02,食べ物の宿命
「ハァハァハァ……」
膝に手をつき、肩で息をする。全身汗でビショビショだ。顎先から汗が滴り落ち地面に染みを作る。私は息を整えてから顔を上げると口を開く。
「私の種族『クッキー・ガール』ってなに? 私いつの間に人間やめたの?」
『転生してからずっとです』
私は知らず知らずの内に人間を辞め、そんな可笑しな存在になっていたらしい──お菓子だけに。
だが不思議とショックはない。これもあまり人間を辞めた実感がない為だろう。
現に目に入る髪は黒髪だし、手足も人間のそれだ。これではピンと来ないのも無理はない。
「賞味期限って何?」
ステータスの一覧に『賞味期限』と言う項目があった。そしてそこには『残り六時間』と記載されていた。
『そのままの意味です』
まるで答えになっていない。
「私がさっき食べたクッキーの賞味期限って事?」
『そのクッキーではなく、別のクッキー、つまりマスターの事です』
嫌な予感がする。そしてこういう場合、大抵嫌な予感程よく当たるものだ。
「……その賞味期限が過ぎるとどうなるの?」
『賞味期限を過ぎると食べ物は食べ物としての価値を失います』
「それってつまり──」
『はい、マスターは死にます』
無慈悲な宣告を告げられる。
「……冗談だよね?」
『何故冗談を言う必要があるのでしょうか?』
「ならせめてもう少し気遣ってよ……」
『生憎私に『感情』はプログラムされておりません』
よくあるアンドロイド漫画みたいに一番重要な部分が削ぎ落とされていた。
「そ、そう。じゃあ話を戻すけど、私は後五時間しか生きられないって事?」
『はい、そうなりますね』
相変わらず他人事の様に言ってくる。
マジかよ。
セミだって地上に出てから七日は生きる。つまり今の私はセミ以下だ。
「幾ら何でも寿命短過ぎない? クッキーの賞味期限って普通、一ヶ月とかでしょ?」
小学校時代の渾名が『クッキー博士』の私にとって、この程度の知識は常識の範囲内だ。だからこそ先のアイ子の発言に対し疑問を抱く。
『それは未開封の場合に限ります。一度封を切ってしまえば、多くて数日が限度です』
「じゃあ私は本当に後五時間しか生きられないって事?」
『いえ、その限りではありません。マスターはクッキーであると同時に『プレイヤー』です。敵を倒し、経験値を取得し、レベルを上げる事で延命処置を施す事が可能です』
流石にそこまで鬼畜じゃなかったか……
ホッと一安心。だが文字通り一安心だけだ。先の質問に対する答えで新たなる疑問が浮上してしまったのだから。
「敵って具体的には何を指すの? 漠然とし過ぎててよく分からないんだけど……」
『生物全体を指します。生きとし生ける者全ての魂には多かれ少なかれ必ずや生体エネルギーが宿っていますから』
「つまり賞味期限切れになって死にたくなかったら、後五時間以内にその敵ってのを倒してレベルアップしろって事?」
『はい』
簡単に言ってくれる。するとその直後に『ぐぅー』と腹の音が鳴った。
体は正直だった。
腹が減っては戦はできぬ、か。丁度いい機会だ、試してみよう。
私は手の平を上に向け、固有スキル〈クッキー作製〉を発動する。すると手の平からプレーンクッキーが浮き出る様にして生み出された。私はそれを見て思わず笑みを零す。固有スキルの使い方が手の取る様に分かる──まるで最初から自分の手足の一部だったかの様に。だがそれを口頭で説明するのは難しい。『手足の動かし方を医学的に一から説明しろ』と言われて困るのと一緒だ。
「私はとうとうクッキーを食べる側からクッキーを作る側に回ったんだね。作り方は色々アレだけど」
出来立てほやほや。甘いバターの香りが鼻腔を擽り、食欲を掻き立てる。生地はじんわりと暖かい──いや、生暖かい──まるで私の体温の様に。
私はゴクリと喉を鳴らす。目がクッキーに釘付けになる。
日本では見慣れた素朴なクッキーも今の私には巨大なダイヤモンドに見える。
原材料は『私』だ。指に伝わる温かみが露骨に『原材料=私』を彷彿とさせる。
だが不思議と嫌悪感は抱かない──危機感も。このクッキーは安心安全だ。潜在意識がそう告げ、私の心に安心感を与えてくる。だからこそ私は迷いなくクッキーに齧り付いた。
──サクッ。
心地良い音と共に口内にバターの香りが程良く広がる。
「──美味しい」
ポツンと言葉が溢れた。
外はサクサク、中はしっとり。甘さも程良く丁度良い。口の中が幸せで一杯だ。心が安らぎ、頬が自然と緩む。
やっぱ疲れた脳には糖分が一番だね。
──サクッ。
口内のクッキーが無くなると口がクッキーを求めて自然と二口目に入っていた。
クッキーを食べる手が止まらない。私は無我夢中でクッキーを貪る。するとあっという間にクッキーは無くなってしまった。
今まではプレーンクッキーをただの素朴な砂糖菓子だと思っていたが、その認識は大きな誤りだった。Simple ・is ・Best。そんな初歩的な事に私は今更ながら気付かされた。
