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17.戦いの終結した世界で

 戦いは終わり。すっかり静寂が訪れた、一面漆黒が広がる世界で。


「アタシの方も終わったわ。これでもう、二度とこの本は読み返せないはず」


 用済みとなった、金色の刺繍が施された分厚い本を、おもむろに宙へと放り去った神凪(かなぎ)はひと仕事終えて疲れ果てたように言う。


(ふう)が、その本の内容を覚えてる可能性はないのか?」

「二ヶ月足らずで錬金術の基礎概念を理解できているとは思えないしね。というか、本に書いてある通りにすれば誰でも扱えるといっても、書いてある内容自体は案外難しいわよ? 封印しながら軽く流し読みしていて思ったけど……比良坂(ひらさか)さんがこうして色々な物を作り出せたのが、奇跡に思えるくらいには。少なくともアタシが本を見ながら今すぐやれって言われても成功させる自信はないわ」


 そう考えると、比良坂には錬金術の才能がまるっきりなかった、という訳ではないのかもしれない。彼女が出会った錬金術というのが《破滅の錬金術(ロヴァス・アルケミー)》でさえなければ、もしかすると……上鳴(うわなき)はつい、そんな想像をしてしまう。


「で、御削(みそぐ)は目的のモノ、見つかった?」

「俺の方も見つけたよ。元の世界に帰るための道具、確か《虚無世界行き鉄杖(ニューディメンサー)》とか言ったっけ」


 彼の手には鉄製の白い杖が握られていた。この延々と続く虚無の空間と、人間が暮らす元の世界とを繋ぐ『裂け目』を作り出す、これもまた錬金術で作られた不思議な道具だった。


 比良坂が使っている一部始終を見ていたものの、それでも彼には使いこなせる気がしなかったので、言わなくとも勝手に使いこなしてくれそうな神凪へとその杖を渡すと。


「というか御削、自分に取り柄がないみたいな事を言ってたけど……まだまだ未熟だとはいえ、ここまでの道具を操る錬金術師を丸腰で倒しちゃう時点で全く説得力がないんだけど」


 ふと、神凪が些細な疑問を投げかける。それに対して上鳴は、少々どうでも良さげに返した。


「人間ってのはいざとなったら意外と動けるもんなんだよ。……たとえば、神凪が地面ごとぶっ壊したパンチを咄嗟に避けたりとかさ」

「あ、あれは……忘れときなさいっ」

 

 いつぞやの、急に神凪が襲いかかって来たあの時を例に出して軽くからかってみる。……だが、神凪も本気ではなかったとはいえ、彼女の攻撃を避けられたのが今になってみると信じられない。


 もちろん、比良坂のレイピアによる連撃を避けられたのだって、今になって『俺って意外と反射神経あるんじゃ?』と余計な自信がついてしまいそうなくらいには不思議に思えてしまう。


 それこそ、彼の言う通り――『人間の底力』ってものなのだろうか。


「それじゃ、帰りましょうか。忘れ物はないわよね?」

「ああ、大丈夫だよ」


 錬金術を巡る戦いは終わった。もう二度とこの漆黒の世界に戻ってくる事はないだろう。


 最後に辺りを見回して。忘れ物などがない事をしっかり確認した上鳴は、最後に傍らで横たわる、慣れない運動やそもそも精神的にも疲れ果てたせいかすっかり寝息を立てながら眠ってしまっている黒髪の少女、比良坂楓を両手で抱えあげる。


「元の世界と繋げるわよ。――はああああっ!!」


 神凪が白い鉄製の杖を思いっきり振るうと――その杖の先が空間を裂き、当たり前に感じてしまっていたせいか、その有り難みを忘れかけていた『色』のある見慣れた世界が見えてくる。


 神凪が最初にテストがてらその裂け目へ飛び込んで、お次に上鳴も、比良坂を抱えながら後に続く。



 ***



 裂け目の先は、見慣れた――とはあまり言い難い、先の戦闘によってすっかり荒れ果てた比良坂の部屋だった。


 錬金術に使っていたであろう材料や、その他機材などが無残にも散らかっている。この部屋を荒らした者として、片付けも手伝わないとな――と考えると、せっかく錬金術を巡る一件が終わったというのに少々憂鬱に感じてしまうが――ともあれ、《破滅の錬金術》を比良坂から遠ざけるという目的は果たされた。今はそれだけで十分だろう。


「さて、この杖は向こうで永遠に眠ってもらうとしてーっと」


 上鳴と比良坂がこの世界に無事戻った事を確認すると、神凪はその手に持つ鉄製の杖《虚無世界行き鉄杖》を裂け目の先へと放り捨てた。


 直後、その黒い世界へと繋がる裂け目は跡形もなく消え去ってしまう。



 錬金術によって生み出された道具も、もう誰も触れられない場所に幽閉して。これで本当に全て終わり。比良坂と、自身の寿命を代償とした禁断の錬金術にまつわる戦いが――。


 元の世界へと戻った事でやっとこの事実を実感できた上鳴は、安堵で全身から力が抜け、思わずその場で膝から崩れ落ちていってしまったのだった。

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