前編
魔王を討伐したのに冤罪で追放された元英雄レイ。 辺境で古代魔導を習得し、真実を暴く力を得た彼は、婚礼と処刑の儀式の場で元婚約者の王女と聖騎士をざまぁ展開で失脚させる。 だが、復讐に興味はない。彼が望んだのは、ただ一人信じてくれた女性との静かな暮らしだった。 名誉も地位も捨てた先に、本当の勝利があった。
レイ・ヴァン=クローディアは、王国屈指の名門――クローディア騎士家の令息だった。
剣と忠義をもって王に仕える。
それが代々、この家に刻まれてきた家訓である。
王都の貴族街でも、その名はひときわ尊ばれていた。
幼いころから魔導の才に恵まれたレイは、王立魔導学院に入学して以来、常に首席の座を譲らなかった。
学問にも剣にも秀でた若き天才。
その姿は「王国の希望」と讃えられ、誰もがその将来を疑わなかった。
だが、運命というものは、いつだって静かに、そして容赦なく人の歩みを狂わせる。
魔王討伐――それは、王国の命運を懸けた戦いだった。
レイは最前線に立ち、命を削るようにして剣を振るった。
仲間の血にまみれ、魔力の奔流に身を焦がしながらも、彼は最後までその剣を手放さなかった。
そしてついに、魔王の心臓を貫いたのだ。
だが、その功績は、聖騎士団長ルーク・ドレイヴンの手によって奪われた。
「討伐の指揮は私が執った。魔王を倒したのも、私の剣だ」
王城の広間でそう言い放ったルーク・ドレイヴン侯爵家子息。
その言葉の端々には、確信と傲慢が滲んでいた。
さらに、レイが王命によって王女フェリシアの婚約者に選ばれていたことも、ルークには我慢ならなかった。
自分のほうがレイよりも爵位が上であり、王配にふさわしいと、彼は疑いもしなかった。
そう呟いたルークの目に宿っていたのは、嫉妬と焦燥。
それは、彼の中にくすぶる劣等感の焔を、より一層強く燃え上がらせる火種となった。
かつての魔物討伐で、レイが功を立てたときもそうだった。
彼はいつも、ルークの思い描く『越えてはならない壁』を、いとも容易く越えていく。
そのたびに、ルークの心の奥底には黒い影が落ちていった。
討伐の旅の途中、ルークは各地の村娘に身分を盾に関係を迫った。
貴族の名をちらつかせ、断れば村に害が及ぶと脅すような真似もした。
それを咎めたのが、レイだった。
「騎士の名を汚すな。お前の振る舞いは、剣を持つ者の恥だ」
その言葉に、ルークは何も言い返せなかった。
ただ、去っていくレイの背を見つめながら、静かに拳を握りしめていた。
――お前のような下者が、俺の邪魔をするな。
その憤怒が、すべての始まりだった。
それは嫉妬でも、怒りだけでもない。
もっと冷たく、もっと深い感情。
人が人を憎むときに生まれる、底知れぬ闇。その闇は、やがて王国の未来を飲み込もうとしていた。
* **
魔王討伐から帰還したレイ・ヴァン=クローディアを待っていたのは、歓喜でも、栄誉でもなかった。
王女フェリシアからの――婚約破棄の宣言だった。
「あなたは討伐のさなか、女遊びに現を抜かしていた。 魔王と通じて、不正に魔力を得ていた。 王国を転覆させようとしていたのよ」
その言葉は、冷たく、鋭く、まるで刃のようだった。
レイはただ静かに、その刃を受け止めた。
反論も、問いただすこともなかった。
その瞳に宿っていたのは、理解ではなく
――深い哀しみだった。
フェリシアは、もともと人にちやほやされるのが好きな性格だった。
王女という立場に甘え、周囲の賞賛を浴びることに慣れていた。
だが、レイは魔物討伐や剣の修行に明け暮れ、婚約者である彼女を顧みることがほとんどなかった。
そんな心の隙に、ルークの甘言が忍び込む。
「あなたには、もっとふさわしい相手がいる。 あなただけを思い、王国の未来を担う者と、並び立つべきだ」
