9.尾行と確信
翌日の放課後。上鳴は、今日もまた用事があると神凪に告げると当然、昨日よりもさらに拗ねてしまった。しかし、ここまで来て今更彼女を巻き込む訳にもいくまいと何とかはぐらかしたのち、一人で動いていた。
コソコソと物陰に隠れながら彼が追いかけているのは、昨日、比良坂が錬金術で生み出した道具を持っていた、あの男。
同じ高校に通っている以上、軽く聞き込みをすればクラスから名前まで、相手を特定するのはそう難しくない。名前は戸破祐介、別のクラスだが同学年。クラスでも目立たない人というイメージだったが、最近になってどこか雰囲気が変わったように感じる、と聞いた。
見た目といえば、体格が少し人と比べて細めではあるがどこにでもいそうな青年といった風貌で、顔を合わせていた時間もほんの数分だったせいか、流石に特徴的な部分もなく多少聞き込みにも手間取ってしまったが……今日の昼間にしておいた調査のおかげで尾行の準備はバッチリだ。
そしてこちらも、ごくごく普通の目立った特徴もない高校生なので、相手もこちらの姿はハッキリと覚えていないだろう。
……現に、素人の下手な尾行が未だにバレていないのが証拠と言える。
そんな彼が校舎を出て、真っ先に向かったのは――今は天使と堕天使による衝突の痕が残るせいで立入禁止になっており、黄色と黒のテープで危険と警告されているグラウンドだった。
(立入禁止のグラウンドで、いったい何を? ……なんてお決まりのセリフを言う必要もないか)
上鳴も、そう鈍感ではない。あのグラウンドにあるものなんて一つしかない。それに、薄々怪しいなと目星はつけていた。この学校に在籍しているうえで、いま一番あの男の手が届く『ファンタジー』といえば、この黒い謎の物質――先月、堕天使が暴れた際に残った戦いの跡だろう。
そして、堕天使があの攻撃を撃ち放つのを見ていた時から何か、既視感も感じていたのだった。
あのときは明確に何だったとは言えないが、今になって思えば、それは――比良坂の道具《虚無世界行き鉄杖》によって繋がった世界に延々と広がる『黒』と似たものを感じていた。
黒と言われて万人がイメージするであろう黒。それよりもさらに深い色をした、あまりに黒々としすぎて逆に不自然なその色を目にする機会はそうそうない。
そんな黒の中に、上鳴が尾行していたその男は躊躇なく足を踏み入れる。……すると、彼は海に沈んでいくかのようにすうっと、その体が黒い物体の中へと飲み込まれていった。
「ある程度予想はしていたけど。あの黒い物体が、比良坂の道具を閉じ込めていたあの空間に繋がっている、と見て間違いないか」
となると、この騒ぎのキッカケを作りだした犯人は――意図的じゃないにせよ、結果的にはあの堕天使、という事になる。
「よし、楓に伝えにでもいくか。……それに、暴れるだけ暴れて、あの黒い物体をそのままにしやがったあいつに文句の一つでも言いに行ってやらないと気が済まないし」
天使と堕天使の戦い。一見、終結したようにも思えたあの戦いだったが、当事者さえも知らない影で、その傷跡は新たな一般人を巻き込んでしまっていたらしい。
強大な力を持つ道具を思うがままに振るうあの男は、客観的に見れば悪だろう。だが、同時に。
たまたま錬金術によって生み出された道具と、たまたまグラウンドで天使と堕天使の衝突が起こってしまい、何の関係もない一般人がたまたまその力を手にしてしまった。
……そう考えると、彼もまた一種の被害者とも言えるのかもしれない。
フィクションの物語なんかでよく見る『勧善懲悪』。しかし現実には、悪側にもまた様々な事情が絡みあうのでひと筋縄ではいかない。どの方向から見ても完全な悪などかえって珍しいんだと、ここ最近で気付かされた。
ここまでの戦いを通して、向かい合ってきた『敵』。エルフから始まり、今に至るまで――その誰もが、何らかの理由、信念、感情を持って彼の敵として立ちはだかってきた。
そんな複雑な世界。善も悪も、全てをひと括りにできるのなら楽なのに――なんて考えても仕方がない。だって、それは、以前上鳴が天使に対して答えた内容と矛盾してしまうのだから。




