幕間 それは狂気か、本心か
「よし、これで手当は終わりだ」
「あ、ありがとう御削。……でも、本当に何ともないの? 見た目はもう、すごく大変な事になってるんだけど……」
狂気に染められ、全身の肌が赤黒くなり、血管が奇妙に膨らみ、脈打つグロテスクな体へと変貌した上鳴。
「ああ、特に変わったところもないかな。見た目だって、さっき言われるまで全然気が付かなかったくらいだし……」
しかし、それ以外はどうやら普通――とあくまで本人は言っている。
「それなら良かった。けど、どうして……?」
言いながらも、考えられる要因とすれば一つくらいしか思いつかない。前に一度、エルフとの戦いの際に竜の狂気へと呑み込まれ、そのおかげで免疫力がついたとか。元来、人間の体にはそのような機能が宿っているので不思議ではない。
そこまで勝手に結論づけた神凪は、我ながら安直な考えとも思ったが、そもそも人間が二度も竜の狂気に触れるという事、それ自体がイレギュラー。
普通は一度触れれば人間性を失い、肉体自体も限界を迎えて破裂してしまうのが関の山なのだから、その先はどうなるかなんて、想像の範疇でしか考えられないのは当然だ。
だが、以前は心までもが蝕まれかけていたようにも見えたが、今回はその様子もない。彼が初めて神凪の血に触れた時よりはまだ良い状況……に思える。
そうであってほしいという彼女の願いも込められてはいるが、肉体的な傷は、精神的な傷よりもまだ対処のしようがあるのもまた事実。
このまま嵐が過ぎ去るのを待って、何とかして彼を元に戻せば。そんな考えの神凪を横に、上鳴はふと立ち上がって。
「それじゃ、俺は行ってくるよ。……許斐さん、申し訳ないけど麗音の事、またお願いしてもいいかな」
「え? 構わないけど……こんな状況で、いったいどこに行くつもりなの?」
「御削? ――まさか、アンタっ!」
神凪はふと、良くない想像をしてしまう。その直後、彼から飛び出した言葉はまさに、彼女の想像した通りの内容だった。
「どこって、そりゃ決まってるだろ。――麗音に傷を付けた元凶どもをぶっ飛ばして、全てを終わらせにいくんだよ」
立ち上がり、そう言い放つ彼の目は、血が走り黒も混ざる、すっかり狂気に満ちた瞳へと変貌していて。
「ちょっと、御削!? あの二人の戦いはもう、次元が違うってレベルじゃない! あんなのに混ざったら、本当に御削が死んじゃうわよッ!!」
「うん、こればっかりはウチも笑顔で送り出すことはできないかな。ここは関わらずに、嵐が過ぎるのをここで待っているべき。勇気と無謀をはき違えちゃダメだよ」
二人の静止する声すら聞き流して。乾いた笑いを浮かべながら、彼は続けて。
「勇気? 無謀? そんなもんどうだっていいんだ。ただ、麗音に傷を付けたあいつらを一度この手でぶっ飛ばさねえと――俺の気が済まねえってんだよッ!」
「御削、ダメ。あんなバケモノ同士の戦いに加わるのだけは絶対に許さない」
「悪い、神凪。それでも俺は、このまま黙って影で指を加えて見ているだけなんて耐えられない」
そう言い残すと、上鳴は開きっぱなしになっている玄関を潜り、破壊の嵐へとその足を進めていった。
「やっぱり。一見、大丈夫そうに見えたけど……根の部分では、アタシの狂気に冒されてしまっているみたい。正しい判断ができていないようだった」
どう考えてもアレはいつもの御削ではない。普段から無茶をする人間である事は神凪も重々承知ではあるのだが、明らかに冷静さを失っている。このままでは本当に――。
「はあ、仕方ないわね、御削。アンタが行くならもちろんアタシだって行かなきゃ」
雷に撃ち抜かれたような激しい痛みが走る左脚。それでも彼女はぐっと堪えて、立ち上がり。気がつけばその両手両足は深紅色の肌へと変貌し、黒く鋭い爪が伸びていて。背中からは赤く大きな翼が現れた。
そして、一人で行ってしまった彼の後を追うように――神凪もまた、玄関を出て戦場へと向かっていった。
連鎖的に、そんな二人を見ていた魔法少女である許斐は、さっきの助言はやはり間違っていなかったと安心した。互いに助け合う関係性。なんて素敵なのだろうとも思う。
そして、助けが必要な人々を前にして。『魔法少女』としての彼女がすべき事はただ一つ。
「困っている人には力を貸すのが魔法少女だし、こんな所で隠れている訳にも行かないよねっと。よーっし。ウチも久々にひと暴れ、しちゃいましょうかねぇ?」




