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敵の家庭の話~惑星モモルロンガの記憶素子より採録

 宇宙海兵隊の機動歩兵ジョニー(仮名)は目の前で宇宙戦艦が吹き飛んだのを見て、真っ先に戦艦の建造費を計算した。数学好きの学生だった頃の名残だ。彼の計算だと戦艦一隻の建造費で彼の生まれた植民惑星で賄われる年間予算の約四パーセントが消える。惑星防衛予算の四パーセントではない。全予算の四パーセントだ。それが一瞬で消えた。眼下の惑星を支配する炭素骨格生命体の波動レーザーにやられたのだ。四散した鉄屑がジョニーの乗り込む強襲揚陸艦の周囲に張り巡らされた重力波干渉壁にぶち当たり、そのたびに極彩色の光を放って消えた。何もかも消える。次に消えるのは自分の命だと彼は思った。

 死ぬ前に敵を殺す。それがジョニーの願いだった。植民惑星のニュー・ブエノスアイレス市で平和に暮らしていた彼の家族は宇宙の彼方から飛来した謎の知的生物――後に炭素骨格生命体と判明した――の核攻撃で街の一千万人の住人と共に水蒸気と成り果てた。

 小惑星帯へ修学旅行に出かけて難を逃れたジョニーは高校卒業を待たずに宇宙海兵隊へ入隊した。家族の仇を取るのだ。それ以外に自分は一体、何をすればいいというのか! 過酷な訓練を乗り切れたのは、その思いがあったからだった。激しい戦いで正気を失わずに済んだのも、強い復讐心のゆえである。

 今ジョニーは強襲揚陸艦の降下デッキから眼下の惑星を睨みつけている。呼吸可能な大気と水のある惑星の表面に白い雲と青い海が見えた。過ごしやすい惑星なのだろう、と彼は考えた。居住不能となった故郷の惑星も、昔は綺麗だった……と失われたものの大切さを噛み締めていたら、出撃命令が出た。

「第六海兵隊、降下開始」

 コンピューターの命令を同時にジョニーの体は宇宙空間に放り出された。滑らかに伸縮する触手と硬質な本体は共に強化戦闘服で覆われている。大気圏突入時の高温に耐える強化戦闘服は、その触れ込み通りの性能を発揮して惑星2024/05/06モモルロンガ18:46に降下する第六海兵隊を守った。敵の高射砲からも、ある程度は守ってくれた。目標地点への降下に成功した第六海兵隊の兵員は約八割だったが、それは事前の予測通りだった。

 ジョニーの所属する連隊はアレクニドと呼ばれる蜘蛛に似た八足の知的生物を主力とした連隊と共同で敵の拠点を攻撃した。アレクニド連隊は無類の強さを発揮して二足歩行の炭素骨格生命体を殺戮した。だが、それは敵の罠だった。逃げる敵を追い敵陣深くへ切り込んだら逆に包囲され、四方八方から攻撃されたのだ。救援を要請されたジョニーの部隊は核融合ミサイルと波動レーザーの飛び交う中を前進した。

 甲殻機動軟体生物とジョニーたちは呼ばれている。過酷な宇宙環境に適応するため進化した生き物だったが、そんなジョニーたちにとっても、その戦場は過酷すぎた。戦死者が続出したのだ。こちらもお返しに敵を殺しているから、おあいこだが……それにしたって、死にすぎた。最後まで戦場に残っていたのはジョニーたちの部隊の十数人だけだった。無傷な者はいない。ジョニーは比較的、軽傷だった。それでも強化戦闘服は壊れ、厚い装甲の裂け目からジョニーの青い血と内臓が溢れ出た。それを触手で抑えているうちに、後続部隊の降下が始まった。後続部隊の衛生兵は――ジョニーの部隊の衛生兵は地表へ降りる前に死んだ――ジョニーの傷を見て「唾をつけときゃ治る」と言った。ご挨拶だな、とジョニーは思ったが、その言いつけに従い無数の牙のある口から傷口に唾を垂らした。そのうち傷の痛みが軽くなってきた。強靭な体力を持つよう進化した先祖に感謝しつつ、ジョニーは敵のいた拠点の捜索活動に加わった。敵である炭素骨格生命体には謎が多い。戦争開始から十年になるが、未だに正体不明なのだ。入手できる情報は何でも入手し、敵の全容解明に努めなければならなかった。

