10.用意周到で冷静沈着
「流石に私の足では間に合いませんでしたか……」
もう既に遠くに行ってしまった船を確認したのちに、携帯端末を凝視しながら、その巫女はしかし冷静さを欠くことなく言う。
画面には、この島の地図と、赤色である地点が示されている。たった今、出港してしまった船の位置だ。
昨夜。上鳴の部屋であの時、箱園がしたのは天津河神を自身の身体へと宿らせただけではない。
もたれかかって互いが触れ合っていたあの時、同時に、彼の髪の奥へと『発信機』を潜ませていたのだ。何を発信するかなど聞くまでもない。……この端末があれば、上鳴御削の位置は丸わかりだった。
「私に空を飛ぶ手段がない以上、直接追いかけるのは不可能ですが……構いません。結界を通ろうとすれば、結界の正反対側へと送られる。……船でどれだけ逃げようと、この結界の外へは出られません。どこまで船を走らせようと、何度結界を越えようとしても、辿り着くのはこの島のみ」
それこそ、結界の維持をしている《聖心蔵》を壊されるだとか、そのくらいのイレギュラーが起きない限りは心配ない。
この結界の内側を動き続けて、いずれは燃料が尽きて陸へと戻ってくるに違いないので、そこを待ち構えれば良いだけのこと。
地下との出入口で待ち伏せされていたさっきまでとは、すっかり立場が逆転していた。
この島も、人口千人程度の村が栄える程度には大きい島ではあるのだが、取り付けておいた発信機がある以上、彼がどこから上陸しようとしているかも丸わかりだ。
端末の画面を見れば、上鳴が乗っている船の位置を示す赤い点は、想定通り結界に向かって一直線に進んでいる。このまま行けば島のちょうど反対側から現れるはず。
「さて、私も反対側へ向かいましょう。結界の存在に気が付いて、船を一度降りる可能性が高いと睨んでおりますが……想定通りに事が運んでくれれば御の字です」
***
箱園は、島の反対側――このまま行けば船が上陸するであろう海岸までやってきた。
島自体はそこそこの面積があり、島の反対側まで走るとなれば結構な時間がかかってしまうが、結界の内部となる海域はさらに広い。いくら相手が船とはいえ、島の反対側へと到着する方が先だった。
海岸の脇に生える茂みへと、その身を隠しながら、箱園は海の先をじっと見つめる。
「船は――予想通り、こちらへ向かって来ているようですね。こちらの存在さえ勘付かれなければ、結界によって外には出られないと悟り、このまま上陸すると予想していますが、どうでしょうね」
遠くに見えていた船の影が、次第に大きくなっていく。どうやらこちらの存在には気づいていないらしい。
「勝負は決しました。さあ、大人しく《聖心蔵》の一部となって下さい、上鳴様――」
船は速度を落とさず、まんまと海岸に向けてやってくる。……だが、様子がおかしい。
そろそろ海岸に着くというのに、速度は落ちるどころかますます加速しているようにも見える。
そして、海岸へと乗り上げた船はそのままの勢いで――ガシャガシャゴトドゴオオオオオオオオオオオオッ! と思わず身を引いてしまう衝撃音と共に、少し先に生えていた大木へと思いっきり激突してしまう。
「なっ、何事ですか!? そ、そんな無茶苦茶な――」
この目で見る前から、船は見るも無惨な状態になっているのは間違いない。
急いで、ぐしゃぐしゃになった船の元へと向かう。あの中に上鳴がいたとすれば、きっと只事では済まないだろう。こちらとしても、怪我までは良いとして、命を落としてしまえば《聖心臓》の一部として使えなくなってしまうのだ。……だが。
「――居ない?」
船の中に乗り込んで、あちこちを探してみるが……やはり彼の姿はどこにもない。
しかし、代わりに――箱園は、たまたま『あるモノ』を見つけてしまう。それは、落ちていると分かっていないと見逃してしまいそうなほどに小さな機械だった。見つけられたのは奇跡と言っても過言ではないだろう。
当然、彼女はこの小さな機械を知っている。夜、上鳴の髪の中へと忍ばせておいた発信機、そのものだったからだ。自らの手で取り付けた物を間違えるはずもない。
「……なるほど。まんまと嵌められてしまった訳ですか」
無機質で、冷淡な――それでいてどこか悔しさも滲んだような声で、箱園はそう吐き捨てる。




