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器 -UTSUWA- 壊れゆく心、芽吹く意思  作者: 猿吉


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第三十一章 行く先

澄影の場合


炉の音は、すでに始まっていた。

低く、長く、地の底を擦るような音。

耳で聞くというより、骨で感じる。


澄影は、それを「異常」とは捉えない。

兆候だ。

積もりすぎた結果が、形になっただけ。


空気が、皮膚にまとわりつく。

湿り気はない。

ただ、逃げ場がない。

呼吸をするたび、胸の内側に圧が溜まる。


――間に合う。


そう判断する。

希望ではない。

計算だ。


これまで何度も見てきた。

恐怖が溜まり、怒りが溜まり、

誰かの「こうあってほしい」が、力を持ちすぎた末路。


炉は、応えているだけだ。

人の声に。

人の欲に。


澪の姿が、脳裏をよぎる。

一瞬。

それだけで、十分すぎる。


切り離す。

今は不要だ。


守るとか、救うとか、

そういう言葉は、後からいくらでも付けられる。

今必要なのは、正確さだ。


神経が研ぎ澄まされる。

視界の端が削ぎ落とされ、

世界が一本の線に収束していく。


――感情を挟むな。


それは命令ではない。

自分に言い聞かせる、確認だ。


もしここで迷えば、

もしここで人であろうとすれば、

炉は、確実に壊れる。


澄影は、足を踏み出す。

躊躇はない。

それが、彼が生き残ってきた理由だった。



斎の場合


音が、変わった。


同じ轟音のはずなのに、

澄影が聞いているものとは、違う。

斎には、それが「声」に近く感じられた。


空気が震えるたび、

胸の奥がざわつく。

皮膚が、何かを拒んでいる。


――これは、ただの力じゃない。


炉は、反応している。

人の思いに。

数に。

重なりに。


澪の存在が、頭から離れない。

なぜ、彼女は壊れていない?

なぜ、あれほど近くにいて、存在し続けられる?


偶然ではない。

断じて。


焦げた匂いの奥に、

かすかな生の匂いが混じる。

終わっていない。

まだ、均衡がある。


――答えは、そこにある。


斎の喉が、無意識に鳴る。

緊張で、唾がうまく飲み込めない。


澄影のやり方は、早い。

正確だ。

だが、削ぎ落としすぎる。


久遠のやり方は、重い。

人を引き受けすぎる。

それも、危うい。


では、自分は何だ?


理解しなければならない。

止めるためではない。

次を生まないために。


炉が崩れれば、終わる。

だが、理由が分からなければ、

ただ、世界が滅びてしまう。


斎は、直感的にそうおもった。

歯を食いしばる。

怖い。

正直に言えば、逃げたい。


それでも、目を逸らさない。

観測者であることを、選んだのは自分だ。


――澪、君は何なんだ。


答えを失うわけにはいかない。

それが、斎にとっての覚悟だった。


彼もまた、炉へ向かって歩き出す。


◆◇◆◇


地の奥で、音が鳴っている。

それは揺れではない。衝撃でもない。

もっと近い。もっと生々しい。

内臓に直接触れてくるような、低く、鈍い轟き。


――来る。


そう思った瞬間、久遠はもう理解していた。

なぜこうなったのか。

なぜ止まらないのか。

なぜ、ここまで来てしまったのか。


問いは浮かぶ。

だが、答えはすでに胸の奥に沈んでいる。


自分は、知っていた。

最初から。


空気が、重く沈む。

吸い込むたび、肺が拒む。

焦げた匂いと、鉄の味が混じり合い、喉の奥に貼りつく。


足元の土が、わずかに震えている。

震源は遠くない。

いや、距離の問題ではない。

これは「世界そのもの」が、耐えきれなくなっている音だ。


――なぜ、こうなると分かっていて、止められなかった?


久遠は、心の中で自分に問いかける。

だが、その問いは責めるためのものではない。

確認だ。

自分が、どこで選び、どこで目を逸らしたのかを。


澄影は、正しかった。

迷わなかった。

感情を切り捨て、整えるべきものとして炉を見た。

それは間違いではない。


斎も、間違っていない。

理解しようとした。

理由を掴み、同じ悲劇を繰り返さないために。

それも、正しい。


それなのに――

それでも――


胸の奥が、焼ける。


澪の顔が浮かぶ。

怯えた顔ではない。

泣き叫ぶ顔でもない。

ただ、何も分からないまま、そこに立っていた顔。


守る、と言った。

救う、と言った。

だが、それは誰のための言葉だった?


――自分は、逃げていた。


影と向き合ってきた。

斬り、鎮め、終わらせてきた。

だがそれは、いつも「外側」だった。

世界の歪みを処理することで、自分の中の歪みから目を逸らしていた。


炉は違う。

これは、世界の奥だ。

人の願いが溜まり、恐れが積もり、

「こうあってほしい」という思いが、形を持ってしまった場所。


止められるはずがない。

壊れるまで、行くに決まっている。


轟音が、さらに低くなる。

音が消えかけ、代わりに圧だけが残る。

鼓膜が軋み、視界がわずかに歪む。


――崩壊だ。


暴走ではない。

制御不能でもない。

これは、終わりだ。


分かってしまう。

理解してしまう。

だからこそ、身体が動かない。


なぜ、未練を捨てきれなかった?

なぜ、花蓮の笑顔を、手放せなかった?

なぜ、「人でいたい」と思ってしまった?


答えは、残酷なほど単純だ。


人らしい心は、正しさを選ばない。

守れないと分かっていても、手を伸ばす。

失うと知っていても、立ち止まれない。


久遠は、息を吐く。

震える指先を、強く握りしめる。


――それでも、行く。


止められなくてもいい。

救えなくてもいい。

理解できなくてもいい。


ただ、最後まで、見届ける。

逃げずに、立つ。


地の奥で、炉が吠える。

世界が、悲鳴を上げる。


その音の中で、久遠は一歩を踏み出した。


人であることを、

最後まで、引き受けるために。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

応援いただきありがとうございました。来年も皆様にとって素晴らしい年になりますよう、お祈りしております。

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