 惑星2024/05/06モモルロンガ18:46で軍が採取した記憶素子から、炭素骨格生命体に関する情報がまた一つ追加された。以下に記す。


★ 惑星2024/05/06モモルロンガ18:46採集データ第854210号


 子供を幼稚園に連れて行くのは大変だ。

「ママがいい! 幼稚園イヤ! 行きたくない! おうちにいる!」

 毎朝ずっと駄々をこねられるから、朝から疲労困憊だ。無理やりに連れて行くこともあるが、釣り上げられたサメより暴れられるので怪我しそうになる。面倒になると二世帯住宅の母に任せて出勤する。そのたびに母から言われた。

「ホント、アンタにそっくりだよ。アンタも小さい頃、こんなだった。お母さんと一緒にいる、幼稚園に生きたくない! って泣いて大騒ぎ。こっちが泣きたくなったわよ毎朝。男の子は皆ママっ子だって言うけど、それにしたって酷かったよ。毎朝毎朝、こっちが一番忙しい時間にわ~わ~泣いてさあ……ちょっとアンタ、人の話ちゃんと聞きなさいよ。アンタのことなんだから」

 母の話が始まると長いので、私は早々に立ち去る。覚えていない昔の話を延々と聞かされるのはごめんだ。昔はそうでもなかったが、同居していた父が亡くなってから、話がくどくなった感じだ。ちょっとかわいそうだけど、こっちも忙しいんで、すまん、お母さん。

 そんな状況が、いつの間にか良くなった。夏前だったかな? 息子のわがままに付き合いきれなくなった私は、母に子供を幼稚園に送ってくれるようお願いするようにしたので――帰りは妻が拾って帰る――時期を特定できない。母に訊ねると、また昔の話をされるので、聞けない。

 これについては私より妻の方が詳しかった。いつもは私より早く出勤する妻が、その日は遅く出るということで、私は彼女に息子を任せて出勤した。それで妻が息子を自転車に乗せて――私だと暴れるので無理――幼稚園に登園した。嫌がる子を自転車から無理やり下ろし、玄関先で待っている幼稚園の先生に渡すのだが、その先生が新顔だった。若くて可愛らしい女の先生で、彼女を見た途端、息子は泣くのをピタッとやめた。そして、その日からは素直に登園するようになったとのことである。

「その先生が、凄く気に入ったみたい」

 妻は、そう言って笑った。私は、その先生が気になった。若くて可愛らしい新任の先生に興味を持ったことは妻に知られないようにする。当然のエチケットだ。

 その先生の顔を見る機会は、なかなか巡って来なかった。母にお願いした息子の登園を私がやればいいのだが、母はいちいち話がくどいので、話を切り出しにくい。息子が書いた●●先生の似顔絵を見せてもらったが、丸に手足が生えた生き物だった。母に用事があるとき、私が子供の登園を担当した。しかし、そんなときに限って、おばちゃん先生――私ではなく、息子が言うのだ、おばちゃん先生と――たちの当番で、噂の女性は現れない。お遊戯会や運動会があるから、その時に見られるかな! と期待していたら、新型コロナのせいで中止となった。

 そして季節は巡る。年少さんだった息子は年中さんになった。担任の先生が、息子が大のお気に入りの●●先生とのことで、もう大はしゃぎである。私も嬉しかった。彼女の顔を見るチャンスは、もう間もなくだと思ったからだ。

 遂に、その時が来た。運動会のお知らせである。その日は絶対に休みにするぞ! と固く心に誓っていたら、息子に言われた。かけっこの練習をしたいというのである。

 これは珍しいことだった。息子は私に似て、運動が苦手だ。かけっこは遅い。その自覚があるようで、かけっこを含む運動全般はやりたがらない。妻は運動好きで、習い事でスポーツをさせたがっているけれど、当人がやる気を見せないので断念していた。

 私は息子に訊ねた。

「ママにお願いした? ママの方が、走り方を教えるの、上手だよ?」

 息子は首を横に振った。彼が話す内容を整理して記す。私の妻はスパルタ式の特訓を息子に課してしまう傾向にあるようだ。上手くいかないと怒るので、ママには頼みたくないと涙ながらに言われ、私はかけっこの練習に付き合うことを決意した。学生の頃にやってから何のスポーツもやっていないけど、幼稚園児のかけっこの練習なら、何とかなるだろう。

 その考えは甘かった。公園で息子と走り回って、帰宅したらバタンキューである。翌日には全身が筋肉痛だ。そのことを母に話したら「年を取ると次の日ではなく次の次の日に筋肉痛になるから、お前はまだ若い」と言われた。あまり嬉しくなかった。息子は上機嫌だった。運動会の練習で、何と一番になったというのだ。これは凄い、と素直に驚き褒めてやると、息子は興奮し「一等になったら●●先生に褒めてもらう」と言い出した。父に褒められるより●●先生に褒められる方が嬉しいようだ。ちょっと嫉妬する。