その一言が、フェリシアの胸に甘い毒のように染みこんだ。
やがて彼女は、レイとの婚約を疎ましく思うようになり、代わりにルークとの結びつきを望むようになった。
レイは、彼女にとって邪魔な存在になったのだ。
だが――フェリシアの告発は、単なる感情の発露ではなかった。
それは、周到に宰相グランツによって仕組まれた罠だった。
・ルークや仲間の騎士たちによる偽りの証言。
・魔王との密通、魔力の不正取得、王国転覆の陰謀
――すべてが、巧妙に編まれた虚構だった。
仲間の騎士たちも、王女の一夜の相手であり、買収は容易だった。
その証言は、金と欲にまみれた、薄汚れた嘘にすぎない。
王女の言葉に、宰相グランツとルークがさらに証言を重ねる。
王城の広間は、最初こそ冷たい沈黙に包まれていたが、やがて罵声と怒号が渦巻く修羅場となった。
「クローディア騎士家の名に泥を塗った罪人め!」
民衆は石を投げ、貴族たちは掌を返した。
かつて『王国の希望』と呼ばれた青年は、いまや「裏切り者」として嘲られる。
レイは爵位を剥奪され、王都から追放された。
その背に、誰ひとり声をかける者はいなかった。
――ただ一人、彼の名誉を信じる者を除いて。
* **
命を狙われながらも、レイ・ヴァン=クローディアは生き延びた。
王都を追われた彼は、身を隠すようにして、辺境の地へと辿り着いた。
地図にも載らぬ寒村。風は冷たく、空は灰色に沈み、人々は互いの顔を見ずに暮らしていた。
そこに、ひっそりと口を開ける洞窟があった。
レイは、剣を手にその闇へと踏み入った。
魔物が巣食うダンジョン。
命を削る修行の場。彼は剣を振るい、魔導を研ぎ澄ませ、ただ黙々と己を鍛え続けた。
そして最終層で、彼は古代の魔物を討ち果たす。その奥で見つけたのは、長い年月の果てに封じられていた一冊の書
――禁術の書であった。
それは、魔力に頼らぬ真の魔導体系。
かつて失われた叡智の結晶だった。
血と汗にまみれた日々の果てに、レイは新たな力を得た。
けれど、その力を誇ることはなかった。
彼の胸には、王都での裏切りの記憶が、今なお深く刻まれていたからだ。
そんな彼の心を支えたのは、学院時代の友人であり、密かに彼を想い続けていた男爵令嬢――アメリア・エルフォードだった。
アメリアは、王都の華やかな貴族社会に身を置きながらも、どこかその空気に馴染めない女性だった。
身分の違いを理由に想いを告げることはできなかったが、レイが追放されたその日、彼女だけは、彼の無実を信じた。
「あなたがそんなことをする人じゃないって、私だけは知ってる」
その一言が、レイの心に小さな灯をともした。暗闇の中で唯一、消えずに燃える光だった。
* **
やがてアメリアは、王宮の侍女として潜入する道を選ぶ。王女フェリシアの私室に仕えながら、彼女の裏の顔と不正の証拠を集めるために。
従順な侍女として振る舞い、密かに文書を写し、会話を記録し、隠された扉の先に耳を澄ませた。
その日々は、氷の上を歩くような緊張の連続だった。けれど、彼女は恐れなかった。
信じる者のために、ただ一人で動き続けた。
やがてアメリアは、王女とルークの密通、騎士団の乱れた関係、宰相グランツの魔族との裏取引、そして
――レイの功績を奪った一連の陰謀。それらすべての証拠を手に入れる。
しかし、真実に近づくほどに、彼女の影は狙われた。
誰にも打ち明けられぬ孤独の中で、アメリアはただひたすらに、愛する者の名誉を取り戻そうとしていた。
その静かな覚悟が、やがて彼女の運命を変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。
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