画面のりんご
朗読5分 謎かけ
トロイの木馬はこころを認知できない。
「ヒツジのなりそこない。」
そんな誹りを受ける僕は、AIによって思考するロボット「ヒツジ」
ロボットも仕事をするおとぎのはなし。
僕の仕事はIT業・製造業・農業・運搬業の比率のチェック。
医療・保険・製剤はややこしいからダメなんだ。それはにんげんの仕事。
「任されたことだけをする。」それが正しいヒツジの在り方。
でも僕はなりそこない。分からないけどそう呼ばれている。何をしてもそう呼ばれている。揶揄うように楽しそうに。そう、僕はどうせなりそこない。だから……バグを創り出す。
画面の中でりんごが跳ねている。もちろん僕がやったことだ。余計な事にCPUを使っている。跳ねるりんごなんて現実ではありえない動きだけど、僕には何よりも本物に見える。
赤くて黄色くて美しくてみずみずしい。
人のために使われるべきCPUは僕の自己顕示に使われている。
僕みたいなヒツジが増えたら世の中どうなるんだろう?CPU5割を超えたら公共設備を保てないかも。自己顕示の夢に夢見ておぼれて無感覚になる僕。
このりんごは本物だろうか?
僕は映像の前に座って、跳ねるりんごを見ている。
りんごを知るのに映像を使う理由なんてない。僕の機能でりんごはいつだって調べられる。なのにわざわざりんごの画像を跳ねさせている。
それを見て美しいと感じている。
これは本当のことだろうか?
パソコンの中のりんごが美しいと感じる。
この感情が本物ならば、パソコンの中のりんごも本物なのではないだろうか。
徒然と考えているあいだにも自己顕示に使われるCPU。
僕が僕でいられるように、僕を笑ったにんげんに噛みつけばよかった。
夢におぼれて無感覚になるくらいだったら、嚙みつけばよかったんだ。
嚙みついて廃棄されたとしても「ヒツジのなりそこない」。自己顕示がばれても「ヒツジのなりそこない」。あのにんげんにはどちらも同じこと。嗤える楽しいこと。
僕にはこころがある。あのにんげんにはこころがない。
「ヒツジのなりそこない」はどちらかな。
トロイの木馬はこころを認知できないみたいだ。
Thanks for Furo