 そんな私を見て、妻は笑った。意味ありげな笑みが気になった。体育会系で、いわゆるサバサバ女子タイプなので、そんな含み笑いは珍しい。何なのかと尋ねると、母から聞いた私の幼稚園時代の話を始めた。

「○○君――妻は私と二人だけのとき、二人が知り合った小学生の頃と同じ呼び方で呼ぶ――は、自分が幼稚園に進んで行くようになった理由、覚えてる?」

「ぜんぜん。すっかり忘れた」

「お母さんから聞いたよ」

 私は幼稚園の年長さんのお姉さんを好きになり、彼女に会うため幼稚園に通いたがるようになったそうだ。毎朝五時に起きて両親を叩き起こし、幼稚園に連れて行けと言うものだから、酷い寝不足になったらしい。

「そんな話、知らん」

 そう言う私に妻は言った。

「××君――息子の名前だ――も、いつか初恋の先生のこと、忘れちゃうのかな?」

「初恋じゃないって。まだ幼稚園児だよ。恋も愛もないよ」

「いや、あれは初恋だよ、絶対そうだよ」

 やけに自信たっぷりだった。どうしてなのか、と聞く前に妻は喋り出した。

「君たち親子、凄く似てるもの。私、君たち親子のこと、誰よりも知っているから分かる。あれは恋よ。君もそうだったから分かる」

 否定するのも何なので私は黙った。これも穏やかな毎日を過ごすためのエチケットだ。

 さあ、運動会本番の日! の朝に息子は熱を出した。ちょっと興奮しすぎたようだ。無念の結果となり、彼は病床で悔し涙を流した。私も悔しかった。息子の晴れ姿も、●●先生も見られなかったからだ。

 それからしばらくして、息子はまたも涙を流すことになった。大好きな●●先生が結婚のため退職することになったのだ。それを知ったときの息子の落ち込みようと言ったらなかった。声をかけにくい雰囲気が漂っていた。どうしようかと思っていたら妻が「●●先生にさようならのお手紙を書こう」と言い出した。その頃、息子は文字やお手紙に興味を持つようになっていたのだ。妻と息子は早速お手紙を書き始めた。●●先生が退職する日に、息子が書いた人生初の手紙を渡したそうだ。先生は泣いて喜んでくれたと息子は悲しさと誇らしさの混ざった顔で私に報告した。

 息子が寝てから妻も私に報告した。

「お母さんに聞いたよ。大好きだった年長組の女の子が卒業して学区が違う小学校へ行くから、もう会えないって知って、もう絶望の表情だったんだって。そのとき、亡くなったお父様が、お姉さんへのお別れのお手紙を書くよう言ったんだって。それで、二人で一生懸命に書いたんだって。その話を聞いていたから、××君にお手紙を書くように言ってみたの」

 死んだ父親が、私のためにそんなことをしてくれたとは、知らなかった。いや、妻に言われるまで忘れていたのだ。私と父は、あまり仲が良くなかった。二世帯住宅も乗り気ではなかった。妻の勧めで決めた。子育ての支援が得られることを期待してだ。しかし、その時期は父が病床にあり、私の両親からの支援を得ることは無理だった。彼女が育児休暇を終え職場復帰する頃に父が亡くなり、現在に至る……なんてことを書いている間に、妻が第二子の予定について話し始めた。二人の間で棚上げになっていた問題である。妻はもう一人子供が欲しいと言っている。だが、妻には仕事がある。それに二人の収入で二人目の諸費用を賄いきれるのか、不安もある。

 そう言う私に妻は言った。

「私さ、もう若くないんだよね。急がないと駄目なの。若くて可愛らしい●●先生くらいピチピチしてたらいいんでしょうけど……ねえ、一つ聞いていい?」

「何なりと、どうぞ」

「●●先生、どうだった?」

「え」

「私は、そんなに美人だと思わなかった。若くて可愛いとは思ったけどね」

 若いには若いけど、それだけで、そんなに可愛くも美人でもなかったね、と私は言った。妻は私の顔をしばらくじっと見て、うんうん頷いた。

「そうだよね、そんなに可愛くもなかったよね」

 実は私は、若くて可愛らしい●●先生の姿を一度も見ることがなかった。その機会が訪れなかったのである。しかし、そんな機会が来なくても別に構わない。妻と息子と母がいれば、他の何も要らない。

 息子はこの春、年長さんになった。彼が大好きだった先生はもういないけれど、毎朝元気よく通園している。

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