15.逃げ込んだ先、虚無世界にて
裂け目の先には、一面真っ暗な世界が延々と広がっていた。
黒い世界に、夜空に瞬く星のようにあちこち散りばめられて浮かんでいたのは――剣に銃といった武器から、大小や色と形も様々な爆弾に、その他用途不明の錬金術で作られた道具群。
この世界に足を着けている三人。しかし一面が黒一色のそこは明確な境界線などなく、床か、天井か、そもそもそんな概念さえ存在しないのか。完全なる虚無の世界で、錬金術師の少女は全てを悟った調子で言う。
「なるほどね。二人の本当の目的はその本を処分する事だった。わたし、本気を出すどころか……まんまと誘導されていたんだね」
そんな自分が馬鹿みたいだと嘲笑気味に。異空間で、革に金色の刺繍が施された本を抱えた少女を前にして、ごく普通の高校生である上鳴御削と竜の手足と翼を携えた少女、神凪麗音はもう隠しても無駄だろうと心に決める。
「神凪。本当の事を話そう。楓が何も知らない間に解決できれば、それが一番だったんだけど」
「……そうね。比良坂さんもさっきよりは落ち着いてきたみたいだし。事実を話せばまるっと全てを信じてもらえるなんて思っちゃいないけど、これを聞いた上でまだ戦うって言うのなら――こっちも心置きなく強硬手段に出られるわ」
きっとその内容を聞けば傷つくだろう。比良坂が使っていた錬金術が《破滅の錬金術》――つまり、特別な才能でもなんでもない、誰でも扱えるうえに代償として『生命力』が奪われる――そんな、あまりに残酷な真実を。
だが、こうなってしまっては仕方がないだろう。覚悟を決めて、二人は比良坂へと真実を話す。
***
「確かに理屈は通っているのかもしれない。わたしにしか読めない本、っていうのもよくよく考えてみればおかしいし、なんの取り柄もないはずのわたしがこんなに早く上達できるのだって、薄々不思議には思ってた。――けど」
《破滅の錬金術》についての話を聞いて、比良坂は確かに納得はした。そのうえで、彼女は震え声で続ける。
「今更……信じたくないよ。せっかく、わたしにも取り柄があると思ったのに。これがわたしの才能じゃないって言われて、簡単に受け入れられる? この力が本当にわたしの才能じゃないとしても。わたしは、この力に何がなんでも縋り付くからっ!」
言うと、比良坂はあちこちに浮かぶ錬金術の道具のうち、黒い世界とは対照的な、パーツ全てが異様に白く染められたハンドガンを引き寄せた。
その銃のトリガーを引くと――ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオッ! 爆発音にも近い轟音を振り撒きながら、裂け目の中をさらに引き裂くような衝撃波が放たれる。
錬金術師である彼女が使うだけあって、やはりただの銃ではないらしく。いわゆる『ソニックブーム』を引き金を引くだけで放つ事ができるという代物らしい。
それと同時に、神凪は一気に飛び出し、めらめらと燃え上がらせた両手を盾代わりにするような形で衝撃波と激突した。
しかし、神凪の勢いはその程度では止まらない。より強まる炎を纏う両手で、そのまま比良坂が持つ本へと掴みかかろうとする。
「ひゃあっ、熱っ!? 返してよ、その本はわたしの大事な……っ!」
幾多の錬金術で生み出した道具を操る比良坂でも、炎を纏った手に対して、命と同等に大事な本とはいえどつい、その本を持つ手を反射的に放してしまう。
神凪はその隙を見逃さず、ふわりと飛んでいく分厚い本を、彼女の燃え続ける両手でがしっと掴む。
普通の本ならば、そんな手で掴んでしまえばすぐに焼け焦げて真っ黒になってしまうだろうが、ただの炎程度ではこの本にキズ一つさえ付けられないという事は、上鳴が既に証明済みだ。
「全然燃えないって言われても半信半疑だったけど、なるほどね。この表紙に刻まれた紋様、それ自体に意味があるみたい」
金色の刺繍であしらわれた、意味ありげな紋様。前に見た時はただのデザインだろうと深く気にしてはいなかったが、まさかこんな所にまで気を配るとは、この本を書いた黒幕はどうにも抜け目がないとさえ思ってしまう。……どうやら魔法によって、物理的な手段では壊せないように細工が施されているらしい。
だが、現代のコンピュータにおいて脆弱性が全くないセキュリティなど存在しないように、こういった小細工にだって何かしらの突破口はあるはずだ。
まず、真っ先に神凪が目を付けたのは。
「確かに物理的には無敵といっても過言じゃないタフさだけど、内容自体に対する攻撃までは想定してなかったみたいね。……ま、ここまで対策されていたら流石に神経質すぎて引くけれど――」
