15.現実に絶望し、逃避した先で
次に上鳴が明確な意識を取り戻したときには、どこかの病院、その病室の脇にあるイスへと座っていた。どうやら無意識のうちにここまで来て、すっかり眠ってしまっていたらしい。
窓の外はすっかり真っ暗で、どうやら今は夜らしい。病室の照明が普通に点いていたので、そう遅い時間帯でもないのだろう。
「ああっ、御削! 目が覚めたのね。その様子から見るに、元に戻ったみたいだけど……」
「麗音? 俺は、なにを……」
まだ記憶があいまいだったが、やがて思い出し、頭の中でその出来事を理解する。自分がまた、神凪の血に触れた時の、あの状態になってしまっていた事を。
「アタシが油断したばかりに、また御削には無理をさせてしまったわ。……ごめんなさい」
「いや、俺の事はいいんだ。それより麗音の方は怪我、大丈夫なのか?」
まだ多少気分の悪さはあるが、それ以外は特に痛い所もない。だが、彼のまだ整理がつかず曖昧なその記憶が正しければ――神凪は、あの爆発を間近で受けてしまったはず。
「ああ、流石のアタシもあれは堪えたわよ。本来なら即死だったんでしょうけど、これでも《竜の血脈》を継いでるから、そう簡単に死にはしないわよ」
「そ、そうか。入院しているって事はやっぱり……」
「流石に無傷とはいかなかったけど。まあ、大した怪我ではないわよ?」
「……本当か? 麗音の事だ、ちょっと無理してるんじゃないか?」
かなりの大怪我でもきっと彼女は、心配させまいと隠し通そうとするだろう。
それに、今はもう五月。そもそも病院という建物自体がそう寒い場所ではないのに、病室のベッドに備え付けられた毛布を首元までかけているのがまた怪しい。
そもそもこの部屋自体がちょっと高めの室温に設定されているのか、上鳴ですら少し暑いと思っていたのに、さらに毛布をあんなにガッツリと被ればきっと、汗がだらだらになるくらい暑いに違いない。
まさか、そこまでして隠したい傷なのだろうか? 気になった上鳴は。
「その毛布の下。……何か隠しているみたいだけど」
「え、ええっ!? そ、そんなことは――あっ」
明らかに動揺して、さらに毛布を深くかぶる為に持ち上げようとした神凪だったが、慌てた為か思わず、その手が離れてしまう。
隠すように被っていた毛布がひらりと落ち、その中が露わになる。……上鳴は、戦慄した。
「れ、麗音……? おい、なんで。どうして――」
この目がおかしくなったのかと思った。だが、何度見てもその光景は変わらない。
口にするのを躊躇してしまう。言葉にすれば、その信じがたい光景を認めてしまうようなものだったからだ。
だが、それにしても。直接本人へ聞かずにはいられない。
「どうして――腕が、ないんだよッ!?」
「あ、その……隠すつもりはなかったんだけど、まだ話す勇気がなかったっていうか……」
布団が落ちて、露わになった神凪の身体。その左肩からその先までがぽっかりと、失われていたのだった。
「どうやら腕ごと吹き飛ばされちゃったみたいで。御削が拾ってくれた腕と繋ぎ合わせようとしてくれたらしいんだけど、やっぱりダメだったって」
「そんな、嘘だ。嘘だと言ってくれ、麗音。これは趣味の悪いドッキリだったって。だって、そんなバカな事――」
「ま、受け入れるしかないわよね。吹っ飛ばされたのが右手じゃないだけまだマシよ、アタシ、右利きだから」
この目で実際に見た今でも、神凪の左腕が失われたなんて信じられなかった。
「……ごめん。ちょっと外、走ってくる」
「え? ちょっ、御削!? 待って――」
そう言い残すと彼は、病室をそそくさと後にする。
わがままかもしれないが……上鳴は一人で考える時間が欲しかった。神凪はああやって強がっているが――少なくとも、彼にはとても耐えられる現実ではなかったのだ。
***
気づけば上鳴は、病院を出てすぐ近くの河川敷を走りながら叫び散らかしていた。結局は現実逃避でしかないのだろうが、今はまだ――あの現実と向き合うなんて出来るはずもなく。
「俺はどうすれば、麗音を守る事ができたんだッ! そもそも、一人で戦おうとしていたのが間違いだったってのかッ! 今回ばかりは巻き込まないようにって思った俺が、そもそも見当違いだったってのかよッ!!」
いくら嘆いた所で、神凪の左腕がなくなったという事実は変わらない。どう足掻いても覆せない、彼の判断が招いた最低最悪の結果だった。
だが、彼は一度足を止め――思い出したかのように、冷静さを取り戻しながら呟く。
「ああ、そうだ。分かった、全部分かったよ。俺が、麗音を守れたはずの唯一の選択肢」
上鳴御削には『ファンタジー』を惹きつけるという特異な体質がある。そのおかげか、ある役割に対する適性を持っていた。にも関わらず、彼はその役割から目を背け続けていた。
……これはあくまで、たらればの話に過ぎないのだが。
「もし、俺が『王』になって、ファンタジーを一つに束ねていれば。まとめ上げる事さえできていたならば。こんな下らない争いだって起こらなかったんじゃないのか」
彼が今から『王』を目指したところで、神凪の腕はもう戻らない。彼も知らないファンタジーな力が、不可能を可能にする事もあるかもしれないが、可能性は限りなく低いだろう。
しかし、これから起こるであろう不幸を未然に防ぐ事はできる。これ以上、誰も傷つかない世界を目指していける。
……だとしたら。
「もう誰になんと言われようと、絶対にこの考えは曲げない。……俺はファンタジーの『王』になって。これ以上誰も――何より、麗音だけは何があっても守りきれる――そんな世界に変えてやる」




