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16.演じた自分は捨て去って

 比良坂(ひらさか)は若干の迷いを見せつつも、片手の白いハンドガンの引き金を、上鳴(うわなき)へと向けて引く。


 そんな彼は、今も本の封印作業を続けている神凪(かなぎ)を守るような形で立ち塞がっている。


 その銃口から放たれる衝撃波を、上鳴は真っ向から受け止める為に、体の重心を下げて構えの姿勢を取る。


 ――ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!


 あらかじめ来ると分かっていても、やはり凄まじい威力だった。何とか神凪の『盾』としての役目は果たすものの、彼は思い切り宙へと打ち上げられるように吹き飛ばされてしまう。


 何とか地面に足を付け、しっかりと着地した彼は再び、今も《破滅の錬金術(ロヴァス・アルケミー)》について記された本と格闘している、神凪の前へと立つ。


「……これが最後の警告だよ、御削くん。お願い、わたしの前からどいて。さもないと、いくら相手が御削(みそぐ)くんでも、殺さなくちゃいけないから」

「断る。あの本がそんなに恋しいのなら、(ふう)の言う通り、俺を殺して行けばいい」

「……ッ、ズルいよ、御削くん」


 彼の言葉に動揺を見せる比良坂だったが、ぶんぶんと首を横に振り、彼女の心を蝕む動揺を振り払って。明らかに殺傷能力の高い、ただの人間である上鳴が喰らえば一撃で葬られてしまうであろう大きなハンマーを手に取ろうとした。


 だが、それさえも躊躇ってしまい、最終的に手にしたのは――銀色のレイピアだった。名前は確か《刻限の指針(リワインダー)》と言ったか。


 その細剣は、突き刺した物や人間まで、あらゆる物を過去の状態、場所へと戻すことが可能な錬金術で作られた武器。


 効果は上鳴が一度、実際に突き刺されており、この身をもって証明済みだ。だが、この細剣は突き刺した物の時間を戻すだけであって、いくら急所を突き刺したとしても相手を殺すことは出来ない。……比良坂は()()()()()、この武器を手に取ったのだろう。


「楓。あれだけの大口を叩いておいて、今更、俺を殺せないとか言うのか?」

「あ、当たり前っ! だって、御削くんを殺すなんてわたしには無理で、絶対脅しに決まってる。分かってるはずなのに、そんな意地悪いことを言うから……ッ」


 銀色のレイピアを、右手でより強く握りしめた比良坂がこちらに向けて飛び出してくる。彼女の不自然に見開いた目が、上鳴を鋭く睨みつけながら。


「ずるい、ずるいよ御削くんっ! わたしにそんな度胸がないって分かっていて、そんな意地悪な事を言うなんてっ!」


 レイピアの、細い剣身が何度も上鳴に向けて振るわれる。だが、その攻撃は感情任せであるせいか、どれも単調で、簡単に避ける事ができた。


「ズルい、ズルい、ズルいズルいずるいずるいっ! どうして避けるのっ!? ここで大人しく当たってくれれば、それで済む話なのにッ!」


 何度も放たれる攻撃を軽々と避けながら。上鳴は彼女の問いに対して、わざわざ言う必要があるのだろうかと半ば呆れ気味にこう返す。


「楓。お前が許せないからに決まってるだろ」

「……っ!?」


 上鳴にとっては当然、しかし比良坂にとっては予想外の言葉であったのか。彼女の振るうレイピアの動きがピタリと止まる。


「《破滅の錬金術》に一度縋ってしまうのは仕方がない。俺だって楓の立場だったらきっと、自分の才能だと信じこんで、その力に飲み込まれていただろうし」


 この力に出会ったのは、どこかにいるであろう黒幕が敷いた罠だ。何も知らなければ当然、引っかかってしまうのだって仕方がない。この力に一度溺れてしまった事、それ自体に上鳴は怒っている訳ではない。


「でも、お前は《破滅の錬金術》について知ったうえで――この安易な力に、今でも縋りつこうとしてる。それが俺は許せない」


 ふと、上鳴もまだ小学生だった頃の、ひと昔前の出来事を思い出す。


 比良坂のクラスにて、誰かがこっそり持ってきていたマンガが無くなったとかで、窃盗騒ぎになった事があった。


「昔、楓がクラス中から冤罪を掛けられた事があったっけ。でも、お前は決して折れずに無実を訴えて、一人で戦い続けた。……中学生になって、もうすぐ高校生だっていう今のお前だってそうだ。こんな力に縋らなくちゃいけないほど、お前は弱くないはずなんだ。そして、それがお前の取り柄でもあるんじゃないのか?」


 想像以上の大事になり焦ったのか、その犯人が楓のカバンにマンガを突っ込んだらしい。それが見つかり、当然大騒ぎになった。クラス中が敵に回ってしまった、そんな状況でも――楓は折れずに、戦い続けた。


 結果、終わらない騒動に嫌気が刺したのか、真犯人が自首して騒動は収束したのだが……。この一件で上鳴は、彼女がただ引っ込み思案なだけではない事を知った。


 上鳴が知っている『比良坂楓』とは、そんな強い心の持ち主だ。だからこそ。


「帰ってこい、比良坂楓。演じているだけの弱い自分なんて、今すぐ捨て去っちまえ!」


 《破滅の錬金術》なんかに頼り、飲まれていく彼女の姿なんて見たくなかった。


「……ふふっ、あはははははははははははははははっ!」


 そんな彼の気持ちを跳ね除けるかのように。比良坂は、そんなの馬鹿らしいと切り捨てるかのごとく声を上げてヒステリックに笑いながら、続けて。


「もし演じているとしたらそれは、強い方のわたしだよ。本当のわたしなんて、全然強くも何ともないんだから。……そもそも『弱い』って、そんなにいけないこと? 誰もがみんな、御削くんみたいに強くいられると思わないでほしい……なああああッ!」


 叫ぶと共に比良坂が、これまでとは一味違った、確実に上鳴を狙い抜くべくその一撃に全てを込めたレイピアを突き刺すように放つ。


 しかし、比良坂が放った渾身の一撃をも、彼は横から右手を払い――銀色のレイピアを弾き落とす。


 カランカランと音を立てて落ちたそれは、比良坂の手が届かない遠くへと転がっていき。


「そ、そんな、わたしの《刻限の指針》――ッ!」


 自らの武器を失くした錬金術師は、慌てるような、嘆くような声を上げる。


 そんな彼女に向けて、上鳴は。


「弱いのが悪いとは言わない。けど、今のお前は……弱い訳じゃなくて、手軽な力に、ただ楽な道へと逃げているだけだ。それが俺は……許せないッ!」


 比良坂の懐に潜り込んだ彼は、特別な力など何もないただの右拳を割れそうなくらいに握り締めて、彼の想いを込めた――その一撃を比良坂へと叩き込む。


 彼女の『錬金術』で生み出せる力に比べれば、あまりにちっぽけな威力だっただろう。それでも、右拳による一撃はきっと、彼女の体の芯にまで響いた事だろう。


 彼の拳を受けた比良坂は、黒い空間を飛ばされて――境界線さえ曖昧な、また深い黒の地面を転がり落ちていった。

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