ぶつぶつ独り事をつぶやきながら、分厚い本をいじる彼女に向けて。横から突き刺すように放たれたその声の主はやはり。
「返してって、言ってるでしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
比良坂の叫びと共鳴するように。あちこちに浮かび漂っている、大小、色も形も効果でさえも様々な爆弾という爆弾が、敵の事などお構いなしに目当ての本とにらめっこしている神凪へ向けて一斉に放たれる。
「え? いやいやいやいや、いくら何でもそれはオーバーキルにも程があるって……」
その数、軽く数百はあるだろう。避けるという選択肢すら残されておらず、神凪はただ全方位から向かってくる爆弾を眺め、立ち尽くす事しかできない。
「――神凪ッ!」
どう足掻いても絶望的。そんな状況でも諦めずに、逃げるどころか逆に立ち向かっていったのは、ただの高校生であるはずの上鳴。
彼では、今更走ったところで何も成せないだろうとは薄々分かっていた。
だが、それでも黙って見ているだけでは絶対に後から後悔するとも思ったからこそ――彼はただ全速力で走る。たった一つでも爆弾を弾き返したり、神凪の盾になれるのならばそれも本望だと。
彼はついでに、何も持たないよりはマシだろうとたまたま近くに浮かんでいたよく分からないアンテナらしき道具を手に取って、神凪の元へと走っていく。
「御削っ! 何をしているの……!?」
「そもそも、俺が神凪を巻き込んでしまったんだ。ここで俺が何もせずに見ているだけだなんて、あり得ないだろ!」
爆弾の雨が、こちらへ降り注ぐ――その直前だった。
ピピピピピピッ! という電子音が鳴り響く。それは、お守りにでもなるかと適当に掴みとったアンテナのような道具からだった。
そして、電子音に反応するかのように、次の瞬間――こちらに降り注いでいたはずの爆弾、その全ての動きが反転して逆方向へと戻っていった。
「そ、それは《反転電波塔》! わ、わたしが作った道具なんだけど……っ!?」
やがて、何もない的外れな場所でそれらは一斉に起爆する。それでも、数百の爆弾が同時に爆発すればその衝撃は凄まじい。マトモに立っていられない程の爆風に、鼓膜を破く勢いの爆音が虚無世界を支配する。
あんなにも圧倒的な『破壊』を直で喰らっていればまず、跡形も残らずに木っ端微塵だっただろう。
「何だかよく分からないけど……俺は、使える物は何でも使う。それが弱いなりの戦い方だ」
「アンタねえ、堂々と言う事じゃないわよそれ……。でも助かったわ、ありがとう!」
勝手に道具を使われてご立腹のようだが、そもそも、そこら中へと無造作に浮かべて誰でも扱える状態であるのが悪い。市販のお薬や危険物にだって、小さなお子様の手が届かない場所で保管してくださいと書いている。錬金術の道具だって似たようなものだ。
「じゃ、アタシはこの本をもう読めないように封印するから、御削は引き続き比良坂さんの相手を任せるわねっ!」
「え? 俺が楓の相手をするのか……?」
「だって、アンタじゃ魔法文字に干渉なんて出来ないでしょ? さっ、何か道具でも使ってとにかく何とかしてアタシを守りきりなさい!」
「そんなムチャクチャな! 何か、戦えそうな道具は……ッ!」
辺りを見回し、星のように浮かんでいる道具の中から適当な武器を見繕う彼だったが――結局、彼は何も手に取らず、選ぶ事をやめた。
武器らしい武器が見つからなかった訳ではない。選択肢が多すぎて迷ってしまった訳でもない。……ここで武器を取ってしまっては意味がないと、そう思ったからだった。
「楓。お前が『自分になんの取り柄もない』って言った気持ち、正直、俺にも分かるんだよ」
事実。彼だって特にこれといった目立つ特技もない上に、神凪や天河、そして比良坂まで。周りの知人は総じて何かしらの『ファンタジー』に精通しているのに、対する彼は、その世界をただ知っているだけ。
周りに遅れを取っている――そう感じてしまっていた節があった。
それを踏まえた上で。《破滅の錬金術》なんかに頼らずとも、なんの取り柄だってなくとも、こうして戦えるんだと。その事を比良坂に教えてあげなければ――それは本当の意味で、彼女を救う事にはつながらないと気がついたのだ。
「だからこそ。なんの取り柄もない俺が、錬金術師であるお前を止めてみせる。目に見える長所だけが全てじゃないって事を見せてやるよ、楓ッ!」




