7.裏切り、それ以前に
「はこ……ぞの、さん?」
「《聖心臓》の中に入って頂くことで、この島の結界は上鳴様の性質――ファンタジーを惹き寄せる力を得られます。これが貴方にしか出来ない――《聖心臓》と一体となって島の『王』になるという使命です」
箱園は、さっきまでと変わらない平坦で無機質な口調なのに、上鳴にはまったく別物の、とてつもない恐怖と冷酷さがひしひしと感じられた。
走る痛みに耐えながら、なんとか立ち上がろうとした所をもう一撃。その巫女による、強烈な蹴りが横から腹部へと叩き込まれる。
再び地面へと仰向けに倒れた上鳴は、絞り出すような声で。
「く、くそ……ッ、一基、力を貸して、くれ……」
その声に、呼ばれた本人は答える。だが、それは肯定ではなく。
『すまないな、御削。残念ながらオレはもうお前の身体の中には居ないんだよ』
「は……?」
訳も分からず聞き返す上鳴へ、その答え合わせをするかのように。その瞬間、白い翼が大きく広げられる。
ただし、それが現れたのは――巫女、箱園紗々羅の背中からだった。
「い、いつの間に……!?」
『御削と箱園紗々羅。二人が互いに触れ合っていた時だぜ。もう大人しく諦めろ、御削』
そんな瞬間は――あった。きっと昨日の夜、箱園が寝ぼけて部屋までやってきたあのときだろう。
「俺は、まんまと騙されてたって訳か。天河にも、箱園にも」
「いえ、上鳴様は勘違いをしておられます。私も天津河神様も、嘘は一切吐いておりませんので」
この状況で何がだと言い返そうかとも思ったが、箱園が続けて話そうとしていたので上鳴はぐっと飲み込んで、耳を傾ける。
「この国の『王』に据えるというのはというのは間違っていませんよ。この島での『王』とは、『この島自体』なのですから。上鳴様はこの隠祇島という巨大な生命体の一部となり、上鳴様の性質も継承し――王として、これから永遠に『役目』を果たして頂きます」
「この島が生命体、か。まあ『心臓』があるんだもんな。確かに違和感もない……なんて、ちょっと屁理屈な気もするが」
あの巫女だけでも、かなり戦闘は手慣れているようで厄介なのに。そのうえ、以前堕天使と、まさに別次元の戦いを繰り広げていた『天使』までもが向こうに付いてしまった。……上鳴は、完全に手詰まりといった状況だった。
不本意ながら、もう彼にはこの島の一部として、王としての役目を果たすしか選択肢は残されていないらしい。
その道が良いか嫌かで聞かれれば、当然後者だ。しかし、完全に箱園に対して。そもそも大前提として、天河という存在に対して、すっかり警戒を解いてしまっていた自分が招いた結末でしかない。
だが、それ以前に――。
「ああ、そうだった。全部俺が悪いんだ。あの時、麗音の左腕を奪ってしまったという事実から逃げずに、ちゃんと向き合っていれば。そして何よりも」
上鳴は、少し前に神凪と交わしたある会話を思い出す。それは、数日ぶりに行った喫茶店で交わした内容だった。
『御削。アタシはね、色々とトラブルに巻き込まれたりもするし、決して穏やかとは言い難いけど。でも、そんな今の日常に結構満足しているの。これ以上なんて求めていないし、御削が体を張って、世界について首を突っ込む必要なんてない。この日常から、御削が離れていくのはイヤ。……これがアタシの、個人的な意見』
『……そっか。変な事を聞いちゃってごめん、麗音。もう迷わないよ』
彼は確かにそう言った。はずだった。
「一時の感情に流されず、麗音との約束をちゃんと守っていればッ! それだけでこんな結末は変えられたはずだったんだッ」
『だが、御削。箱園紗々羅の言う通り、永遠の安寧を目指し、まずは不安定要素であるファンタジーを束ねるという目的に嘘はない。それがお前も望んでいた事じゃないのか?』
「……悪い、天河。俺はどこまでいっても『普通の高校生』なんだ。その目的が達成されて、麗音の身にこれ以上何も起こらない世界になるというのなら、俺の命くらい安いものだって思えるよ。でも、最後に――麗音の腕の事。それを見て、現実から目を背けてしまった事を謝らずに、永遠にこの島の一部になって逃げるなんて、そんなのは嫌なんだッ!!」
『下らない。その腕のことだって、相手が一般人だと油断していた神凪麗音の自業自得だと聞いている。御削、お前が気負うことじゃないと思うんだけどよ』
天河の、その言葉を聞いて。上鳴の中で、プツリと何かが切れる感覚に苛まれた。
「……お前、今なんて言った?」
『言葉通りだよ。二度言わないと分からないか、御削。悪いのはお前じゃなく、油断していた神凪麗音の自業自t――』
「――天河あああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァアアアアアッッ!!」
自分がどうこう言われるのは正直どうでもいい。だが、だが――神凪の事が自業自得だと? 彼女が腕を失くしてしまったのは、無謀にも突っ込んで無様にやられてしまった上鳴を助けるためだ。
それを、部外者の天使如きが評価を下すな。お前に何が分かるというのか? ……そんな気持ちが上鳴の中で溢れ出し、気づけば『普通の高校生』を超えた、音速にも匹敵するスピードで天使を宿す巫女の元へと走り出していた。
その目は赤く染まっていて、身体中が焦げたような黒と流血の赤によって染められて、浮き出た血管がドクンドクンと気味悪くリズムを刻む。かつて、エルフや堕天使とも渡り合った、狂気を纏いし姿へと変貌してしまっていたのだった。