「プレーンクッキーってこんなに凄──あ」
『どうかしましたかマスター?』
「いや、今気づいたんだけどさ。今の私ってクッキーな訳じゃん? なら私がクッキーを食べたら『共食い』になるんじゃない?」
『世界には『共食い』をする生物は沢山いますし、一々気にする必要はありませんよ。それに『共食い』と言っても、所詮マスターが前世で沢山食べていたクッキーですよ?』
「まあ、それもそうだね」
私がそう納得した直後、お腹が『ぐぅー』と鳴った。胃袋が餌を乞う雛鳥の様に口を開け次のクッキーを催促してくる。いくら女子が『男子と比べて少食』とは言え、流石にクッキー一枚では物足りない。私の胃の許容量を満たすには後幾分かクッキーが必要だ。だが何の問題もない。足りないのなら、また生み出せばいい。今の私ならそれが容易だ。
「パンが無ければ、クッキーを食べればいいじゃない──ってね」
私は再び手の平を上に向け、先程同様クッキーを生み出し、齧り付く。
──サク。
バターの風味がくどくなく甘さも控えめの為、二個目でも胃もたれせずにペロッと平らげられた。
腹八分目にはまだまだ程遠いけど、これぐらいでいいかな。
私がそう判断するのにはある理由がある。現に先程からスキルを使う度に私の中から〝何か〟がごっそり抜け落ちる感覚があった。私の見立てではこの形容し難い〝何か〟は魔力だと思う。私の身体には魔力が通っている。スキルや魔法はこの魔力を使って発動している。『車』で言う『ガソリン』と同じ。つまり魔力は有限であり、無尽蔵に湧き出てくるものではない。だから不測の事態に備えて出来る限り魔力は温存しておく。
飽食の時代で生きていた私が、飢餓や餓死を心配する事になるとはね。
常に『小腹が空いている』状態で過ごさなくてはならないのは、正直言って苦痛だ。だがこの状況で無計画に好きな物を好きなだけ食べていたら、そう遠くない未来に先程の心配が現実になる。だから私は我慢する事を選択した。郷に入れば郷に従え、だ。それに今の状態は何も悪い事ばかりではない。満腹感は幸福感をもたらすと同時にマイナス効果をも生み出す。クッキーを満腹まで食べれば眠くなってしまう。そうなれば集中力がガクッと落ちて作業の効率が格段に下がる。
だからこれで良い。これで良いんだ。
私は自分に言い聞かせる様にそう言った。
「当面の目標は敵を倒す事だけど、水もいるよね。うん、いる、絶対いる」
糖分を摂取すれば自然と喉が渇く。本来クッキーは紅茶やコーヒーとセットで嗜むものなのだから。
まあこの状況じゃ紅茶は無理だから水で妥協するしかないけど。
だがその妥協にしたって一筋縄ではいかない。クッキーは生み出せても、水は生み出せない。それに人間は水を飲まなければ三日と持たない、とテレビで聞いた事がある。なら水の優先順位は敵を倒す事の次に高い。
「で、初期魔力ではクッキー二枚しか生み出せなのにそれでどれやって『敵を倒せ』って言うの?」
そこでアイ子に話を戻す。
『倒すしかありません』
どこまでも無慈悲な現実を突き付けてくる。
クッキーでどうやって殺せと?
クッキーの硬度では『鈍器』として扱うのは無理だ。かと言って素手で動物を殴り殺すのはもっと無理だ。人は『身体能力』と言う面では圧倒的に動物に劣る。だから人類は文明を発展させる事で動物に対抗し今の地位を築いた。文明の利器無くして動物に対抗する事は不可能だ。クッキーではどうやったって動物は殺せない。せめてナイフの一本でも欲しい。だが現状私が持っているカードはクッキー(それ)しかない。ならクッキー(それ)でどうにかするしかないではないか。
「人生ハードモード過ぎる……まあ、もう人間じゃないからクッキー生なんだけどね……」
泣き言を言ったところで何も始まらない。やるしかない。やらねば死ぬ。
先程言った様に当面の目標は敵を倒す事。何をするにしたってまず敵を倒さない事には始まらない。敵を倒さなければ脱水症で死ぬのを待たずして『賞味期限切れ』で死ぬ。世辞辛い世の中だ。街を探そう。
街中なら武器は売っている筈だし、生活園を築いている以上、確実に水がある。まさに一石二鳥。生憎現金は持ち合わせていないが、私は女だ。それは武器として使える。
女性が一人で街に訪れ、『その日の宿代にも困っている』と分かれば、同情して、多少のお金を恵んでくれる人はいるだろう。ならそのお金を使って武器を買い揃え、敵を倒す。当然この行為は『詐欺』に該当するが、今は緊急事態だ。道徳云々を言っていられる状況では無い。倫理観に囚われれば自分の身を滅ぼす。だから多少の悪事には手を染める。
「仕方ないよね。人間誰しも自分の命が一番大切だし? まあ今の私はクッキーだけど」
私はそう言って歩き出す。すると『サクサク』と言うクッキーを噛み砕いた様な心地良い音が背後から聞こえて来た。