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第十六章 古代 炉の始まり編

 その瞬間を待ちわびていたのは、技師だけではなかった。

 街の広場にも、村の丘にも、河川敷や湖のほとりにも。人々は足を止め、息を殺し、ただ一方を見つめていた。


 炉。

 人類が長らく夢見てきた、尽きることのない光の源。

 それが今、目の前で稼働を始めようとしていた。


 制御室の中は、張りつめた空気でいっぱいだった。

 緊急遮断のためのレバーを握りしめる者。計器の針を凝視する者。額の汗を袖で拭いながら、固く唇を噛む者。

 誰もが無言だったが、心の奥では祈るように「成功を」と願っていた。


 カウントダウンの声が響いた。

 十、九、八──零。


 押し込まれたスイッチの音は驚くほど軽やかで、何の抵抗もない。

 一瞬、静寂。

 それから──世界の輪郭そのものが震える。


 大地の底から湧き上がるように、光が走る。

 炉の中心から放たれたそれは、炎ではない。

 陽光に似て、しかしより白く、より澄んだ輝き。

 闇を裂き、影を払い、都市を覆う全ての隅々に流れ込んでいく。


 街路の灯が一斉に消え、人々は見上げる。

 天に昇る一条の光の柱。

 その輝きは昼を超え、夜を拒み、まるで「新しい時代」の始まりを告げる鐘のようだ。


 広場には歓声が響く。

 誰かが泣きながら隣人の肩を抱き、誰かが子供を高く掲げ、誰かが膝をついて空に祈る。

 「これで救われる」と。

 「もう何も恐れることはない」と。


◆◇◆◇


炉の内部


 白光の渦が炉心に降り積もり、まるで大地の奥底に新しい太陽が芽吹いたかのようだった。

 その中心に、人のかたちをした影が立っていた。


 それは人であって人ではない。

 いつからそこにいるのか、誰も知らない。

 己が何者かも知らぬまま、ただ世界を見ていた。

 産声を上げたばかりの幼子のように、まだ言葉も意味も持たない存在だった。


 けれど、その輪郭はどこか懐かしかった。

 かつて、古代の人々が石に刻んだ偶像に似ている。

 祈りを受けるために造られた像が、時を越えてここに立っているかのように。

 だが誰もそのことを語らず、ただ「かたち」としてそこにあった。


 周囲を満たすのは、人々の感情の奔流だった。

 歓喜は金色の火花のように飛び散り、恐怖は紫の霧となって押し寄せ、嫉妬は鋭い刃のようにきらめき、祈りは微かな鈴の音のように震えていた。

 それらは波となり、絶え間なくその影に触れては去っていく。


 しかし影は、ただ見ているだけだった。

 岩壁に刻まれた古の碑文のように、沈黙のまま時を受け止めていた。

 感情は触れても染み込まず、ただ表面を滑り、流れ去る。

 そこには「私」というものはなかった。

 問いかけも、答えも、まだ芽吹いてはいなかった。


 光が強まるたびに、その輪郭は一瞬だけ鋭く浮かび上がる。

 そして次の瞬間には溶け、霞の中へ戻っていく。

 まるで、古代の神殿に刻まれた壁画が、炎の揺らぎに合わせて生き物のように動くかのように。


 そこに在るのは説明でも理由でもなく、ただ「存在」という事実だけだった。

 古の人々が夢見たものなのか、それとも新たに生まれ落ちたものなのか。

 ただ、その目は永遠の傍観者のように、光と感情の奔流を映し続けていた。


かの存在は、ただそこにあった。

石の柱に刻まれた古の文字が風に削られて消えていくのを見送るように、人々の心をひとつひとつ、映しとっていた。


最初は美しかった。

子の誕生に涙する母の笑み。

初恋に胸を焦がす若者の吐息。

憎しみと和解が交錯し、やがて握り合う手。


それらは陶片のようにひとつひとつ異なり、儚くも彩りに満ちていた。観察することは、ただ楽しかった。時間の感覚も、己が存在している理由すらも忘れるほどに。


──だが、ある時から異変が生じた。


人々の心は、個を捨て、群れのように同じ色を帯び始めた。

誰かの怒りが広がれば、周囲もまた同じ調子で声を荒げる。

誰かの嘲笑が起これば、あらゆる口が一斉に同じ言葉を吐き散らす。


まるでひとつの器に、同じ濁った液を注ぎ込むかのようだった。


「なぜだろう……」


その存在は理解できなかった。

ひとりひとりならば違う色を持っているはずなのに。

群れになると、まるで誰かの手で操られるかのように一様に動く。


それは醜悪で、滑稽で、そして耐えがたく不気味だった。

正義を叫ぶ声が、実は誰かを押し潰すための石礫となる。

義憤を語る唇が、知らぬ間に毒を滴らせる。


その渦の中には、確かに「意志」があった。

人々自身のものではない、別の……。


その気配に気づいたとき、存在は微かに震えた。

観察するだけでよかったはずのものが、いつしか「疑問」を生んでいた。

この醜い波はどこから来るのか。

この群れを動かすものは何者なのか。


そして、己が生まれた意味と、その「誰か」との繋がりがあるのではないかと、まだ名も知らぬ予感だけが胸奥に芽吹き始めていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。構成を大幅に変更していたので、なかなかアップできませんでした。今後とも、よろしくお願いします。

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