17.出立までの一週間
国外へ向かうのに必要なパスポートを手に入れるべく、住宅地ばかりが広がる田舎の稗槻市から電車で揺られながら、都市部へとやってきた。
学校があるはずの平日の朝からこんな所にいるのは、パスポートを作るための窓口が平日の朝から夕方までしか受け付けていないので仕方なく、という経緯がある。
特に比良坂は今日まで無遅刻無欠席を貫いていたので、休むことに抵抗があったのだが……どうやら吹っ切れたのか、今はもうノリノリだった。
パスポートセンターはかなり混んでいて、軽く五、六時間は待たされそうな勢いだった。
今から申請すれば、ちょうど年末の長期休み前に受け取れるためか、思わず「――うっ」となってしまうくらいの人々でごった返している。
「あれっ、神凪さんも並ぶの? パスポート、持ってたんじゃなかったっけ?」
「ええ、まあ……」
「もしかして、有効期限切れ、とか……?」
「ち、ちぎゃっ! し、舌かんだぁ……」
「そんなことだろうと思ったよ。考えてもみれば、小さい頃に作ったパスポートがそのまま使える訳もないし」
比良坂が放った言葉に対する、舌を噛んでしまうくらいの焦り具合からして、どうやら図星だったらしい。
とはいえ、気づかずに出発当日を迎えていたら大変だったので、事前に気が付いておいて本当に良かったと心から思う神凪だった。ああは言ったが、一応確認しておいた昨日の自分を褒めちぎりたい気分だ。
出発は来週の土曜日――冬休み初日の便で向かう予定なので、パスポートの更新にかかる時間を考えれば、今から申請しないとまず間に合わないだろう。
順番待ちの間、ふと神凪は素朴な疑問を口にする。
「というか、飛行機代だけでアタシがいざという時にって貯めてた貯金、ほぼ全部飛んでいったんだけど……。アンタたち、旅費は一体どこから工面したの? ただの高校生が、いきなり出せる金額じゃないでしょ?」
彼女が高校生となり、一人暮らしを始めた頃から、日々の生活費から少しずつ積み立ててきた貯金だった。毎月の仕送り、実に四ヶ月分に値する金額だ。
「私と楓は、錬金術でなかなか稼いでいるからね」
「わたしは依頼も錬金術の練習になればってくらいで、そこまで稼ぐつもりはなかったんですけど……蓬先輩が『職人として、依頼は安請け合いしないこと。報酬がそのまま、錬金術師としての価値になるんだ』って言われて。それで色々こなしていたらいつの間にか貯金が大変なことに……」
「へ、へえ……」
どうやら錬金術師たちは順風満帆な様子だ。確かに、そこら中の素材を駆使してあらゆる物を生み出せる錬金術は、ある程度の実力さえあれば飛行機代なんて軽く稼げてしまう、そんな力ではある。
「じゃあ、許斐さんは? 魔法少女って、そんなに稼げるーってイメージが湧かないんだけど」
「ウチはね、魔法少女が所属してる団体から毎月活動費としてまとまったお金が入るんだ。ま、そこらのサラリーマンよりちょっと少ないくらいだけどね」
「ふ、ふうん……」
それでも高校生の学業と兼ね合いながらのアルバイトよりは多いだろうし、神凪の仕送りよりも確実に多いだろう。
そう考えると、神凪にとって、三人がどこか遠い存在のように感じてきてしまうのだった。
***
それから五時間。ずっと並んだり、受付に呼ばれるまで待ち続けていたのだが、話は尽きず退屈することなくあっという間に時間が過ぎ。
申請自体はトラブルもなく、スムーズに終わる。
「また来週、ここまで取りに来るんだったっけ?」
「そうね。受け取りは出発の前日……その日は終業式だし、午前で終わるはずだから今日みたいに学校を休むまでもないんじゃないかしら?」
かなりギリギリのスケジュールになってしまったのは、海外旅行の経験がない故に飛行機の座席を既に予約してしまったせいだろう。
一歩間違えばキャンセルしてしまう羽目になる所だったが、なんとかなっているのでまあ、良いのだろう。
「それじゃ、これからどこ行こっか?」
パスポートを手に入れ、重要な目的も果たしたところで――許斐がそう切り出した。
「カラオケとかはどうかな、今から時間を潰すのにはちょうど良い」
「あっ、いいね。ウチも久々に歌いたいしー、二人もそれでいい?」
七枝の出したアイディアにすっかりノリノリの許斐が、神凪と比良坂に訊く。
比良坂は「あまり歌うのは得意じゃないんですけど……がんばりますっ」と首を縦に振る。
だが、一方の神凪は――。
「楽しそうだとは思う、けど……これから何が起こるかも分からないし、今だって御削が大変な思いをしているかもしれないのに、こうして遊んでいても良いのかしら……って思っちゃって」
神凪の言葉を聞いて、一瞬その場が静まり返る。しばらくして、次に口を開いたのは許斐だった。
「神凪さん、あれからずっと休まずに調べ物をしてたでしょ。たまには息抜きも大事だよ? これから忙しくなるだろうし、こういう時こそ、めいっぱい楽しんでおかないとじゃないかなっ」
「そう……かしら」
ただただ必死で気にも止めていなかったが、思い返してみればここ半年はずっと、上鳴の居場所に関する情報を求めて、パソコンや本に齧りつく毎日だった。
今日くらい、少し羽を伸ばしたところで誰も咎めることはないだろう。それに、理由はそれたけではない。
「四人で親睦を深めるというのも大切だよ、私たちはこれから一緒に隠祇島で戦う仲間なんだし」
「……そうよね。今日くらい、久々に楽しんじゃおうかしらっ」
その言葉で神凪は少し肩の荷が下りたのか。
「あ、神凪さん。久しぶりに笑ってるのを見た気がするー!」
「ですねっ、最近、ずっとうわの空だったっていうか……」
「学校で見かけても、少し声を掛けづらい雰囲気はあった」
「えっ、そうだった? できるだけ、表には出さないようにって思ってたんだけど。ごめんなさい、みんな。こんなんじゃダメよね、アタシ」
だが、そう言う神凪の顔から、ネガティブな感情はすっかり消え去っていた。
上鳴の居場所らしき島が見つかって、来週には向かえるという事実も相まってのことだろう。
(そうよね。せめて、出発までの一週間くらいはこういうのも悪くない……わよね)




