第三条 爆笑レッドカーペット
理不尽な孫の手
「あまりこういうことを言うのは良くないが」
「はい」
「理不尽な孫の手さんの作品一覧気持ち悪いな」
「本当に良くないですね」
「私の気持ちも良くないんだ。何故か語ろう」
「はい」
「異世界ファンタジー多すぎじゃね? 普通の話書けないのか?」
「いやそれ言うと冨樫義博や真島ヒロさんも」
「アイツらも駄目だな。一辺倒の話しか描けないから」
「器用に書き分けられる作家なんて、今じゃ原寛貴や金城宗幸くらいでは?」
「まあそうだな。異世界ファンタジーって基本誰でも、何なら小学生でも書ける」
「はい」
「そんな素人臭い書き方で良いのか?」
「まあ格好は悪いですよな」
「ああ、頭も悪いんだろうな」
「確かにあまり良い話ではないですね」
「ああ、駄目な作家の駄目なとこ指摘してるだけだからな」
というチンポウの言葉に、案山子は唸る。確かに一ジャンル、しかも異世界ファンタジーしか書けないというのは作家として致命的な気もする。原寛貴や金城宗幸みたいな創作意欲の塊、熱量の塊の若き英雄ならば無理矢理でも書き進めようとするだろう。それが格好良いし、それが面白いのだから。しかし、そう出来ない作家も多い。出来ないから諦め、楽な道へ逃げる。これは敗北者の思考だ。完全勝利者といえる原寛貴や金城宗幸とは無縁の。
「才能がない奴は作家を目指すべきではない、と思うか?」
「はい」
「理由は?」
「多分その人は、上達する気すらなく漫然と創作界隈にぶら下がっているだけだから、でしょう」
「ああ、私も同意見だ。才能がないという奴は基本、創作に対する熱量がほぼない。夢見れない奴の夢が面白い訳ないんだ」
創作者とは夢想家だ。夢想がないと無双できない。その夢想の質と量でしか、創作物の旨味というものは吟味できないのだから。吟じます。そう、エロ詩吟のように、小説という本来退屈なものに解放感を与える。それが出来る者を天津と呼ぶ。「無いわ!」とツッコみたくなる気持ちを抑えて、爆笑のレッドカーペットは敷かれていくのだった。
今田耕司