうございます。短い時間ですが、お楽しみくださいね」
すると、文音ちゃんは隅に置いてあったリボンを手に取る。そこにバトンはなかった。きっとどこかのタイミングでリボンだけに絞ったのだろう。
2曲目は、『解放と夜明け』だった。リボンが空を切ったり、床に擦れる音も、歌と鈴に加わった。
文音ちゃんのリボンさばきは、息を呑むほど上達していた。今からでも新体操でいい感じの賞が取れるんじゃないか。そんなこの期に及んでまだそんな下卑たこと……と文音ちゃんなら言い放ちそうなことを私は考えていた。
この曲は文音ちゃんがあの騒動を知るより前に作られたはずだ。それなのに、このすべてを予見していたかのような歌詞が連続する。
文音ちゃんは、あの物語の自動人形の少女だ。そして、私はあの裏方のおばあさんになるべき存在だった。
クライマックスになるにつれ、文音ちゃんは華麗に舞うリボンの動きを大きくしていく。
その様子を見ていると胸が苦しくて壁へ視線を逃がそうとすると、あの子はリボンを私への鞭のように床へ叩きつけた。
――ずっと私は、ここにいるよ。
そう最後の歌詞を歌いきったあの子の荒くなった息遣いが生々しく耳に入ってきた。
私への冷たい私情と、あの子の表現欲に溢れた時間だった。
「以上で、卒業公演は終了となります。わずかな間ではありましたが、私を見守ってくださり本当にありがとうございました」
文音ちゃんはリボンをまとめて、深々とお辞儀をした。あの子の中では、会場に詰めかけた誰もが呼吸する音すら潜めて自分を見守る理想の世界が広がっているのだろう。
文音ちゃんは顔を上げると、私と目を合わせた。私の顔はもう、拭いたくても拭えない涙でそれは酷いことになっていた。
「そして、西木澪。あなただけは、私を最後まで静かに見守ることを選んでくれた。他の見物人はこんなに騒々しいのに!」
文音ちゃんはスカートの中が見えそうなほど、華麗にくるくる回る。アイドルのMCではなく、演劇のようだ。
「あなたこそ、私が望むたった1人のファンだったのですね」
文音ちゃんは目を細め、ゆっくりと私に近づいてくる。一体何をされるのか、怖くなって私は目をギュッと瞑る。鼓動が文音ちゃんにも聞こえそうなくらい激しくなった。
「ひっ……!」
「静かに」
そう囁かれた次の瞬間、私の額に、正確には前髪に、微かな柔らかい感触が当たった。
それが少し続いたのち、文音ちゃんはそっと離れていく。
あの子は頬を赤くして、口元を手で隠していた。縛られている私の前に膝をつく。
「あなたに、「アイドルになってほしい」と言われたあの日を、私は覚えています。あなたは覚えていますか」
「うん、全部……かは怪しいけれど」
「こんな紙を私に差し出したことを、覚えていますか」
文音ちゃんがどこからか取り出したのは、がたがたの字で書かれた私の携帯番号だった。
そんなメモを書いた記憶はない。だけど、あの汚い字は私だ。
「私が中学生の頃着ていた制服の中から見つかったそうです。制服を親戚へ譲ることになり、クリーニングに出そうとしたらこれが出て来ました」
文音ちゃんの手が微かに震えだす。
俯いていてあの子の顔は見えなかったけれど、声は震えて輪郭を涙が伝っていた。
「私の過去が世の中に晒されたとき、これを使ってあなたに助けを求めていたら。未来は……。変わっていたでしょうね……」
後ろに縛られた私の手は解かれた。それと同時に、文音ちゃんは私をきつく、きつく抱きしめた。たった2曲でも、卒業ライブをやり遂げた文音ちゃんの身体は、こちらが蕩けそうなほど温かかった。
抱き返そうとしたけれど、もう力が入らなかった。私の行動ひとつで、文音ちゃんの心を生かすことも、殺すこともできてしまったんだから。
もう、二度と文音ちゃんに触れられない。私はそれだけの間違いを犯したんだから。
文音ちゃんは、罪悪感から垂れ下がったままの私の手にあのメモを握らせた。
「今更必要のないものです。これはお返しします」
私が最後に見た文音ちゃんの表情が穏やかなもので、本当によかった。
翌日、12月21日。突然、ドリームテイルから当日付けの【七星文音 脱退のお知らせ】が投稿されて界隈は阿鼻叫喚となった。
そして、その真相を私だけが知っていた。




