10.ロヴァス・アルケミー
電話からしばらくして、神凪が家までやってきた。ひとまず上鳴の部屋まで案内し、適当なお菓子とお茶を見繕って出しつつ、比良坂の家で起こった出来事、その顛末を話した。
「……その話を聞いて確信が持てたわ。電話で『アタシも話がある』って言ったけれど、まさしくそれね」
上鳴と交代するように、次は神凪が説明のターンへと移る。
「まず、『錬金術』と一口に言っても、いくつか種類がある。扱う力から、そもそもの方法論まで。目的は同じでも、派閥によって別の錬金術が使われていたの。今、もっともスタンダードな錬金術と言えば『薔薇十字団』の使っていた方式で、アタシもてっきりそれだと思い込んでいた」
錬金術という概念でさえ理解しがたい異能の力であるのに、その種類と言われても上鳴には正直ピンとこない。だが、今はとりあえず、錬金術にも色々あるんだ、というふわっとした概要だけ理解しておけば十分だろう。
「でも、御削はさっき、あの子は金を調合した――って言ったわよね。それから考えると十中八九、この錬金術に違いないわね。と言っても、アタシも最近初めてその名前を聞いて、まださらっと調べただけに過ぎないんだけど……」
言葉に詰まる神凪の様子から、少なくとも良い知らせではない事は、上鳴も薄々勘付いていた。
彼も彼で、どんなに絶望的な内容でも受け入れる覚悟を決めた所で。神凪の方も、意を決して口を開く。
「……比良坂さんが使っているのは《破滅の錬金術》。かつては表の世界でも使われていたけれど、その性質があまりにも悪質で、やがて禁忌の術として歴史上からも抹消された。そんな錬金術」
《破滅の錬金術》――その単語を聞いて、明確にぱっと思い浮かぶような事は何もない。
しかし、それに関わるだけでもロクな事にはならないだろうと、彼の直感が告げていた。
彼の疑問を埋めていくように、神凪が補足を続ける。
「『薔薇十字団』の錬金術は、自然の中から『価値』を加えて、より良いものを作り出す。根本的に、錬金術というのは価値自体を増大させる術じゃなくて、入れた材料と価値を組み合わせる術だから。そして、《破滅の錬金術》はその価値に術者の生命力、つまりは寿命を支払う。錬金術の難しいポイントは、その価値を集めるという点が大きいから。それを寿命という対価を支払って、丸々スキップできちゃうのがこの錬金術なの」
「ああ、それで……」
神凪の説明を聞いて――完璧に理解したとは言い難い上鳴でさえも、きっと神凪だってずっと抱いていた、一つの疑問と。点と点が一本の線で繋がったような気がした。
「流石に御削も気がついたみたいね? 比良坂さん、上達がやけに早かったでしょ。錬金術を始めて二ヶ月もしないうちに金を調合してしまうなんて、普通に考えてあり得ない。でも、《破滅の錬金術》なら不可能ではない」
錬金術について、ふわっとした概念だけではあるが知っていた神凪はもちろん。知識のない上鳴でさえ、実際に見せてもらった際に、これだけの技術をこんなにも早く身につけたのかと感じたくらいだ。
比良坂が錬金術を知ったのだって、今年の初めあたり。それから一ヶ月程で、あれだけの芸当がこなせるまでに上達するなんて、いくら天性の才能があったとしても厳しいだろう。
だが、誰でも簡単に扱える《破滅の錬金術》なら話は別。あの怪しげな本にレシピが載っていて、具体的な方法も書かれているのなら尚更だ。
「一言で表すなら、錬金術界の『麻薬』かしら。誰でも少し練習すれば簡単に扱えて、それでいて色々な物を生み出せてしまうから、その分依存性も高い。比良坂さんも、その安易な力の誘惑に負けて、溺れてしまったんでしょうね」
麻薬という例えに彼は、妙な納得感があった。さっき目の当たりにした、比良坂が錬金術へと縋るその姿は、話やテレビドラマの一部始終だったりでしか目にした事はないものの――薬物に手を染め、禁断症状に襲われる姿と似通っているようにも思えた。
そこまで聞いて、上鳴はふと一つの疑問が解消できていない事を思い出す。
「……でも、確か楓は『本』を見つけて、錬金術を学んだって言ってたっけ。神凪ですら読めなかったみたいだけど、なんで楓にだけは読めたんだ?」
「ああ、そもそも――あの本に書かれていたのは言語じゃないの。一部の人だけが自然と読めるように小細工をした、いわば暗号ね。比良坂さん以外、誰も読めなくて当然、ってわけ」
本という存在、それ自体の前提条件を根本から覆すようだった。本というのは、万人が読めるように知識、出来事なんかを書き記しておくための物……ではないのか。
「さっきも言ったけど、これは遠い過去に封印された禁忌の術。安易にまた広まってしまう事を危惧したんでしょうね。……どうして比良坂さんが術者として選ばれたのかまでは、この本を書いた黒幕に聞いてみないと分からないけど」
あまりに突然、神凪が口にした『第三者』の存在。だが、そもそも暗号の記された本が存在する時点で、その著者である第三者の存在もあると断言して問題はないだろう。
「黒幕……か。比良坂がこうなってしまうように、糸を引いた人物が別にいるとしたら、そいつも倒さないと――」
黒幕の存在。それは確かに、比良坂に危害を加えようとしている以上は敵とみて間違いない。だが、神凪は。
「目的を履き違えないで。アタシたちがすべき事はあくまで比良坂さんを救うだけ。黒幕を倒して、そいつの野望を阻止する事じゃない」
「……そっか。とにかく、楓が《破滅の錬金術》を使えないようにすればいいんだ。黒幕が何を考えているのかは知らないけど、錬金術さえ比良坂から取り上げてしまえば――レシピとかが書かれたあの本を、読めないまでにぐちゃぐちゃにしてやる、とか」
「その辺りが現実的ね。錬金術なんて使ってくる相手に手加減なんてできないし、力尽くで止めるとなればそれこそ、殺すか殺されるかの戦いになってしまうから。あまり長引かせることはできない」
ともかく、方針は固まった。比良坂から《破滅の錬金術》について書かれた本を取り上げて、彼女を錬金術そのものから引き剥がす。そうすれば黒幕の陰謀だって、同時に食い止める事ができるはず。
その黒幕が、次なるターゲットを探してまた動き始める可能性は高い。だが、何でもかんでもこなそうとして、一番の目的を見失っては元も子もないのだから。
ここまでの大事になってしまった以上は、もう穏便に済ませる事はできないだろう。だが、破滅の運命へと向かう比良坂を助け出す。その心に決して変わりはないのだった。




