18.桜咲く季節、今後の目標
月は変わり三月。冬らしい寒さもすっかり去って、あちこちで桜が咲き始めた中旬ごろのこと。
《破滅の錬金術》を巡る戦いからしばらく経ち、あの時の騒乱が噓のように落ち着いてきた、そんなある日。かつて激戦が繰り広げられた比良坂の部屋に、その部屋の主を含めて三人の姿があった。
一人は幼馴染である上鳴御削。そしてもう一人は、かつて敵として比良坂の前に立ち塞がった《竜の血脈》を継ぐ少女、神凪麗音。
その日は、一人の少女――比良坂楓にとって、その人生を左右すると言っても過言ではない、そんな一日でもあった。
部屋に掛けられた時計が示す時刻はまもなく朝の一〇時を回ろうとしていた。……そう。その時刻こそ、比良坂が受験した高校――市立稗槻高等学校、入学試験の合格発表なのだ。
ちなみに、今日は平日ではあるのだが、合格発表で多くの受験生が訪れるからか、その高校に通う生徒は今日の授業が休みである。
なので、高校生である彼らは決してサボってまで楓の合格発表を見届けようとしている訳ではない。……仮に授業があったとして、少なくとも上鳴は行っていたかどうか怪しいラインではあるのだが。
近頃はインターネットで合否を確認する人の方が多いイメージだし、休みにする必要があるのかは些か疑問ではあるのだが、どちらにせよ休みというのだから学生である彼らにとっては割とどうでもいい事だ。
「何だかこっちまで緊張してきたな」
「比良坂さんなら大丈夫よ。前に勉強を見た時だって、どの教科も卒なく解けてたんだし。何なら、仮にも高校生である御削よりも出来るんじゃない?」
「仮にもってなんだ。流石に中学生には負けねえよ――って言い切れない自分が悔しい……」
そもそも上鳴は、クラスで一二を争うレベルで成績は悪い。かく言う神凪は真逆で、学年でもトップクラスの成績を誇る。底辺と頂点、まさに雲泥の差だった。
大体、上鳴がもし仮に中学生レベルの勉強を教えられるのであれば、こうして神凪が楓の家まで来て勉強会など開催されなかったはず。
そうこうしているうちに、時計の針が一○時を過ぎる。比良坂は、合格発表のページを開き、数字を順に追っていき――。
しばらくして、彼女の顔に安堵と喜びが半々の、そんな笑顔が浮かぶ。
「……あった! よ、よかったあ……」
「おめでとう、楓。これで、四月から俺たちと同じ学校だな」
「ま、アタシは最初からそこまで心配してなかったけどね。でも、おめでとう。よく頑張ったわ、比良坂さん」
「あ、ありがとうっ!」
受験前という大事な期間は錬金術にすっかりのめりこんでしまい、その間勉強など全くしていなかった比良坂。試験は三月初頭で、試験までは一週間も残されていなかったが……地方の平均的な公立高校とはいえ、彼女の最後の足掻きが功を奏したのだろう。
「そうだ、楓。高校で何かやりたい事とかってあるのか? ほら、取り柄がないーって言ってたけどさ、それならとにかく色々な事にチャレンジして、見つければいいんだよ。中学生の時よりはやっぱり自由っていうか、できることだって増えるんだし」
「……それについてなんだけど」
比良坂は、話すのをちょっと躊躇ってしまったが――今更隠し事はやめようと覚悟を決めたのか、勇気を振り絞ってその口を開く。
「わたし、やっぱり錬金術師になりたいなって」
「……はあああッ!? アンタ、まさかもう一度《破滅の錬金術》を使おうとしてるんじゃ――」
勝手にヒートアップする神凪をなだめるように、比良坂は続けて。
「あっ、その……もう《破滅の錬金術》なんて使わないよ。でも、わたしはやっぱり『錬金術』が好きだったんだって。今でもまだ、錬金術を学びたいっていう気持ちは変わらないから」
「そっか。楓、錬金術を心の底から楽しんでたもんな」
錬金術にどっぷりと溺れる前。上鳴と神凪が、初めて比良坂の錬金術を見た頃は――子供のように目を輝かせて、とても楽しそうにしていたのを今でも覚えている。
《破滅の錬金術》に頼らず錬金術を修得するのが、どれだけ修羅の道であるかは以前、主に神凪が騒動の顛末を話した際にもちゃんと聞いているはず。彼女の使っていた力がどれほど恐ろしいものだったのかまでも。
それを聞いてでも、尚――彼女のその気持ちは動かない。《破滅の錬金術》による力、それ自体は寿命を代償にして楽をする、まやかしの力だったのかもしれない。だが、比良坂が心から錬金術を楽しい、好きだという気持ちだけはやはり――本物だったのだ。
「大変だっていうのは分かってる。けど、わたしはわたしの力で、また改めて錬金術師を目指す。これが今の、新しい目標なんだ」
改めて、楓がとんでもなく強い心の持ち主だと、上鳴は再認識させられる。
比良坂は『錬金術の近道』を知っている。その上で――遠回りをしてでも、また錬金術を学びたいなんて、並大抵の強靭な心、好きという気持ちでは耐えられないだろう。
「あと、わたしにはもう一つ目的があるんだ。《破滅の錬金術》で、わたしは寿命を失った。それを取り戻す方法が、また錬金術なの」
「……まさか、『賢者の石』!? 比良坂さん、無謀と不可能は全くの別物よ? だって、賢者の石ってのは錬金術の到達点、金の錬成のさらに先にある最終目標でしょ? そもそも名前だけが文献でちょろっと残っているくらいで、実在するのかどうかも分からないシロモノ……」
以前、神凪が言っていたか。賢者の石は幾多の錬金術師が挑み、それでも完成させるまでには至らなかった究極の目標。
だが、賢者の石には不老不死の力が眠っているという逸話だってある。それがあれば、《破滅の錬金術》で失った生命力を取り戻す事だって可能だろう。
「うん。でも――わたしは、わたしを色々な意味で変えてくれた錬金術に、まだ縋りたい。……もちろん、みんなに心配はかけないくらいで、ほどほどに。だけどね」
可能、不可能は別として。ふわっとした理由で錬金術に縋るのではなく、自分の意志で、明確な目標の上で錬金術に縋るなら――それは、立派な比良坂の『取り柄』とも言えるだろう。
そんな彼女を、上鳴は幼馴染として。心から応援すると共に、ひっそりと尊敬の念さえ抱いてしまうのだった。




